皆、遠慮して言わないけど、『火花』が209万部ってどうなの?

又吉直樹さんの『火花』の発行部数が209万部に達したという。電車の広告ではいまだに「120万部突破」と書かれている。広告を差し替えるのが追いつかないほどの勢いで増刷がかかっているのだ。7月半ばの芥川賞受賞発表までは60万部強だったから、半月で100万部以上の増刷がかかったわけだ。

いま出版界は深刻な不況で、特に文学とノンフィクションのジャンルは本が売れないから、業界がこぞって『火花』ヒットさせようとしたのはよくわかる。特に芥川賞はこのところ、受賞が話題になることが多いから、今回も関係者はいろいろ考えたのだろう。その結果、予想をはるかに上回るベストセラーが誕生したわけだ。業界の多くの人がほっとしたし、これが起爆剤になって少しでも出版界が活性化すれば、と思ったことだろう。

でも、どうなんだろう。そのブームはいまや独り歩きしてしまっているし、こういう現象って本当に出版界にとって良いことなのだろうか。出版界ではこの10年程、「メガヒット現象」と言って、特定の本に売れ行きが集中し、それ以外は本や雑誌がさっぱり売れないという状況が加速している。今回の現象はそれを象徴する事柄だ。

お笑いの世界でもブームが訪れては翌年にはそれが消えていくという現象が続いているが、『火花』のブームも「お笑い芸人が初めて芥川賞受賞」という話題性が、普段本を読まない人にも関心を抱かせる要因になっているのは明らかだ。購買動機が「話題を消費する」ことだから、『火花』の売れ行きが爆発的であっても、それが他の文芸書に波及していくとは思えない。

『SPA!』8月11・18日号の「文壇アウトローズの世相放談『これでいいのだ!』」で文芸評論家の坪内祐三さんがこう語っている。

「今回の芥川賞に関しては、周りのはしゃぎっぷりは見苦しいね。『週刊文春』のグラビアでさ、選考委員の島田雅彦や山田詠美たちが又吉さんを囲んで嬉しそうに写ってたでしょ。あれはサイアク。芸能と文学は五分と五分のはずなのに、あれを見ると文学が芸能に負けちゃってるんだよ」

「芸人が獲ったってだけで、こんなにみんなはしゃぐなんて、今回の芥川賞で、いよいよ文学が滅びたなって感じがするんだよ。少なくともオレの考えてる文学は滅びた感じがする。又吉さんの作品が文学なだけに、それが際立つよね。文学的な作品が芥川賞を獲って、それで文学が滅びたってところがいいよね」

断っておくが、又吉さんの『火花』が作品としてだめだと言っているのではない。それを文学として評価したうえで、今回の騒動については「文学が滅びた」と言っているのだ。

この何年か、出版界では「良い本が良い本だという理由だけで売れる時代は終わった」と言われている。映像化によってブームを作り出すとか、何かの賞を受賞して話題になるとか、そういうプロモーションを行っていかないと、良い本でもヒットは望めないという状況なのだ。

文藝春秋にプロモーション局が設置されたのは2012年だ。そのプロモーション主導で作り上げたミリオンセラーが阿川佐和子さんの『聞く力』だった。いや別に阿川さんの本が、中身がないのにプロモーションで売ったと言っているのではない。でもあの本がミリオンセラーになっていったのを見ると、マーケティングとプロモーションの勝利だという印象は否めない。

最近は、本は「一部の売れる本とそれ以外の本」に大別されると言われる。文藝春秋も新潮社も、ごく一部のメガヒットとなった本の売り上げで書籍部門全体を引っ張るという構造が定着しつつある。特定のメガヒットとなった本を除くと、書籍部門が対前年比マイナスだったりするのも珍しくない。

文藝春秋がプロモーション局を作ったり、新潮社が「映像化推進プロデューサー」という妙な肩書のスタッフを置いて、文芸作品の映像化を意識的に働きかけたりしているのはそのためだ。何らかの仕掛けによってベストセラーを作り出すというのを、意識的にやっていく、それが当たり前の時代になった。同じ作家の作品でも、映像化などで話題になったものとそうでないものとでは部数に極端な違いが出たりする。

今回の『火花』の芥川賞受賞や、それを機に一気に何十万部も増刷をかけ、「100万部突破」というニュースによって話題を加速していくという手法は、『聞く力』で成功したやり方だ。文藝春秋も幾つかの経験を経て、プロモーションがうまくなっているといえる。

その手の手法としては、ドラマ化・映画化はもちろんだが、何かの賞をとらせて話題を作る、あるいは年末のいろいろなランキングに作品をすべりこませ、それを宣伝に使っていくなど、大手出版社ではそれが当たり前になりつつある。

戦後、日本の出版界は一貫して右肩上がりの成長を続け、経済的な不況に陥っても本だけは読むというのが日本人の特性と言われてきた。出版界にとっては、牧歌的で幸せな時代だった。しかし、その出版界は1990年代半ばをピークにいまや落ち込む一方だ。本が売れないと言われるなかで、ヒットを出すには何らかの「仕掛け」が必要になった。

その意味では『火花』は幾つかの仕掛けが完璧に功を奏した事例だろう。でも、それが100万部を超え、200万部を超え、という異常なブームになってしまうと、喜んでばかりはいられない気もする。作品の消費のされ方が、お笑い界のブームや、健康本が一過性でブームになってしまう経過とよく似ているのだ。これって出版界にとって健全なことなのか。

救いなのは、こういうブームのなかで、当事者の又吉さんが決して浮かれていないように見えること、あるいはこの現象を冷静に受け止める空気もまだ残っていることだ。

最近読んでおかしかったのは、『火花』の特集を組んだ『ダ・ヴィンチ』7月号での、又吉さんと樹木希林さんの対談だ。例えばこういうやりとりだ。

「樹木 それで今日はこうして又吉さんのすべてを取材するという企画に呼ばれたわけですけれど、私、又吉さんについて何も知らないんですよ。『火花』も読んでないし。読んでないのに訊くのもどうかと思いますけど、どうなんですか、『火花』は」

『火花』特集で作者と対談するのに、その本を読んでないというのは、ほかの人だったら「バカヤロー」と言われるところだが、このへんは希林さんならでは、だ。で、それに対して又吉さんがどう答えているかというと、

「又吉 そうですね。自分の中では面白いのが書けたって思ったんですけど、どうなんですかね」

それに対する希林さんの答えがこうだ。

「樹木 私に聞かれても。読んだ人に聞いてみたら、その人は『ああいう系統のものは、私はあんまり好きじゃないです』って。そういう人もいますよね」

希林さんのこういう反応それ自体が、ある種の「批評性」のなせる技だ。それを感じたのは、例えば先頃、大ヒットした映画『駆け込み女と駆け出し男』のヒット記念の舞台トークで原田眞人監督との掛け合いをした時、普通はご祝儀も兼ねて作品や監督をほめて終わるのだが、希林さんはキャストやストーリーについてのやや辛口のコメントをした。それが、作品へのリスペクトを保ちつつ、的確な批評だったので、聞いていて本当に感心した。

もちろん、この『駆け込み女~』は素晴らしい映画だし、原田監督は上映中の『日本のいちばん長い日』も含めて、最近本当に力を感じさせる。でも、その監督を目の前にしてきちんと「批評」を語る希林さんには敬服した。近年、映画や本に対して、きちんとした「批評」にお目にかかる機会が少ないのだが、希林さんのコメントはすごい。『ダ・ヴィンチ』の対談でも、希林さんは『火花』ブームに全く迎合していない。

映画や本について最近気になるのは、プロモーションあるいは宣伝と、「批評」の区別がなくなってきていることだ。出版界が苦境に立たされているので、何とか1冊でも売れてほしいという善意の気持ちが前面に立って、ただ誉めるだけのコメントが目につく。

『ダ・ヴィンチ』での対談について言えば、希林さんが又吉さんに日本ペンクラブへの入会を盛んに勧めていて、このやりとりも面白い。私も言論表現員会副委員長として関わっている日本ペンクラブでは、井上ひさし会長の時代をピークに会員数減少に見舞われ、今年は文学賞受賞の作家に声をかけているのだが、希林さんはペンクラブの関係者でもなく、前日にたまたま吉岡忍さんに話を聞いて、説得役を買って出たらしい。そういう事情を知って読むと、この対談でのペンクラブ入会をめぐるやりとりもサイコーに面白い。

話を戻す。『火花』の売れ行きは、当事者たちの思惑をはるかに超えているのだが、この現象については、もう少しきちんと議論したほうがよいと思う。前述した『SPA!』での坪内さんと福田和也さんの対談以外は、あまりそこに踏み込んだ論評が見られないのが残念だ。だって、どう考えても、この売れ方って異常でしょう。出版界にとっても素直に喜んでいられる現象ではないと思うのだ。