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杉田水脈LGBT差別発言を掲載した『新潮45』への危惧と提言

篠田博之月刊『創』編集長
『新潮45』と杉田論文(筆者撮影)

 8月7日の朝日新聞が「杉田水脈氏寄稿、出版社の責任は」という記事を掲載した。この間、大きな批判を浴びている杉田水脈議員の差別発言をめぐって、掲載した『新潮45』の責任を論じたものだ。この間の議論でこの視点はあまり見られなかったものだが、かつて差別表現への糾弾が激しかった頃は、掲載媒体の責任も同時に問われるのは普通だった。

 朝日新聞の記事はデジタルでもしばらくは読めるので、関心ある人は下記へアクセスしてほしい。

https://www.asahi.com/articles/ASL8256DBL82UCVL00G.html

杉田水脈氏寄稿、出版社の責任は ネットと深化の影響も

 この朝日新聞の記事については私も結構長時間の取材を受け、コメントが掲載されている。でも紙幅の都合で、話した内容の一部のみ使われているので真意が十分に伝わっていないかと思い、ここに思うところを書いてみることにした。一言で言えば、杉田議員をこの間、誌面で積極的に起用してきたことに象徴される、同誌の路線についての危惧だ。私は割と同誌はよく読んできた方だと思うが、結論から言えば、今回の事件を機に今の誌面方針を考え直した方がよいと思う。

 その話に入る前に、今回の杉田論文についての感想を書いておけば、ひどいとしか言いようがない。自分の信念から何かを論じるのは自由だが、右とか左とか言う以前に、日本においてこれまで例えばゲイがどんなふうに差別を受けてきたかといった歴史的経緯をほとんど知らないのではないかと思わせる内容だ。圧倒的多数の議席を確保している今の自民党は、こういう人でも国会議員になれてしまうんだという驚きを最初に感じた。

 その内容の問題点は多くの論者が指摘しているから割愛しよう。例えば『週刊現代』8月11日号では青木理さんがこう書いている。「これほど常軌を逸した正真正銘の阿呆が国会議員を務めていることに心底唖然とした」

 それよりも今回の一件で感じたのは、この杉田論文への批判が予想以上の大きな社会的動きになったことへのいささかの驚きだった。それは日本社会においてマイノリティの存在や権利を認めようという流れがそこまで広がっていることの反映だ。かつて「アカー」(動くゲイとレズビアンの会)などの団体が、週刊誌などのゲイ差別にコツコツと抗議を繰り返していた時代に比べると、大きな社会的変化と言わねばならないだろう。

 それはよいとして、本題の『新潮45』の杉田論文掲載の問題に入ろう。実は問題になった「『LGBT』支援の度が過ぎる」という杉田論文は「日本を不幸にする『朝日新聞』」という特集の中の1本だ。LGBTには「『生産性』がないのです」という一節のみが問題にされてしまったが、この論文は、朝日に象徴されるリベラル派が多様性や少数者の権利を主張することを行きすぎだと批判したものだ。杉田論文はたまたま掲載されていたわけでなく、同誌が今年に入って加速させているリベラル叩きの中で登場してきたものだ。朝日新聞が杉田論文を載せた同誌の掲載責任に言及しようとしていたのも、背景にそういう問題があるからだろう。

 今年に入って、『新潮45』は、その方向に大きく舵を切っている。2月号「『反安倍』病につける薬」、4月号「『朝日新聞』という病」、6月号「朝日の論調ばかりが正義じゃない」、7月号「こんな野党は邪魔なだけ」、そして8月号の「日本を不幸にする『朝日新聞』」だ。簡単に言えば、『月刊Hanada』『WiLL』の右派雑誌の後追いを意識的にやっているのだ。ここへ来て大きく舵を切ったのは、雑誌市場全体が苦境に立たされている中で、その路線に生き残りを賭けようとしたのだろう。

 そもそも元『週刊文春』編集長の花田紀凱さんが創刊した『WiLL』が分裂して『月刊Hanada』と2誌体制になった時に、ネトウヨ系とも言われるその市場が2誌の存在を許すほどの規模を持っているのかと言われたものだが、現状においては2誌が存立し、その市場はむしろ拡大しているような印象さえある。安倍政権のもとで日本の言論界は急速に右へと軸足を移しつつあるのだが、それに伴って新たな言論市場が拡大しているのだ。

 『新潮45』はそれを見ながら、その市場はもう少し拡大の余地があるのではないかと推測し、そこに相乗りすることを生き残り策として選んだのだろう。この何カ月かの誌面を見ていると、先行2誌とそっくりというか、「二番煎じの道を敢えて行く」という意識が明らかに感じられる。

 ただ古くからの読者として残念なのは、花田さんには誌面への評価は別にして、新たな市場を作り出そうというパイオニア精神のようなものがあったのだが、『新潮45』の後追い路線には、その気概が希薄なことだ。先行2誌は、露骨に安倍首相を持ち上げるわ、東京新聞の望月記者を私怨まじりに毎号叩くわ、と、まさにネトウヨ路線をそのまま紙媒体に持ち込んだような印象なのだが、新しいことに取り組もうという意識が多少感じられる。しかし、『新潮45』は、偏見かもしれないが、「二番煎じ」感が否めないのだ。

 だから愛読者の一人として提言するならば、どうも今の『新潮45』の路線は、うまくいかないような予感がしてならないのだ。そこへ案の定というか、今回の騒動だ。

 今回の騒動は、MXテレビが「ニュース女子」事件で足をすくわれたのとよく似ている。MXテレビも後発で新しいことにチャレンジしない限り生き残れないと、ゲリラ性やタブーに挑戦といった方針を掲げ、その挙句に手を染めてしまったのが「ニュース女子」の「沖縄ヘイト」番組だった。激しい社会的批判を浴びて、同番組を切り離したものの、あの騒動で同局の被ったイメージ悪化は相当なものだった。何やら今回の『新潮45』はそれとよく似ているのだ。

 この半年であれだけ急激に誌面の舵を切ったのは、それなりの覚悟を決め、そのくらい思い切ったことをやらないと生き残れないと考えたからだろう。先行2誌のマーケットの分析もそれなりにやったはずだ。

 でも『新潮45』というのは、かつてのノンフィクション路線もそうだし、もう少し独自の路線で評価を得てきた雑誌だったはずだ。今のような後追い路線で本当によいのだろうか。新潮社といえば、ノンフィクションにおいてもそれなりの伝統を誇ってきた出版社だから、今の『新潮45』の路線については、社内でもいろいろな見方が出ていると思う。今回の騒動を機に、今の路線について、もう一度検討してみてはどうだろうか。

 新潮社の看板雑誌『週刊新潮』もまた、今年に入って大きな誌面転換を図りつつある。これについては以前論評したから下記を参照してほしい。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20180630-00087688/

『週刊新潮』の「食べてはいけない」キャンペーンに『週刊文春』が異議申し立て

 「食べてはいけない国産食品」キャンペーンがようやく一段落して従来の誌面に戻ったとほっとしていたら、今度は「食べてはいけないペットフード」キャンペーンが始まって思わずずっこけた。事件ものや政治スキャンダルを得意としてきた『週刊新潮』も、生き残りを賭けて新たな路線に挑戦しようとしているわけだ。『週刊朝日』など、最近は本当に健康雑誌になりつつあるし、総合週刊誌全体として岐路に立たされているのは明らかだ。

 私は『週刊朝日』も好きな雑誌だったから、最近の変貌ぶりには正直言って残念な思いを禁じえない。それと同じような意味で、今の『新潮45』の路線には、そのまま突き進んで大丈夫なのかという危惧を持たざるをえない。

 雑誌ジャーナリズムが本当に難しい局面に至っている。生き残りを賭けた模索が必要なのは確かなのだが、このところ目につくそれぞれの方向性を見ると寂しい思いがして仕方がないのだ。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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