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『新潮45』休刊は残念だ。杉田水脈論文は論外だが、休刊の背景は本当に深刻だ

篠田博之月刊『創』編集長
『新潮45』休刊のお知らせ(筆者撮影)

 9月25日、新潮社が『新潮45』の休刊を発表した。まず思ったのは「残念だ」ということだ。

 先週TBSの番組でコメントしたのがきっかけで、昨日も今日も『新潮45』問題をめぐっていろいろな媒体からコメント取材を受けた。もちろん同誌8月号の杉田論文は論外だし、10月号の「居直り」特集も、「それはダメだろう」と思った。でも一方で、9月21日の新潮社社長の見解表明から、このままでは『新潮45』は休刊になるのではないかと心配していた。

 なぜなら以前も書いたように同誌があの危ないネトウヨ路線に舵を切ったのは、明らかに同誌の生き残りを賭けたもので、それを経営トップにダメ出しされたら、もう次の舵を切るのは難しいのではないかと思ったからだ。若杉良作編集長だって、その時点で腹をくくったに違いない。

 この問題については、もう2回、記事を書いているが、これをよく読んでいただければ、今回の休刊に至る背景はよくわかるはずだ。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20180807-00092326/

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20180922-00097895/

 社長見解を「生ぬるい」「謝罪もしてない」と批判する人もいたが、新潮社にとっては、あれはかなり異例のことだ。それと、そもそも8月号や10月号の記事について「新潮社は校閲がしっかりしているのになぜああいう記事を載せたのか」という人もいるが、これはいささか見当違い。今回のことは校閲の問題ではない。編集部として意図的にあの路線に舵を切っていたのであって、別にチェックミスをしていたわけでないのは明らかだ。

 そしてその舵切りが、文芸部門の猛反発を受け、新潮社の屋台骨である文芸部門に傷をつけるわけにはいかないと社長が決断をくだした。それが今回の経緯だろう。

 だから今回の休刊は、杉田論文自体の是非の問題とは分けて考えなければならないと思う。杉田論文が否定されたといって歓迎すべきようなこととは違う。そんな単純な話ではないだろう。

 背景にあるのは雑誌界のとんでもなく厳しい現実だ。そもそもA5判の総合誌が今、書店でコーナーごとなくなりつつある。私の編集している月刊『創』もそのジャンルだから、決して他人事ではない。

 さらに言えば、これはノンフィクションそのものがジャンルごと死滅しつつある現状とも結びついている。新潮社から『新潮45』が消えたのは、講談社から『現代』や『G2』が消え、あるいは『週刊朝日』『週刊現代』『週刊ポスト』などが、健康雑誌ふうにシフトしている流れの延長線上にある。

 ノンフィクションを掲載する媒体がこんなふうに消えていくというのは相当深刻な問題だ。雑誌がなくなっていきなり書きおろしの単行本しか道がないとなれば、固定読者を抱えた一部のノンフィクションライター以外、食っていくこともできなくなることを意味する。

 だからこの何日か、これはもしかすると『新潮45』の休刊か、と思いつつ、できることなら次の方向をもう一度考え直して(編集部は入れ替えざるをえないだろうが)、できれば雑誌は生き残ってほしいと思っていた。『新潮45』は、方向を間違えてしまったとはいえ、雑誌自体は好きだったし、貴重な存在だと思っていた。それなので本当に残念だ。

 

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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