韓国の健康美を先導する“Dカップ女神ボディ”、ユ・スンオクの素顔(前編)

ユ・スンオク(PROFEssional Entertainment公式HPより)

昨今、韓国は健康志向が高まり、それを先導する“マッスル美女”たちが注目を集めている。

セクシー始球式で日本でも知られる “大胆開脚”のチェ・ソルファ、ピラティス講師で “牛乳肌”のヤン・ジョンウォンなどなど枚挙に暇がないが、そのなかでも一際輝いているのがユ・スンオクだ。

(参考記事:韓国メディア選定!! 「2016年に輝いたマッスル・クイーンTOP10」は誰だ!?)

ユ・スンオクは2014年、アメリカで行われた「マッスルマニア(MUSCLEMANIA)ユニバース世界大会」に出場。東洋人女性として初となる5位入賞を果たす。

また2015年には韓国人として初めて総合格闘技UFCのラウンドガールに抜擢。以降、さまざまなテレビ番組やドラマ、映画と活動の場を広げている。

スリーサイズ「91cm・58cm・97cm」という抜群のスタイルは男性のみならず女性にも憧れの的で、ユ・スンオクがモデルを務める健康器具は、総売り上げが400億円に上るというのだから驚かざるを得ない。

まさに韓国の健康美を先導するユ・スンオク。そんな彼女をより詳しく知るために独占インタビューを行った。

――タレントに俳優業と幅広く活動されていますが、もともとはモデル出身と聞いています。

はい、もともとはモデルです。ただ一般的なモデルは、スラっとした細身の体型が求められますよね。私は努力してもそのような体型にならなかったので、体を鍛えて「マッスルマニア」という大会に出ました。それで運良く入賞して、広く知られるようになりました。

私が本格的に運動を始めたきっかけは、とあるフィットネス・トレーナーとの出会いでした。日本では「モムチャン(ナイスバディの造語)・アジュンマ」として知られているチョン・ダヨン先生ですね。

チョン先生のダイエット番組に出演して、私も本格的にマッスルマニアに参加することになったのです。

――そこから大ブレイクするわけですね。今ではSNSに写真をアップするだけで、韓国メディアが記事にしています。

(参考記事:写真をアップするだけで記事になる!! “奇跡のDカップボディ女神”ユ・スンオクのSNSがスゴい!!

とてもありがたいことですよね。関心を持ってくれることに感謝しています。私がSNSに日常をアップするのは、ファンとコミュニケーションをとるため。ファンの方は写真をたくさん上げると、「ありがとう」と言ってくれます。

あとは思い出を残すためかな。昔の日記を読んでみると、当時とはまた違った思いを感じるときがありますよね。SNSに写真や文字を残すのは、日記のように記録をするためでもあるんです。ネット上にアップしておけば、消えることもないですしね。

――「アジア人離れしたスタイル」「女神ボディ」とも呼ばれています。生まれつきスタイルが良かったのでしょうか。

(参考記事:写真17連発!! ドレスの上からでもくっきり…ユ・スンオクの“女神ボディ”

最初から今のスタイルをしていたわけではありません。幼い頃から肉のつきやすい体質で、特に下半身や太ももには脂肪が多くて、それがコンプレックスでもありました。

私は韓国人女性の平均的なバストよりも大きいですが、胸に脂肪が多い分、下半身にも脂肪が多かったわけです。過去には太ももを絞ろうと運動したら、もっと太くなってしまったということもありました。衝撃的でしたね(笑)。

でもあるとき、自分が持っている長所を生かそうと思うようになったのです。それからは弾力のあるラインを作るために努力をしました。

今も運動や食の管理もしています。マッスルマニアのときの写真を見ていただければわかると思いますが、大会のときは、本当に徹底的にやりました。卵や鶏の胸肉を中心に食べて、バレエションなどの運動をして。今は当時よりも少し肉がありますが、弾力感のあるラインをキープするために努力を続けています。

――『ユ・スンオクのバレエション』という書籍も書かれています。どういう本ですか。

理想的なスタイルになるために、これまでさまざまな運動を行ってきました。そうした経験やノウハウを広く伝えることができると思い、作りました。

私が最後にたどり着いたのが「バレエション」という運動です。バレエションはバレエと理学療法(PT)を融合させた運動で、専門家と一緒に私が作ったもの。ダイエットをする場合、有酸素運動、筋トレ、ストレッチなどを行う必要がありますが、バレエションであればこれらの運動を複合的に行うことができます。

書籍にはURコードが30以上、掲載されていて読み込むと動画が流れます。運動の本なので読むだけでなく、一緒に運動してもらえるようなかたちになっています。韓国だけでなく台湾でも出版されました。(つづく)