【《ボロフェスタ》が京都で愛される理由】前編~音楽が日々の生活と地続きであることの豊かさ

15周年だった2016年開催時の様子。京都御所横のKBSホールが現在の会場だ

 京都大学西部講堂で第一回目が開催されたのが2002年のこと。長い歴史と成熟を持つ京都のライヴ・シーン、ロック・シーンの現場がそのままフェスへと昇華したような《ボロフェスタ》も、KBSホールにメイン会場を移して今年で10年、通算では実に17回目を迎える。過去に多くの人気バンドが出演してきたそんな手作りフェスの開催が、今年も約1ヶ月後に近づいてきた。tofubeats、サニーデイ・サービス、浜野謙太率いる在日ファンク、MOROHA、fox capture plan、そして地元京都からは岡崎体育、Homecomings、台風クラブら既に発表になっているラインナップに加え、新たな出演者も追加発表(BiSH、打首獄門同好会、OGRE YOU ASSHOLE、アシュラシンドローム)。開催に向けていよいよ現場は慌ただしくなってきたようだ。そこで、イベンターを介さない自主開催を徹底して貫いている運営の肝はどこにあるのか、主催スタッフの一人、西村雅之氏への取材をもとに、前編・後編に分け、改めて《ボロフェスタ》が愛される理由、その意義や必然を考えてみたい。(西村雅之氏以外の写真はボロフェスタ提供)

「モグラ(土龍)」の愛称で慕われる西村雅之氏 (筆者撮影)
「モグラ(土龍)」の愛称で慕われる西村雅之氏 (筆者撮影)

出演者とお客さんだけではない、スタッフも主役というスピリット

 町のサイズの割に、京都市内には実に多くのライヴ・ハウスがある。ライヴに特化した会場だけではない。生演奏やDJイベントを催すカフェやバー、あるいは書店やCDショップなどを含めると音楽が楽しめる場は年々増えていると言っていい。独自の音楽文化が、しかも多様性を帯びながら歴史を重ね成熟している様子は東京や大阪にも負けず劣らず年々顕在化する傾向にある。

 毎年10月に開催される《ボロフェスタ》は、国内に数ある音楽フェスの中でも、そうした“音楽の町”たる京都の日常の延長線上にあるものだろう。会場をKBSホールに移して今年で10年目。ゆらゆら帝国、くるり、大森靖子、遠藤賢司、はちみつぱい…といったベテランや人気アクト、地元京都の若手まで数々のアクトたちが過去出演をしてきた《ボロフェスタ》は、今日の産業化されたフェス文化とは一線を画し、イベンターを通さない手作り開催を今なお貫いている。だが、注目すべきはそのハンドメイドな側面だけではない。立ち上げ時からのスタッフの一人で、普段は二条城近くのライヴ・ハウス《nano》の店長をつとめる西村雅之氏は、《ボロフェスタ》の特殊な立ち位置をこのように分析する。

 「他のフェスとの一番の違いは、スタッフが裏方ではないところ。例えば僕はMC、パーティー・ナビゲイターとしてたぶん一番目立っているし楽しんでいる(笑)。食事や飲み物の手配も全部スタッフが作ったり用意したりしているけど、それは決してただの裏方仕事ではないってことなんです。出演者やお客さんと同じくスタッフも主役、大切な存在。それを僕自身《ボロフェスタ》を10年以上続けてきた中で培ってきた気がしています。そういう意味で一番大事なのは、実はスタッフとの付き合い方。ブッキングが大事なのはもちろんですけど、スタッフも楽しんで主役を張るくらいの意識がないと面白くないですよね。四条通界隈で開催されるサーキット型の《いつまでも世界は...》や、円山公園野外音楽堂で行われる《Rainbow's End》といった、《ボロフェスタ》以降に誕生したフェスを運営している連中にも、スタッフとの付き合い方が大事だよね、彼らが主役だよね、と話したりしています」(西村雅之氏)

見えないところでスタッフ一人一人が体を張って現場で活躍
見えないところでスタッフ一人一人が体を張って現場で活躍

京大吉田寮、西部講堂での体験がいつしか糧に

 《ボロフェスタ》に関わるスタッフは150名ほど。その半分が学生というのはいかにも大学が多い京都らしいが、「モグラ(土龍)」の愛称で親しまれる西村氏自身、京都大学の学生だった頃から日常の中に音楽があり、その現場で誰よりスタッフたちが楽しんでいる状況を見てきたことが大きかったと述懐する。言ってみれば、《ボロフェスタ》の萌芽は西村氏の大学生活の頃に既にあった。西村氏とともに幹部スタッフとして現在も運営に携わる飯田仁一郎(Limited Express(has gone?))、ゆーきゃん(シンガー・ソングライター)も京都の大学出身。それぞれ大学時代から音楽活動を始めていただけに学生がスタッフとして関わることに寛容だ。そして現在は、《ボロフェスタ》がスタートした頃に産まれたような10代もスタッフに応募してくるようになった。熱心に参加を希望する人は基本全員受け入れているという。

 「僕の場合、今思えば、京都大学吉田寮の食堂で行われていたイベントに参加したり、西部講堂での公演を間近で見た経験が大きかった。僕が見た頃はキセル、キング・ブラザーズ、ちぇるしぃといったバンドが吉田寮の食堂でのライヴをやっていて、もちろんその演奏も素晴らしかったけど、何より主催者、企画したスタッフがとにかく最高に楽しんでいたんです。送り手の顔が見えるということ、多くの人間同士がそこで交わっているということの素晴らしさをその時実感したんでしょうね。今、僕が毎日《nano》というライヴ・ハウスで実践していることはまさしくそれだと思うし、《ボロフェスタ》はそんな毎日の積み重ねの上にあるんだと思っています。そういう意味でも、やっぱり《ボロフェスタ》は年に一度のフェスではなく、京都の町の日常と地続きだと思いますね」(西村氏)

初日の開催宣言は西村氏自ら手作りセットに乗って行われる
初日の開催宣言は西村氏自ら手作りセットに乗って行われる

最終日のエンドロールまで見届けてほしい

 76年に京都市で生まれ、ずっと京都で暮らしてきた西村氏。《ボロフェスタ》初日には自らステージにあがりMCとして開催宣言をし、最終日にも感謝の言葉を伝えに登場する。開催中、ツナギを着て汗だくになりながら会場をウロウロする姿も今や風物詩だ。そんな西村氏は、自転車に乗って《nano》に“出勤”し、その日の公演が終わったら仲間の店に寄って一息ついてから帰る、そんな音楽漬けの何気ない毎日を送っている。近年、8月にプレイベント《ナノボロフェスタ》が《nano》で行われるようになったのも、《ボロフェスタ》がそんな日常の小さなカケラを集めたフェスであることを証明しているだろう。

 「もちろん、肝心のライヴがちゃんと行われること、素晴らしい演者による素晴らしいパフォーマンスがお客さんにちゃんと届けられることは大事です。その点で一番大事なのは舞台監督とタイムキーパーだと思います。《ボロフェスタ》ではその仕事もプロに外注せずにスタッフが担当しているんですけど、みんな集中してよくやってくれている。スタッフの中でも舞台監督やヤイムキーパーがアーティストやお客さんに一番失礼があってはいけない立場だから、《ボロフェスタ》もそこがしっかりしているイベントでありたい。ただ、僕はそれでも思う。主役として現場で一番楽しんで目立つくらいじゃないと面白くないと。その楽しむ姿勢がアーティストにもお客さんにも伝わるんだからと。毎年新しいスタッフには言うんです。最終日の最終アクトが終わってから映像として流れる恒例のエンドロールを必ず見届けなさいと。そこに自分の名前があることに感動して泣き出す学生スタッフもいますけど、スタッフも主役っていうのはそういうことなんですよね」(西村氏)

スタッフが夜なべ仕事で看板やセットを準備
スタッフが夜なべ仕事で看板やセットを準備

まるでロック・バンドが渦巻く京都を舞台にした“ライヴ音楽作品”

 《ボロフェスタ》は看板、舞台セット、案内板などの小道具も手作り。スタッフに応募してくる学生の多くがペンキまみれになって準備をしている。エンドロールにはそんな映像が使われたりもするが、つまりは《ボロフェスタ》とは、次々と若い世代からもロック・バンドが現れ、世代を超えて交わり、今なおホットに演奏し続ける京都の町を舞台にした一つの壮大な“ライヴ音楽作品”ということなのかもしれない。

 「最初はあのエンドロールはなかったんです。映像を手がけるスタッフが加わってくれたことで今やなくてはならない毎年恒例のものになった。そうやって少しずつ成長していくのが僕らも面白いんですよ。過去には京都を拠点とする劇団《ヨーロッパ企画》に出演してもらったこともありましたけど、これからも音楽だけじゃない、演劇、映画、ファッション…様々なカルチャーと交わりたいですね。そういう意味では、《ボロフェスタ》は僕らだけじゃなく、まさにみんなで作っている“音楽作品”。もっとも、実は今年の準備もまだまだこれからなんですけどね(笑)」(西村氏)

後編に続く

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ボロフェスタ公式サイト