「黒子のバスケ」最終回発売日に脅迫犯・渡邊被告が控訴声明

2014年9月1日付の控訴についての声明

『週刊少年ジャンプ』の人気連載マンガ「黒子のバスケ」が本日2014年9月1日発売の号をもって終了となった。奇しくもそんな日に「黒子のバスケ」脅迫犯・渡邊博史被告のコメントを公表することになったのは、単なる偶然である。渡邊被告は収監後このマンガを読んでいないから、連載終了の話も知らないと思う。一度、単行本新刊を差し入れようかと言ったら、もう見たくないと即答した。

冒頭意見陳述で「人生で初めて燃えるほどに頑張れたのが一連の事件だった」と語っていたほど脅迫に執着した彼だったが、同時に裏を返せば犯行の間ずっと「黒子のバスケ」についての強迫観念に囚われ、そこから逃げようとしていたとも言える。彼がなぜ「黒子のバスケ」作者に執着したのか、最終意見陳述の関連部分を後ほど引用しよう。

さて、9月1日午前中、渡邊被告は一審の実刑判決に対して控訴手続きを行った。控訴しないと言っていたことに反するので、それについてのコメントを出したいという本人の希望を受けて、以下にそれを公開する。

控訴についての声明

「黒子のバスケ」脅迫事件犯人の渡邊博史です。誠に以て勝手ながら、一身上の都合により控訴させて頂きます。自分は判決には不服はありません。控訴の理由はどうしても下獄前に済ませておきたい用事がまだ残っているからです。それが終わりましたら、すぐに控訴を取り下げます。冒頭意見陳述で控訴しない旨を表明しておきながら、それを違えることになってしまい慚愧に耐えません。遅くても来月中には控訴を取り下げて判決を確定させる予定です。             2014年9月1日 元EXOペン 渡邊博史

「黒子のバスケ」連載終了について渡邊被告がどんな感慨を漏らすかは改めて聞いてみたいと思うが、ここでは彼にとって「黒子のバスケ」とはどういう存在だったのか。それを示す最終意見陳述の関連部分を引用しておこう。

《自分は逮捕されてからの取り調べで「『黒子のバスケ』の作者氏の成功への妬み」と動機について自供しましたが、自分であまり納得できていませんでした。自分は検事さんに、

「もし自分の身近にジャンプで連載したものの10週間で打ち切りになって、その後にマンガ家を廃業して全く関係ない仕事に就いている人がいたら、その人にも何か悪さをしていたかもしれません」

と申し上げました。これはずっと自分が思っていたことでしたが、検事さんにはスルーされてしまいました。検察の人事異動で自分の担当の検事さんが替わりました。新しい検事さんによる最初の取り調べで、

「あなたの人生は不戦敗の人生ですね。それがつらかったんでしょう」

と検事さんから言われました。自分はその一言がきっかけで気がついたのです。自分は「黒子のバスケ」の作者氏の成功が羨ましかったのではないのです。この世の大多数を占める「夢を持って努力ができた普通の人たち」が羨ましかったのです。成功した人たちは即ち努力した人たちです。自分は「夢を持って努力ができた普通の人たち」の代表として「黒子のバスケ」の作者氏を標的にしたのです。

自分は「黒子のバスケ」の作者氏の成功を見て「マンガ家を目指して挫折した負け組」という設定が嘘であり、自分は負け組ですらないという事実を突きつけられたような気がしたのです。

キーワードはバスケと上智大学でした。この2つは自分の中で無意識裡に自分ができなかった努力の象徴となっていました。自分は重度のバスケのユニフォーム姿のフェチでしたからバスケは納得できます。ただ上智大学の方はその瞬間になるまで完全に忘れていました。自分の学歴コンプレックスがこのような事件を招いてしまうほどに深刻だったとは、自分でも全く想像できませんでした。

こうして「マンガ家を目指して挫折した負け組」という設定が崩壊し、社会とつながる仮設の糸が切れて、自分の存在が一気に不安定な状態になってしまったのです。

さらに「黒子のバスケ」の作者氏が新宿の生まれ育ちと知り、新宿の住民としても流れ者の自分より遙かに格上だと感じました。自分は新宿の街から「ホームレスの半歩手前の底辺のお前なんかより郷土の誇りである藤巻さんを選ぶよ」と罵られたような気がしました。こうして「新大久保の住人」という仮設の糸も切れました。

そして「黒子のバスケ」の人気が同人誌の世界でも急上昇しました。自分は同人誌の世界から、「藤巻さんは元ネタの原作者という同人誌の世界の神だ。お前はその下の下の下の下に寄生する有象無象の1人でしかねえんだよ」

と罵られたような気がしました。こうして「同人誌の世界の片隅の1人」という糸も切れました。

自分は完全に糸が切れた「浮遊霊」の状態になりました。自分の存在が完全に消失したかのように感じました。不条理小説の書き出しの一文のようですが、

「今日、自分を喪失した」とでも表現すべき状態になってしまったのです。》