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韓国の英雄パク・チソン氏インタビュー「監督でも解説者でもない、新たなサッカー人生」

慎武宏ライター/スポーツソウル日本版編集長
撮影:富岡秀 Shu Tomioka(Kaz Photography)

現役時代は韓国代表として3度のワールドカップ出場を誇り、Jリーグの京都パープルサンガ、オランダのPSVアイントホーフェン、イングランドのマンチェスター・ユナイテッドで活躍したパク・チソン。2014年5月に33歳で現役を引退したが、アジアへの愛着は強く、韓国はもちろん、日本のサッカーにも熱視線を送っていることは、前回のインタビューで紹介した通りである。

(参考記事:韓国の英雄パク・チソン氏インタビュー「日本サッカー」を大いに語る)

現役時代のパク・チソン氏(写真:ロイター/アフロ)
現役時代のパク・チソン氏(写真:ロイター/アフロ)

そんなパク・チソンは引退後、マンチェスター・ユナイテッドの公式アンバサダー(大使)やAFC(アジアサッカー連盟)社会貢献分科委員を務める一方、2016年3月からFIFAマスターコースを履修した。

FIFAマスターコースとは、FIFA(国際サッカー連盟)が運営する大学院だ。クラブ運営や国際組織をマネージメントする上で重要な組織論や法律など、スポーツマネージメント全般を学ぶ。

日本では、元代表主将の宮本恒靖氏が修了したことで有名だが、パク・チソンもこの夏、約1年間に及んだ全行程を終え、無事に卒業した。今回はパク・チソンが何を学び、どんなセカンドキャリアを描いているかについて紹介したい。

撮影:富岡秀 Shu Tomioka(Kaz Photography)
撮影:富岡秀 Shu Tomioka(Kaz Photography)

■元日本代表・宮本恒靖氏も学んだFIFAマスターコースへ

――FIFAマスターコース、卒業おめでとうございます。

「いや、本当に大変でしたよ。宮本さんが修了していたのは入学してから聞いたのですが、彼も相当に苦労されたんじゃないですか(笑)」

――FIFAマスターはどんな方々が受講するのでしょうか。パク・チソンさんや宮本さんのような元選手が多い?

「サッカー選手もいますが、メディア関係に従事していた方や会社員だった方など一般の方々が多いですね。僕のクラスには30名ほどいました。国籍も異なっていて数えてみたら、23か国から集まっていた。

日本人女性も2人いましたよ。そのうちのひとりが、女子サッカー元日本代表の大滝麻未さん。彼女、フランスのリヨン時代に女子チャンピオンズリーグ優勝も経験しているらしく、僕のクラスは男女のチャンピオンズリーグ優勝者がいたことになります。もっとも、そんな選手時代の実績はあまり役には立ちませんでしたけどね(笑)」

――聞くところによると、いつも図書館で熱心に勉強していたそうですね?

「何度かある試験にパスしなきゃ落第してしまうので(笑)。それに講義はすべて英語。コミュニケーションには問題ありませんが、学術的で専門的な言葉になると難しくて苦労しました。

もともと勉強は嫌いではありませんでしたが、机にかじりついて本と睨めっこすることがこんなにも大変だとは思わなかった。サッカーのほうが、楽でした」

撮影:富岡秀 Shu Tomioka(Kaz Photography)
撮影:富岡秀 Shu Tomioka(Kaz Photography)

■自分には監督は無理だと思った

ペンを握りながら辞書を開くパク・チソンの姿を想像するだけで微笑ましいが、そもそもなぜサッカーマネージメントの道を選択したのか。韓国代表やPSVアイントホーフェンでフース・ヒディンク監督、マンチェスター・ユナイテッドでアレックス・ファーガソン監督の薫陶を受けたパク・チソンなら有能な指導者になれると思うのだが、彼の考えは少々異なるようだ。

――なぜ、FIFAマスターコースを選んだのですか?現役時代から考えていた?

「はい。サッカー選手のセカンドキャリアは、大きく分けて三つあると思います。指導者、解説者、そしてクラブ運営や協会・連盟など全体をオーガナイズしていくマネージメントの仕事、ですね。

指導者はできないと思ったし、解説者はタレント活動みたいなものでサッカーの面白みや楽しさは提供できても、韓国やアジアサッカーの発展には直接的に寄与できない。僕はアジア人選手としてヨーロッパで活動して多くの声援もいただいたので、今度は韓国やアジアサッカー発展の助けになる仕事がしたかった。それで出した結論がサッカーマネージメントの道でした」

02年W杯時のパク・チソン氏とヒディンク監督(写真:ロイター/アフロ)
02年W杯時のパク・チソン氏とヒディンク監督(写真:ロイター/アフロ)

――立派な指導者にもなれたと思います。何せ名将たちのノウハウを間近で見てきたのですから。立派な監督になれたと思うんですけど…。

「いや、その逆です。むしろヒディンク監督やファーガソン監督のような名将たちを間近で見てきたからこそ、自分には無理だと思いました。

というのも、良い監督になるためには戦術的なことも重要ですが、何よりも選手たちとの心理戦でチームを掌握する強いリーダーシップが必要です。状況を瞬時に把握して言葉で選手のやる気を引き出し、ときには怒鳴りつけプライドを刺激しながら、発奮させることもある。

さらにメディアとも緊張関係を維持しながら、チーム全体のモチベーションを管理できる強烈なカリスマの持ち主にしか監督は務まらないということを、両監督から感じたのです。

僕はふたりのようにはできない。選手には親切に接してしまうだろうし、いろいろと雑音も気にしてしまうだろうし(笑)。練習メニューを考え、戦術的意見を述べるアシスタントコーチにはなれたとしても、監督としては足りないものばかりなので、僕には無理と思ったんです。

それに365日朝から晩までストレスが絶えない職業なので、僕には難しいかと。それでサッカーマネージメントの道に進もうと決心を固め、周囲の推薦もあってFIFAマスターコースを選んだのです。でも、これが想像していた以上に大変でした。もう、1年間勉強漬けの毎日でしたよ」

アレックス・ファーガソン監督(写真:Action Images/アフロ)
アレックス・ファーガソン監督(写真:Action Images/アフロ)

■人文学・経営学・法律を学ぶ

FIFAマスターコースはサッカーに限定された知識だけを学ぶ場所ではない。スイスに拠点を置くCIES(スポーツ研究国際センター)がFIFAと提携して運営されており、イギリス・レスターのド・モンフォール大学、イタリア・ミラノのボッコーニ大学、スイスのヌーシャテル大学と移動しながら、さまざまな専門知識を学んでいく。パク・チソンは多くの発見をしたという。

――FIFAマスターコースはどのようなスケジュールで何を学んだのですか?

「休憩やランチの時間もあるけど、基本的には朝9時から夕方5時までびっしり講義ですね。一コマが90分。(サッカーと同じですね?)そうですね。サッカーよりも密度が濃い(笑)。

また、講義があるだけではなく、ゲストスピーカーの体験談を聞いたり、グループでディスカッションしたり、ときにはフィールドワークとしてテレビ局やスポーツの国際団体、企業や行政機関を訪問することもありました。

レスターではラグビークラブ、ミラノではプロバレーボールクラブ、スイスではIOCから始まってFIBA(国際バスケットボール協会)、FIVA(国際バレーボール協会)など、さまざまな国際団体を訪ねました。笑える話ですが、マンチェスター・ユナイテッドも訪問し、同期たちとクラブハウスや練習施設を見学しましたよ(笑)。

ただ、立場が変われば見方も変わる。そういった現場視察を通じて、“スタジアムの裏側ではこんな仕事があったのか”、“こんな企業や団体と関係性があったのか”など、現役時代とは異なる広い視野でサッカーやスポーツを捉えるようになりました」

ボッコーニ大学(提供Universita Commerciale Luigi Bocconi)
ボッコーニ大学(提供Universita Commerciale Luigi Bocconi)

――もっとも面白かったカリキュラムは何ですか?

「レスターでは主にスポーツ人文学、ミラノではスポーツ経営学、スイスではスポーツ法学がテーマなのですが、どれも違いがあって面白かったですよ。

スポーツ人文学では各種スポーツの起源から学びました。例えばフットボールがどのようにサッカーやラグビーに変化して現在に至るのかということなど。時代に合わせてスポーツが進化していく視点を持てたことはサッカーの未来像を考える上でためになりました。ミラノではスポーツマネージメントに関して本当にたくさんのことを学びました。

スイスで学んだスポーツ法学も、最初は“スポーツと法律にどんな関係があるのか知らなきゃいけないのか”と疑問を抱いていましたが、意外に面白かった。

選手契約や大会運営はもちろん、観客の安全管理まで、それまでスポーツとは無縁だと思ってきた法律が、実は非常に密接な関係にあり不可欠な存在であることを知りました。法律的な視点からスポーツを見られるようになったことは、新鮮でためになりましたよ」

■“9・11”以降のスポーツ・セキュリティを研究

――グループでひとつのテーマを研究し、それを卒論として発表したと聞いています。何をテーマに選んだのですか?

「僕たちはモーリシャスの男性、イタリアとロシアの女性からなる4人グループで、テーマは『スポーツ・セキュリティ』です。“9・11テロ”以降、スポーツ・イベントのセキュリティ問題がどのようなパラダイム・シフトを起こし、現在どうなっているか、どんな課題を抱えているのか、未来はどうあるべきかを調査研究しました。

その成果を卒業論文にして、グループで20分ほどのプレゼンテーションをしました。評価は上々でしたよ」

――エクセルやパワーポイントを使って?

「いえいえ。それはパソコンが得意な人に任せて、僕は関係者にインタビューしたり、マンUのクラブ関係者やサッカー選手など知り合いにアポイントを取ってグループメンバーに紹介したり。主にリサーチャー兼コーディネイターです」

――天下のパク・チソンがリサーチャーですか(笑)。クラスメイトがとても羨ましい。

「クラスメイトというよりも、サッカーのチームメイトに近い関係ですよ。FIFAマスターコースは通学制ではなく、約1年間、寮やホテルで共同生活を送る。サッカーの合宿のようなもので、朝から晩まで寝食をともにするので自然と連帯感も芽生えていくんです」

■クラスメイトの情熱に感化された日々

――そんな日々を過ごしながら感じたことは?

「自分の夢に向かって情熱を注ぐことの尊さを、改めて学びました。というのも、最初の頃は、サッカー選手だったからちょっと勉強すればサッカー行政の仕事ができるだろうという軽い気持ちも、どこかにあったと思うんです。

でも、そんな甘いものじゃない。勉強しながらそう感じましたし、一生懸命なクラスメイトたちの姿が僕にたくさんのことを気づかせてくれた。彼らは本当にスポーツが大好きで、そのスポーツをもっと良くしたい、そのための仕事に携わりたいという情熱にあふれている。

そんな彼らに刺激を受け、情熱をもってこの仕事に取り組まなければならないと強く思いました。そう、まるでサッカーを始めたときのような熱くて強い情熱です。その大切さを改めて実感できただけでも、1年という歳月を費やした価値があったと、強く思うようになった」

撮影:富岡秀 Shu Tomioka(Kaz Photography)
撮影:富岡秀 Shu Tomioka(Kaz Photography)

■「アジア」の発展に役立ちたい

トップレベルのさらに頂点を極めた一流選手が、名もなき人々の情熱に感化される。パク・チソンに刺激を与えたFIFAマスター履修生たちの熱意に感服するとともに、一から始め、そこから何かを学び取ろうとするパク・チソンの謙虚な姿勢には頭が下がる。

そして、だからこそ気になるのは彼の今後だろう。FIFAマスターコースを卒業した今、そこで得た知識と経験をどう生かしていくのか。

――次は実践ですね。サッカー行政家としてのデビューは近い?

「それはまだ気が早いです。今、現場に行ったとしても学んだ知識と理論をうまく生かせないし、まだまだ学ばなければならないことは、たくさんありますから。

ただ、どう始めるべきかは、いろいろと考えています。クラブから始めるべきか、KFA(韓国サッカー協会)のようなナショナル・アソシエーションから始めるべきか。もしくはAFC(アジアサッカー連盟)など各国団体を総括するところから始めるべきか、周囲と相談しながらさまざまな可能性を探っています」

――例えばマンU時代の同僚だったオランダのエトヴィン・ファン・デルサールはアヤックスのCEOを務めています。古くはミシェル・プラティニ(仏)やフランツ・ベッケンバウアー(独)などが大陸連盟やW杯組織委員会などで要職を務めていますよね。

メッシ(左)とミシェル・プラティニ(右)。(写真:ロイター/アフロ)
メッシ(左)とミシェル・プラティニ(右)。(写真:ロイター/アフロ)

「そうですね。彼らは僕がこれから歩もうとする道の先にいますが、僕がサッカー行政の道を進もうとする理由は、韓国やアジアサッカーの発展に役立ちたいという夢があるからです。10年後になるか、20年後になるかはわかりませんが、立派なサッカー行政家としてアジアサッカーの発展に寄与できれば本望です。そのためにも、しばらくはヨーロッパでもう少し多くのことをを学び、経験をしたい。

なぜなら、サッカーという大きな枠組みの中ではまだまだヨーロッパが世界をリードしているからです。リーグのシステムにしても育成プログラムにしても、サッカーを発展させるビジョン作りにしても、ヨーロッパで起きていることをほかの大陸が追随していくという流れは、これからも当分は変わらないでしょう。そういう最先端の事象を、ここで生活しながら学び経験する必要が、僕にはまだまだあると思います。

例えばヨーロッパサッカーもアジアほどではありませんが、西ヨーロッパと東ヨーロッパ間でレベルや環境の格差があり、そのギャップをいかにマネジメントしていくか頭を悩ませながら取り組んでいる。アジアサッカーも近い将来、韓国、日本、中国など経済的に豊な国とそうではない国の間に存在するギャップをどう埋めていくかが課題となりますが、そういった事象を今からヨーロッパで学び、いつかその経験をアジアに生かしていきたい。漠然としていますが、そんなことを考えています」

――意識しているのは、「アジア」なんですね。では、Jリーグのクラブ経営とかはどうですか?

「オファーがあり、それが魅力的な仕事で、タイミングも合えば、やらないことはないと思います。Jリーグだけではありません。Kリーグであろうとほかのアジアの国であろうと、僕としてはすべての可能性をオープンにしていますから。クラブから出発して協会やAFC、FIFAに行くことだってあるだろうし。

いずれにしても、韓国とアジアサッカーのために役立ちたい。アジアには当然、日本サッカーも含まれていますし、いつか日本のサッカーファンたちの前に再び立てる機会が来ればいいなと思っていますから、日本の皆さんも引き続き見守ってくださればと思います!」

撮影:富岡秀 Shu Tomioka(Kaz Photography)
撮影:富岡秀 Shu Tomioka(Kaz Photography)

(この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。)

ライター/スポーツソウル日本版編集長

1971年4月16日東京都生まれの在日コリアン3世。早稲田大学・大学院スポーツ科学科修了。著書『ヒディンク・コリアの真実』で02年度ミズノ・スポーツライター賞最優秀賞受賞。著書・訳書に『祖国と母国とフットボール』『パク・チソン自伝』『韓流スターたちの真実』など多数。KFA(韓国サッカー協会)、KLPGA(韓国女子プロゴルフ協会)、Kリーグなどの登録メディア。韓国のスポーツ新聞『スポーツソウル』日本版編集長も務めている。

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