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洪明甫(ホン・ミョンボ)インタビュー「カリスマが語る日韓中サッカー比較」(1)

慎武宏ライター/スポーツソウル日本版編集長
単独インタビューに応じてくれたホン・ミョンボ監督(著者撮影)

日本でもっともその名が知れた韓国のサッカー選手は誰か。その答えは千差万別だろうが、この人の名を挙げるサッカーファンは多いのではないだろうか。

ホン・ミョンボ。現役時代は1990年イタリア大会から2002年日韓大会まで4大会連続してワールドカップに出場し、キャプテンを務めた2002年ワールドカップでは韓国代表ベスト4進出に大きく貢献した彼は、Jリーグでもその名を轟かせた選手だった。

1997年にベルマーレ平塚(現・ベルマーレ湘南)に加入。1999年からは柏レイソルに移籍し、韓国人Jリーガー初のキャプテンを務め、Jリーグのベスト・イレブンにも選ばれている。

■岡田武史やフィリップ・トルシエも指揮したチームへ

2004年に現役引退。2006年ドイツ・ワールドカップから指導者の道を歩み始め、2012年ロンドン五輪では韓国サッカー初となる銅メダルにも輝いている。2014年ブラジル・ワールドカップでも韓国代表の采配を振るった。韓国の2002年ワールドカップ・メンバーの多くが引退して“第二の人生”を送っているが、ホン・ミョンボは指導者としても多くの実績を積んできた。

(参考記事:写真公開!指導者、タレント、財団理事長まで!! ワールドカップ“四強戦士”23人の近況完全網羅)

そのホン・ミョンボは現在、中国の杭州緑城の監督を務めている。

杭州緑城はかつて岡田武史氏が采配を振るい、2015年途中まではフィリップ・トルシエ氏も監督を務めた。ホン・ミョンボは2015年12月に杭州緑城の監督に就任し、今季は監督2年目を迎えているが、シーズン前のキャンプを日本の沖縄・九州で行っていた。

「韓国の五輪代表を率いたときも沖縄でキャンプを行った経験から、杭州緑城を引き連れてキャンプを行うことになりました。井原さんが率いるアビスパ福岡などとも練習試合を行いましたよ。新シーズンに向けてしっかりとした準備ができました」

そう語って久しぶりのインタビューを快く受けてくれたホン・ミョンボ監督だが、中国1年目となった昨季は厳しい戦いを余儀なくされたという。

中国スーパーリーグの成績は8勝14敗8分けで15位。

昨季、中国スーパーリーグでは元韓国代表コーチのパク・テハ監督が延辺富徳、かつて大宮アルディージャを率いたチャン・ウェリョン監督が重慶力帆、中国通で知られるイ・ジャンス監督が長春亜泰、そしてFCソウルを指揮していたチェ・ヨンス監督がシーズン途中ながら江蘇蘇寧に引き抜かれるなど、多くの韓国人指揮官が中国に渡った。「韓国サッカーが“爆買い”中国マネーに浸食される」とも言われたが、韓国人監督が指揮したチームでは杭州緑城だけが2部リーグに降格している。

「苦しい1年でしたし、シーズン前から難しい状況でしたね。中国では10月にシーズンが終わり、11月のオフを経て12月からチームが再び始動するのですが、私が就任したのは2015年12月。その時点で前年度の先発11人中7人が移籍してしまい、20代前半の若い選手たちでやりくりしなければならなかった。外国人選手ではオーストラリアのティム・ケーヒルなどもいましたが、シーズン途中で退団してしまった。選手のやりくりに非常に苦労したシーズンでした」

■「レイソルには今でもホン・ミョンボの魂があると聞いた。ここにも残してほしい」

ただ、その一方で「やり甲斐を感じた1年だった」という。

「チームは1993年生まれの若い選手が多く、初めてスーパーリーグでデビューした若い選手も多かった。そんなチーム構成であっても、ホームで江蘇蘇寧に勝ち、アウェーで広州恒大に引き分けるなど、ビッグクラブ相手にも健闘した。シーズン中には杭州緑城から3人の選手が、中国代表にも選ばれています。若い選手たちの成長をこの目で見て感じることができる日々でした。そこに大きなやり甲斐を見出せたシーズンでしたね」

ホン・ミョンボ監督が若手の指導に長けていることは、2009年U-20ワールドカップ・ベスト8、2012年ロンドン五輪・銅メダルといった韓国時代にも実証済みだ。

(参考記事:史上初めて“日韓ハイブリッド”を実現させた指揮官ホン・ミョンボの「監督力」)

杭州緑城もそんなホン・ミョンボ監督の手腕を高く評価し、長期的スパンに立って選手を育成してほしいと打診。ホン・ミョンボ監督自身もそのビジョンに共感して中国行きを選んだという。

だからこそ、2部降格となっても解任・更迭されることはなかった。勝てない日々が続くと即首切りとなる中国サッカーの冷徹さを考慮すると、異例のことだ。ホン・ミョンボ監督も「降格したのにクビにならなかった監督は、中国で私だけかもしれない」と苦笑いを浮かべるほどだった。

「降格がほぼ確実になりつつあったシーズン最終戦の前に、クラブ首脳部と今後について話し合ったです。“来季、どうするつもりなのか”と。私は降格の責任を負わされても仕方ないと思いしまたが、クラブの代表から残留を要請されたのです」

そのときのエピソードが興味深い。杭州緑城のクラブ代表はこう言ったというのだ。

「あなたはJリーグの柏レイソルに魂をもたらしたと聞いている。“柏レイソルには今でもホン・ミョンボの魂がある”と。願わくは我々のチームにも、あなたの魂をもたらしてほしい」

■日韓を熟知するカリスマの中国挑戦

ホン・ミョンボが柏レイソルに多くのものをもたらしたことは有名な話だ。「日本人選手は勝敗に対して淡白すぎるし、個人主義で人任せなところがある」と言っていた彼は、徹底した勝負根性と自己犠牲の精神を訴え続けた。ホン・ミョンボ韓国は韓国人選手がその存在感でチームに好影響をもたらすことを示した、最初の成功例でもあったと思う。

(参考記事:日本を熟知する“韓国サッカー界のカリスマ”が見たニッポンとJリーグ)

そんな“韓国サッカー界のカリスマ”に杭州緑城のクラブ首脳も未来を託したいと思ったのだろう。

「私も降格したからといってチームを見捨てたり、逃げ出すつもりはありませんでした。苦しいシーズンを一年間一緒に戦ってくれた選手たちとは信頼関係が出来ていますし、その信頼に応えなければならないという責任が私にはある」

信頼と責任を重んじ、そのためなら自己犠牲も厭わないホン・ミョンボ監督らしい言葉だが、だからこそ気になるのは彼の目に映る中国サッカーの可能性と、中国から見た日本や韓国のサッカーである。次回からはこのテーマに迫っていきたい。

ライター/スポーツソウル日本版編集長

1971年4月16日東京都生まれの在日コリアン3世。早稲田大学・大学院スポーツ科学科修了。著書『ヒディンク・コリアの真実』で02年度ミズノ・スポーツライター賞最優秀賞受賞。著書・訳書に『祖国と母国とフットボール』『パク・チソン自伝』『韓流スターたちの真実』など多数。KFA(韓国サッカー協会)、KLPGA(韓国女子プロゴルフ協会)、Kリーグなどの登録メディア。韓国のスポーツ新聞『スポーツソウル』日本版編集長も務めている。

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