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相模原障害者殺傷事件・植松聖被告から届いた手紙

篠田博之月刊『創』編集長
植松聖被告から届いた手紙

 日本中を震撼させた津久井やまゆり園での障害者殺傷事件から7月26日で1年を迎えた。8月7日発売の月刊『創』9月号では「相模原事件後1年」という特集を組んでいるが、その中で植松聖被告の獄中からの手紙を全文公開している。彼はこの間、多くのマスコミの依頼に応じて自分の気持ちを手紙に書いているのだが、新聞・テレビは彼から手紙を受け取ったことは報じているが、詳しい中身を掲載していない。その理由は何よりも、植松被告の主張が昨年、事件を起こした当時と変わっていないからだ。その障害者への差別思想が改めて被害者や遺族を傷つけることへの配慮からだろう。

 その姿勢はひとつの見識だ。ただ『創』は独自の判断で、植松被告の手紙をなるべく詳細に取り上げていくことにした。新聞・テレビのように突然茶の間にメッセージが流れてしまうメディアと違って、雑誌の場合は目的意識的に購入するものだし、植松被告が何を語っているかを詳細に明らかにすることも事件を解明するうえで必要なことで、そのためには新聞・テレビより雑誌は適していると思う。

 今回、書かれた手紙を読んで、植松被告が昨年の犯行時と全く意識が変わっていないことも驚きではあったのだが、それだけでなく彼とのやりとりにはいろいろ興味深い事柄もあった。例えば以下のようなやりとりだ。私は彼に何回目かの手紙でこう書き送った。

《前回のお手紙で、あなたの考え全体はわかったのですが、気になるのは、あなたは津久井やまゆり園での職員としての仕事を通じて、そういう考えに至っていったわけですね。一般的に言われるのは、障害者と接している人たちは、世間の人と違って身近に接しているがゆえに障害者に対して愛情が生まれるということなのですが、あなたは障害者と接していった結果として逆というか、今のような考えに到達していったわけで、それはどういうきっかけでそう思うようになったのでしょうか。あるいはいつ頃からそう思うようになったのでしょうか。》

 植松被告が津久井やまゆり園の職員として勤務しながら、障害者への偏見を醸成させていったのは一体何によってだったのかというのは大事な論点だ。そして、私の問いに対する植松被告の7月25日の手紙の返事はこうだった。

《篠田先生の言われる「一般的」とは精神科医や障害者協議会の主張と思いますが、障害者施設や精神病棟など、閉じられた施設において管理する職員と利用者の間には支配・被支配の関係が構築されやすいことが指摘されています。

 アメリカの社会学者E・ゴッフマン氏が著書「アサイラム」の中で障害者施設などを「全制的施設」と呼び、その構図を説明しております。こうした施設の現場ではたびたび暴行事件が起きていることも報道されています。

 篠田先生は精神科医と親しい関係にあると思います。皆様のお人柄はそれぞれ異なると思いますが、「精神科医」はゴミクズです。その証拠に日本はウツ病と自殺者であふれております。》

 少々驚きだったのは、こちらからの問いを植松被告がきちんと読み取って返答していることだ。恐らく世間の多くの人は、あの信じがたい事件を起こした植松被告とは、相当に精神が崩壊しつつある人間というイメージを抱いていると思う。しかし、どうもそうではないらしい。私は連続幼女殺害事件の宮崎勤死刑囚(既に執行)と、彼が処刑されるまで12年間つきあったが、宮崎死刑囚の場合は明らかに精神的疾患の影響が感じられた。しかし、植松被告はそれとは印象が違う。

 彼があの犯行に至った想念を、精神的疾病によるものと考えるのかそうでないのか、言い換えれば「妄想」なのか「思想」なのかというのは、あの事件を考えるうえでの最大のポイントだが、どうも宮崎死刑囚のケースとはかなり違うようなのだ。逆に言うと、それゆえに問題は一層深刻だとも言える。ある種の精神的病気と解釈するのはひとつの理解可能な筋道なのだが、そうでないとすれば、彼の妄想をどう理解すべきなのか。彼は何によってある種の想念にとらわれることになったのか。

 考えてみれば、ユダヤ人虐殺の前に障害者を大量虐殺したナチスの場合も、別にそれを履行した人たちが精神的疾病に冒されていたわけではない。ある種の歪んだ思想の結果としてそれが敢行されたわけで、人間は状況によってそういうとんでもないことをしでかす存在なのだと考えるべきなのだろう。そして何人かの識者が指摘しているように、植松被告の歪んだ想念が、どうも世界的規模で拡大している排外主義的思想(日本におけるヘイトクライムもそのひとつだが)とどこかでつながっているのではないか、というのも気になるところだ。

 植松被告は朝日新聞や共同通信に送った手紙で、テレビで見たイスラム国とトランプ大統領候補から影響を受けたとも書いているのだが、それらが彼に具体的にどんな影響を与えたかは定かではない。イスラム国についてテレビで見た影響というのは、一見わかりやすいのだが、そういう因果関係についてのあまりにわかりやすい説明というのは疑ってかかる必要もある。またたびたび指摘された、彼が「ヒトラーの思想がおりてきた」と語ったという話も、今回本人に直接尋ねているのだが、7月21日の手紙で彼はこう書いてきた。

《私はユダヤ人や黒人を見下し差別することはございません。ナチスの優生思想や現代の共生社会は物事の本質を考えることなく短絡的な思考に偏り、人間の尊厳や定義が蔑ろにされております。

一、自己認識ができる。

二、複合感情が理解できる。

三、他人と共有することができる。

これらが満たされて人間と考えられます。

 勉強不足の至る所で日本の裁判に詳しいことが分からないのですが、たしかに責任能力の無い人間は罪を償うことができません。しかし、それは罪が軽くなる理由になるはずもなく、心の無い者は即死刑にするべきだと考えております。》

 殺傷事件から1年を機に、新聞・テレビは7月23日頃から相当な量の報道を行った。植松被告はそれらのメディアの取材依頼に対して、比較的丁寧に手紙による回答を行っている。したがって彼はこの間、相当数の手紙をマスコミあてに発信したことになる。

 そのことと絡めて気になるのは、彼は4カ月間に及ぶ精神鑑定を経て「責任能力あり」と判定され、2月24日に起訴されたのだが、それを機に接見禁止が解かれて以降、連日、新聞社の接見取材に応じた。接見は1日1組しかできないから、各マスコミが毎日、申し込み手続きを行い、きりがないと判断したのか、植松被告側から5日目になって、これ以上接見には応じられないと通告された。その後は手紙による取材依頼に対応していったのだが、ここで気になるというのは、この半年ほどの彼のこうした行動に、ある種の「意思」が感じられることだ。つまり彼は自分の障害者差別的な想念を、社会に伝えようという意思をいまだに持っているのだ。あの事件の起こした重大な結果にひるむことなく、いまだにその妄想にかられているのだ。

 その2月末からの一連の接見取材の内容は、運よく接見できた東京新聞、朝日新聞、毎日新聞、神奈川新聞によって報道されたのだが、彼はそこで謝罪を行ったのだった。例えば3月1日付東京新聞では、植松被告が「私の考えと判断で殺傷し、遺族の皆さまを悲しみと怒りで傷つけてしまったことを心から深くおわびします」と語ったことが報じられている。世間には彼が「謝罪した」という印象が広まったと思うが、問題はその中身だ。

 今回の彼の手紙によって改めて明らかになったのは、植松被告は事件については謝罪反省をしておらず、彼が謝罪したのは、障害者以外の家族や職員などを事件に巻き込んだことだった。

彼は昨年の事件の時も、侵入した津久井やまゆり園で、職員らには危害を加えるつもりはないことを告げており(実際には抵抗した職員などに暴力を行使しているのだが)、自分が何を標的にしているかについては明白な意思を持っていた。彼を支配している妄想は、彼の意識の中でどうも確固たる形をなしているようなのだ。

事件から1年目の津久井やまゆり園
事件から1年目の津久井やまゆり園

 さて、この事件の裁判で植松被告の刑事責任能力が大きな争点となることは間違いない。刑法39条では被告が犯行時、心神耗弱ないし心神喪失であったと判断された場合は、それぞれ罪を減じたり無罪にすることが決められており、弁護団も恐らくそれを主張すると思われる。

それゆえ植松被告の精神鑑定の中身は重要なのだが、起訴前の鑑定では、彼に「自己愛性パーソナリティ障害」という診断がくだされている。「パーソナリティ障害」は「人格障害」とも言われ、要するに精神障害ではない、病気ではないので責任能力はあるという診断だ。

例えば宮崎勤死刑囚の場合は、精神鑑定の診断が精神科医によって幾つにも分かれるという異例の事態となった。それだけ精神鑑定とは難しいものなのだが、社会で大きな問題になった事件の場合は、最終的に裁判所が採用するのは「責任能力あり」と認定したものであることが殆どだ。

 裁判所としては社会秩序の維持といったことを念頭に置いて裁きを行うからどうしてもそうなるのだが、私はそうした裁判をいろいろ傍聴してきて、「人格障害」という概念は、そういう裁きを行うために生み出された便利な概念なのではないかとまで、うがった見方をしてしまう。裁判は、犯罪を起こした人に対して「裁き」を行うのが第一の目的なのだが、人を裁くということと、事件を解明することとは必ずしもイコールではない。宮崎事件などは、責任能力を認めて死刑を宣告するために、彼が精神的な病気ではないと認定した結果、いろいろ無理が生じてしまったのは明らかだ。

 平成の時代になって、精神鑑定が裁判で大きな要因を占める、わかりにくい凶悪事件が目につく。宮崎死刑囚も池田小事件の宅間守死刑囚(既に執行)もそうだが、大体が「人格障害」と診断されて死刑になるというパターンだ。事件が複雑化しているのは、恐らく社会が複雑になっていることの反映だろう。そうした複雑な事件に対応するためには、私はこれまでの司法のシステムだけでは不十分な気がしている。今回の相模原事件も、これを裁判員裁判で果たして裁けるのだろうかという気がしてならない。

 犯罪の複雑化、あるいはその背景にある社会の複雑化に対応するためには、裁判官だけでなく、精神科医や社会学者など様々な専門家の叡智を結集しなければならず、そのための仕組みを整えていくことが、今、要請されているような気がする。そのためには、可能な範囲で事件に関わる情報を公開し、社会的議論を起こす必要があると思う。『創』が植松被告の言動をできるだけ詳しく公表しようと考えるのはそのためだ。私は宮崎死刑囚と長年関わって、彼の証言を2冊の彼の著作『夢のなか』『夢の中、いまも』にまとめたが、これは連続幼女殺害事件を考えるうえでの最も貴重な資料だ。

 相模原事件は、障害者差別や、措置入院の在り方、犯罪と精神医療との問題など、戦後、曖昧にされてきた深刻な問題を、パンドラの箱を開けるように表に引きずり出した。植松被告がそれをどこまで自覚して犯罪を犯したのかはわからない。ただ、この事件によって引きずり出された問題は、社会の側が相当本腰を入れて対応しないと、社会そのものが崩壊しかねないような要素を含んでいるように思える。事件直後には死者の多さをもって戦後最悪の事件などとも報道されたが、問題はそんなことではない。相模原事件はもっと別の意味で極めて衝撃的な事件だった。

事件から1年目の津久井やまゆり園献花台
事件から1年目の津久井やまゆり園献花台

 最後に、ぜひ参考にしてほしいという思いを込めて、ヤフーニュース雑誌に、『創』2013年9・10月号の精神科医へのインタビュー記事を公表することにした。池田小事件の宅間死刑囚の精神鑑定を行った岡江晃医師(故人)へのインタビューで、岡江さんは2013年5月に、その宅間死刑囚の精神鑑定書を一般向けに出版して話題になった。

私は京都まで岡江さんを訪ねてインタビューし、その後もメールでやりとりしていたのだが、そのやりとりの中で岡江さんががんに冒されて、余命を考えながら仕事をしていることを明かされた。精神鑑定書を公開したことは賛否あって物議をかもしたのだが、私には、岡江さんが自分の余命を考える中で何をなすべきか考えていたような気がしてならない。宅間死刑囚の鑑定書を社会に公開することも、精神科医としての社会的責任の取り方と岡江さんは考えていたのではないだろうか。その意味で、岡江さんのインタビューは今読み返しても深い意味を持っているし、「人格障害」について精神科医としてどう考えているのかも参考になる。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170804-00010001-tsukuru-soci

宅間守鑑定医が語る「人格障害とは何か」

一緒に、『創』2月号に掲載した障害者、海老原宏美さんの話もヤフーニュース雑誌に公開した。この1年間、相模原事件関連の記事を『創』はたくさん載せてきたが、その中でも反響が大きかったひとつがこの記事だ。植松被告の事件を障害者がどう受け止めているかという問題は、もっと論じられていい。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170803-00010000-tsukuru-soci

相模原事件について障害者の立場から思うこと   海老原宏美

今度発売される『創』9月号に掲載した津久井やまゆり園の「家族会」前会長の尾野剛志さんのインタビューにも考えさせられた。犠牲者19人の遺族や被害者の家族のほとんどが匿名を続けていることに対しての尾野さんの思いを語ったのが「黙ってしまうと植松に負けたことになる」という言葉だ。もちろん遺族が実名を名乗れない背景には、深刻な障害者差別があるわけだが、尾野さんはそれを承知のうえで、敢えて「黙っていては植松に負けたことになる」と語っているのだ。

凄惨な犯行に負けないためには、社会のいろいろな人がある種の覚悟を発揮することが必要だ。それは障害者に関わる人たちだけでなく、精神科医や法律家もそうだし、何よりもメディアに関わる人間にとってそうだと思う。相模原事件にどう立ち向かうかは、ジャーナリズムに関わる人たちにも、本当に大きな課題を投げかけている。相模原事件の解明は、まだ始まったばかりだ。身勝手な主張であることは同感だが、植松被告が社会に向けて何かを語ろうとしていること自体は、私には悪いことではないと思える。

 

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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