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SMAP解散騒動とは結局何だったのか。芸能マスコミの報道への疑問

篠田博之月刊『創』編集長

1月18日(月)の謝罪会見、21日(木)発売の『週刊新潮』へのメリー喜多川副社長の登場と、SMAP分裂騒動はほぼ一段落したと言ってよいだろう。芸能マスコミはもちろん、朝日新聞や毎日新聞など一般紙が異例の大きさで報じたことでわかるように、ある種の社会的事件として扱われたこの騒動だが、今のところ「解散が回避できてよかった」という声が一般的だ。スポーツ紙などは、21日夜にジャニーズ事務所の親睦会が開かれたとか、「SMAP×SMAP」の収録が無事に行われたとか、「良かった良かった」という報道を行っている。

騒動は結局、「勝てば官軍」で、ジャニーズ事務所の意向にそって解説がなされることになるのだが、SMAP解散騒動とは結局何だったのかについてはもう少し冷静に考えてみる必要があるように思う。退社を表明した飯島三智チーフマネージャーと行動を共にすることを一時表明したSPMAPメンバー4人による「造反劇」が失敗に終わったという見方は、現象的には間違いではないのだが、どうも一連の経緯を見ていて、そんなジャニーズ事務所側に立った総括で本当によいのかという疑問が拭えないからだ。

そもそも飯島氏とSMAP4人が新事務所に移って活動を始めたとして、それがうまくいく可能性が低いことは明らかだった。これだけ芸能界で権勢を誇るジャニーズ事務所と対立する形で芸能活動を行うとなれば、今までは飯島詣でを行ってきたテレビ局だってジャニーズ事務所の意向を忖度して手のひらを返すように態度を変えるのは目に見えている。

今回、『週刊新潮』1月21日号が報じ、あちこちに流布されながら、NHKとジャニーズ事務所が「誤報だ」と強く批判している、昨年末の紅白歌合戦をめぐる双方の確執も、真偽はともかく極めてわかりやすい話だ。飯島氏が紅白の司会にSMAPを推挙したのだが、ジャニーズ事務所がそれに反発して、そうするなら他のメンバーを引き上げると言い、結局飯島氏の思惑は頓挫、メリー喜多川氏お気に入りの近藤真彦氏が紅白のトリを務める形で落ち着いたという話だ。部分的に事実と違うのか、あるいは全体が事実でないのか詳細は不明だが、年末にかけて事務所と飯島氏がそこまで激しく対立していたというエピソードとしてはわかりやすい。

飯島氏は、昨年秋から弁護士を立ててジャニーズ事務所と交渉してきたというから、できれば円満退社してSMAPと新たな芸能活動を行うことが許されないかと探ってきたのだろう。しかし、ジャニーズ事務所がそんなことを認めるわけはなく、事務所を抜けるならSMAPという名称は使わせないと主張したはずだ。そうした決裂から飯島氏は自分が退社する道を選択せざるをえなくなり、それに同情するメンバー4人が行動をともにすることを表明したという経緯なのだろう。つまり飯島氏の「造反」というのは、追い詰められたうえでの選択だったというのが真相だと思う。

この騒動を理解する鍵が『週刊文春』2015年1月29日号での、ジャニーズ事務所の女帝メリー喜多川副社長のインタビュー記事であることは間違いない。そこで彼女は、ジャニーズ事務所の後継者が娘の藤島ジュリー景子副社長であることを宣言し、「対立するならSMAPを連れて今日から出て行ってもらう」と飯島氏を呼びつけて引導を渡した。「SMAPを連れて」というのは成り行き上言ったもので、実際には飯島氏がSMAPを引き連れて独立するなどというのを許容するはずはない。要は、言うことを聞けないならお前は辞めろ、と飯島氏に言い渡したわけだ。それがきっかけで双方の対立が深まり、結局、飯島氏は事務所を去ることになった。結論的に言えば、今回の事態の本質は「飯島三智チーフマネージャーの追放劇」だったというのが正確ではないのだろうか。

ジャニー喜多川社長ももう84歳だし、一世でジャニーズ帝国を築き上げたふたりにとっては、早急に娘の権威を事務所内で確立し、娘を後継者とするレールを敷きつめておかなければならなかった。そう考えると、メリー喜多川氏が1年前にそれまでジャニーズ事務所の天敵だった『週刊文春』に敢えて登場するというインパクト十分な挙に出たことも、今回、事態が膠着するタイミングで『週刊新潮』1月28日号に登場したことも、考えたうえでの行動だったことがわかるだろう。

つまり今回の騒動は飯島氏らの「造反劇」というより、本質は後継問題を憂えたジャニンーズ事務所トップによる「飯島追放劇」と見るべきだろう。それを1年かけてメリー喜多川氏はやり遂げたのだ。

今のジャニーズ事務所の権勢が、トップ二人の才覚によるものだったことは明らかだが、例えばかつてのナベプロ王国が、娘の世代になって一気に権勢が衰えたことでわかるように、カリスマ亡き後の事務所の権威が今のまま続くことはありえない。ジャニー・メリー二人のトップにとって、その高齢を考えれば当然、自分たちが元気でなくなった時に娘は果たして今のジャニーズ事務所をこのまま維持できるのか不安になっているのは間違いない。メリー喜多川氏が敢えて飯島氏に引導を渡したのも、そうした考えからだろう。

だからそう考えれば、今回のSMAP分裂騒動は、結果的にはジャニーズ事務所トップの意向にそった形に落ち着いたといえる。次回の「SMAP×SMAP」収録現場を既に飯島氏に替わって藤島ジュリー景子副社長が仕切っていたという報道や、「これでSMAPと嵐の共演も可能になる」などという報道など、芸能マスコミはジャニーズ事務所が喜びそうな話を盛んに書きたてている。もちろん芸能マスコミもテレビ局も勝ち馬に乗らなくてはならないから当然なのだが、今後は、造反の首謀者・飯島氏をますます悪者にしていくことになるのだろう。

一方で今回も目についたのは、これまでも「ジャニーズ事務所と闘うメディア」であることを存在意義にしてアピールしてきた東京スポーツや日刊ゲンダイがかなり独特な報道を行っていることだ。東スポのこの間の報道を見ると、1月20日付紙面の見出しは「中居ら4人 公開処刑全真相」、21日は「SMAP生謝罪 やらせだった」等々。今回の騒動をめぐる報道合戦で遅れをとったために、他紙と同じような報道では埋没してしまうと考えたのだろう。またネットでも、18日の謝罪会見を「公開処刑」と表現するなど、ジャニーズ事務所「良かったね」という見方でない言説があふれている。

これまでテレビ局やスポーツ紙などの芸能マスコミに対しては、ジャニーズ事務所は「制圧」といってよいほど支配力を保ってきた。だからその流れからすれば、「良かったね」報道がしばらく続くことになるのだろうが、戦勝側に媚びを売るかのように見える最近の報道には、いささか違和感を禁じ得ない。テレビ界やCM界が最近まで飯島氏を持ち上げていたことを思うと、なおさらだ。

そういえば飯島氏とは一度だけ電話で話したことがある。かつて『創』が誌面でジャニーズ事務所のメディア支配を批判する連載を行った時、事務所から内容証明を送られ、かなり執拗な攻撃を受けたのだが、ある晩残業をしていると突然電話がかかってきて、受話器をとると「飯島ですが」と名乗ったので驚いたことがあった。何と、顧問弁護士に電話しようと思って、間違えて敵であるはずの『創』に電話してしまったらしい。気が付いてすぐに先方から電話を切ったが、「あ、この人が噂の飯島さんか」と思った。当時は飯島氏はまさにジャニーズ事務所の有力スタッフとしてそういう業務を行っていたわけだ。

今回の報道でスポーツ紙などが飯島氏を匿名で報じているのが不思議だが、テレビやCMの業界では、SMAPと仕事をするなら飯島氏の覚えめでたくないと無理だとされ、「飯島詣で」が行われてきた。彼女は単なるマネージャーにとどまらず、やっていることから言えばまさにSMAP担当のプロデューサーと言ってよい立場だった。

その彼女が今回のような形でジャニーズ事務所を追放され、テレビ界や芸能マスコミが手のひらを返したように事務所側の意向にそうようになった現実を、果たしていま、どんなふうに感じながら見ているのだろうか。『創』は判官びいきで、常に世の中で叩かれている側の声を取り上げてきたから、いま飯島氏がどう感じているか話してくれたらぜひ誌面で取り上げたいと思うのだが、まあそれは無理だろうな。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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