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大騒動の割に具体的事実が見えてこない「天皇陛下 生前退位の意向」報道は大丈夫なのか?

篠田博之月刊『創』編集長

7月13日夜、NHKの第一報を皮切りに怒涛のように始まった「天皇陛下 生前退位の意向」報道には皆が驚いたに違いない。14日の告示を前に盛り上がっていた都知事選報道を一時吹き飛ばしてしまうほどの大きな扱いだった。

しかも全マスコミをあげて一斉にその報道が始まったので、テレビが拾った街の声など、何か正式に発表があったのだと思い込んでコメントしている人が多かった。でもよく見ると、報じられた内容は「天皇陛下が生前退位の意向を示していることがわかった」というもの。しかも、その「意向」は何年か前から示されていたというもので、この報道には具体的事実(FACT)が欠けている。何年か前から天皇がそういう意向を語っていたとしたら、なぜそれがこのタイミングで一斉報道になったのか、そもそもその「意向」というのはどの程度具体的で明確なものなのか、これだけでは全くわからない。何とも曖昧な報道なのだ。

しかも、その夜のニュースで宮内庁次長が報道内容を否定していることも報じられた。皇室報道についてはこれまでも、正式発表まで伏せておくべき情報が事前に漏れてしまった場合は宮内庁が肯定しないことはあったようだから、それだけで誤りだとするのは早計だろう。でも、当然、第一報は曖昧だったとしても、その後次々と具体的事実が出て来るだろうと思っていたら、それがどうもそうでもない。この大報道、本当に大丈夫なのだろうか。

13日夜はテレビとネットニュースだったが、新聞は翌14日朝の各紙朝刊で、大きな見出しでその「生前退位の意向」というニュースを伝えた。そしてその段階で幾つかの具体的事実(FACT)が示された。例えば14日の読売新聞朝刊は《政府は、皇室典範改正などに関する「担当チーム」を作り、水面下で検討を行っている》と報じている。つまり天皇の「意向」を受けて具体的に担当チームが動き始めたということだ。

その担当チームについては、15日の東京新聞が「生前退位、年内にも骨子案 先月極秘チーム」という見出しを立てて詳しく報じている。それによると《政府内で杉田和博官房副長官をトップとする極秘の担当チームを六月に設置し、検討を始めていた》という。つまり6月に政府内のチームが動き出したということで、そうだとしたら、それが今回の報道のきっかけとなった可能性がある。

しかし一方で、宮内庁は次長に続いて14日の時点ではトップの長官までもが生前退位の意向について「そういう事実はない」と明確に否定した。マスコミでは既に、生前退位を前提にしていろいろな識者がコメントをしているのだが、この状況は極めてわかりにくい。いったいなぜ突然、何を根拠にこういう騒ぎになっているのか曖昧なのだ。

さらに細かく見ると、この杉田官房副長官率いるチームについても、わかりにくい報道が続いている。例えば14日の日経新聞夕刊は「皇室典範 改正検討準備へ」という見出しでその内容を伝えているのだが、菅官房長官の話としてこう書いている。《(菅官房長官は)「皇族の減少にどう対応するか、杉田和博官房副長官の下、内閣官房の皇室典範改正準備室を中心に検討している」と説明。ただ、準備室での退位制度の検討については「考えていない」と否定した》。皇室典範改正準備室が検討しているのは「皇族の減少にどう対応するか」で、退位制度の検討ではない、というのだ。

ただ、この記事は冒頭にこう書いている。《政府は、天皇陛下の生前退位の意向について宮内庁が公表するのを踏まえ、皇位の継承などを定めた皇室典範の改正や新法制定に向けた検討準備に入る方針だ》。近々、宮内庁も生前退位の意向について認め、政府も正式に検討準備に入るという記述に読めるのだが、記事全体が本当にわかりにくい。

天皇の生前退位の「意向」の中身について解説した記事もわかりにくい。例えば朝日新聞15日朝刊は「天皇陛下『ふさわしいあり方』重視」という記事で関係者の話をもとに天皇の「意向」について説明しているのだが、こう書いている。

《「生前退位」の意向を示している天皇陛下が、宮内庁が今年に入って公務軽減を検討した際に受け入れず、「象徴としてふさわしいあり方」ができないのであれば生前退位もやむを得ないとの意向を話していたことが宮内庁関係者への取材でわかった》。

文章自体がわかりにくいのだが、要するに天皇は公務を精一杯務めたいのに宮内庁が軽減を検討し始めたので、それならば生前退位もやむをえないと述べたというわけだ。そういう趣旨だとしたら、今騒動になっている報道とはニュアンスが違う。天皇の「意向」というのも曖昧なのだ。

『AERA』7月25日号は「天皇陛下『生前退位の意向』の波紋 なぜ『いま』だったのか」という記事を掲げているが、そのなかで元外務省主任分析官でもある作家の佐藤優さんはこうコメントしている。「天皇制という国家の民主的統制の根幹にかかわる重要なテーマについて、情報源が明らかでない報道によって世論が誘導されてしまうことは、非常に問題が大きいと思います」

この「生前退位の意向」報道はまだ続くだろうし、たぶん『週刊文春』や『週刊新潮』が次号で、その舞台裏も含めて報道するだろうから、いずれもう少しいろいろなことがわかってくるだろう。しかし、圧倒的な報道量であるわりに、テレビの報道情報番組では、被災地訪問など天皇の過去の業績を讃える映像がやたら挿入されているだけで、今回のニュースの核にあたる事実についての情報はほとんど伝えられていない。こんなわかりにくい報道でいいのだろうか。

もともと皇室報道というのはわかりにくいものだった。「菊のカーテン」という言葉があるように、情報源がオープンにならず、いろいろなことを忖度しながら報道するためだ。その象徴が、昨年12月の天皇誕生日をめぐる会見で「年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました」と天皇自ら述べたという話だ。今回の報道では、それが天皇の公務が多いことを示すものとして「生前退位の意向」とつなげて何度も取り上げられているのだが、もともと「行事の時の間違い」に天皇が自ら触れたのは少し違う文脈だったのではないかと思わざるをえない。

実は昨年、天皇が行事の時に間違えたケースは幾つかあった。最初に問題になったのは、8月15日の全国戦没者追悼式で「お言葉」を読みあげる手順を間違えたことだ。

続いて10月25日に富山県で開かれた「全国豊かな海づくり大会」でのハプニングだ。大会終了直前、県議会議長が閉会の言葉を述べようとした時、突然ステージ上の天皇が手招きした。台本になかった事態に議長が動揺して天皇のそばに歩み寄ると、天皇は「最優秀作文の発表は終わりましたか」と尋ねたという。それは30分前に終わった式のメーンイベントなのだが、それを見ていたはずの天皇からその質問が出たことで、議長は動転したらしい。

いや80歳を過ぎているわけだから、普通に考えればそのくらいのことはあっても不思議ではないのだが、この件は終了後記者と関係者の間で話題になったにもかかわらず、ほとんどの新聞・テレビが「デリケートな問題だから」という理由で報道を見送った。そして『週刊文春』11月12日号が「天皇『式辞ご中断』事件」という見出しで、大きく報じることとなった。新聞・テレビなどがタブー視して封印したことで、逆に週刊誌が「事件」として大きく報じることになった。

天皇の誕生日会見自体も、『週刊新潮』12月31日・1月7日号は「老いを告白された『天皇陛下』絶句15秒間の異変」と題して大きな記事にしている。会見の途中で15秒近い沈黙があり、周囲が緊張したというのだ。高齢だからそのくらいあっても不思議はないのだが、何しろ天皇であるだけに周囲はこわばり、新聞・テレビが報じないので、週刊誌が大事件として報じる。そういうちぐはぐさが、これまでの皇室報道の特徴だ。

天皇自身が会見で「行事での間違い」に敢えて言及したのは、相次いだ間違いが周囲をこわばらせ、タブーとして封印された事件として報道されるというあり方を危惧したためだろう。本人が口にすれば周囲も必要以上にこわばる必要がなくなるからだ。

思い起こせば1989年、昭和天皇が闘病の末に亡くなった時には、日本全国が異様な自粛ムードに包まれた。各地の祭りが次々と中止になり、明るいCMは放送中止になった。ついには当時の皇太子、つまり現天皇が、自粛ムードの行き過ぎを控えるよう提言するに至った。つまり当事者がそう語ることによって初めて周囲が異常に気をつかう事態は避けられる。昨年12月に天皇が敢えて「行事における間違い」に言及したのもそうした気配りなのだろうと思う。というのも、この何年かの週刊誌を含めた皇室報道をめぐる経緯を見ていると、皇室側も自分たちがどう報じられているか掌握しており、それに対応を講じている局面がしばしば見られるからだ。

当事者も望んでいないほどに周囲が自粛し、こわばってしまうというのは、歴史的に醸成された皇室タブーのせいだ。天皇をめぐる報道や情報は、この皇室タブーとの関わりでいつも妙な歪みを伴ってきた。特に終戦まで現人神だった昭和天皇をめぐっては強固なタブーが存在した。

『週刊新潮』の新聞広告
『週刊新潮』の新聞広告

例えば、ここに掲げた写真は1985年11月の『週刊新潮』の新聞広告だが、同様の車内吊り広告を見た右翼団体が、天皇の顔写真に文字が一部被さっているという理由で、新潮社に抗議に押しかけた。天皇の写真はかつて「御真影」と呼ばれ、特別なものだったからだ。そのほか『週刊SPA!』 の「大正洗脳」事件や『女性自身』の天皇写真裏焼事件など、誤植や印刷ミスで雑誌が回収になったケースも枚挙にいとまがない。ちょっとしたミスであっても、それが皇室絡みとなると次号でのお詫び訂正でなく、雑誌を丸ごと回収するという特別な措置がとられてきたのだ。天皇の代替わりを経て、皇室タブーも変容はしたのだが、いまだに皇室報道には特殊な要素が影を落とす。今回の生前退位報道も、少しずついろいろな事情が明らかにされて、もう少しわかりやすい報道になることを願うのみだ。

さて今回の皇室報道は大きな事件でもあるので、この後もフォローしていきたいと思うが、もう少し小さなことで最近ちょっと気になったことがある。映画「64-ロクヨン-」のことだ。昭和64年の少女誘拐殺人事件といえば、私はすぐに宮崎勤事件を思い起こすのだが、この映画が舞台背景とした「昭和の終わり」と宮崎事件はネットでもほとんど関連づけて語られていない。実は宮崎事件と昭和天皇の死去というのは大きな関わりがあるのだが、それはほとんど語られないまま封印されてきたような気がする。

今回の退位報道とは全く別な話だが、これについては改めて書くことにしよう。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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