Yahoo!ニュース

バドミントン日本代表を変えた“シャトルコックの皇帝”朴柱奉をご存知だろうか

慎武宏ライター/スポーツソウル日本版編集長
バドミントン日本代表を指導する朴柱奉ヘッドコーチ(写真:アフロスポーツ)

リオデジャネイロ五輪でバドミントン日本代表の勢いが止らない。女子シングルスでは奥原希望が日本バドミントン史上初のベスト4進出。女子ダブルスでは高橋礼華&松友美佐紀ペアが決勝進出を果たし、金メダルに王手をかけている。

そんなバドミントン日本代表のヘッドコーチを務めているのが、韓国人であることをご存知だろうか。

その名は朴柱奉(パク・ジュボン)。1964年生まれの52歳で、韓国ではかなりの有名人である。現役時代はシングルス公式戦103連勝、国際大会の優勝67回という前人未到の記録を打ち立て、1992年バルセロナ五輪では男子ダブルスで金メダルを獲得。韓国では“シャトルコックの皇帝”、“バドミントンの神”とも言われている。

しかも、その名は世界にも轟き、バドミントンが盛んなマレーシアやインドネシアでは今もサイン攻めになるほどの絶大な人気を集めている。韓国では彼の名を冠した『PJBスポーツ』というバドミントン・ブランドもあるほどなのだ。

そんな朴柱奉がバドミントン日本代表のヘッドコーチに就任したのは2004年11月のとこ。2008年北京五輪では末綱聡子&前田美順ペアがベスト4進出、2012年ロンドン五輪では藤井瑞希&垣岩令佳ペアが銀メダルを獲得。着実に結果を残してきた。

思い出すのは2013年5月、朴柱奉ヘッドコーチにインタビューしたときに語っていた言葉だ。

「私が初めて日本に来たとき、バドミントン日本代表はアテネ五輪に13人の選手を送り込んでいましたが、1回戦を突破したのは1人だけで、残り全員が初戦敗退でした。日本選手は攻撃力や技術など、世界と比べて見劣りしませんでしたが、勝ちたいという欲が欠如していた。負けても“仕方ないですね”と割り切っていた姿には正直、驚きましたよ」

そして取り組んだのが勝負欲の注入でもあったと言っていた。レベルの高い国際大会に次々と出場させたり、それまで形式的だった代表合宿も大改革。その過程ではかなりの軋轢もあったそうだが、勝者のメンタリーを植付けるために徹底したらしい。強化方法にも、男子と女子でそれぞれ工夫も凝らした。「選手の所属先関係者や協会幹部から理解を得るのが大変でした」と語りながら浮かべていた苦笑いが、つい昨日のようでもある。

(参考記事:韓国の英雄パク・ジュボンはバドミントン日本代表にどんな変化をもたらしたのか

因縁めいているのは、その朴柱奉ヘッドコーチらに鍛えられた日本の選手たちが、韓国女子バドミントン界のエースを打ち負かしてしまったことだ。高橋礼華&松友美佐紀ペアが準決勝で破ったチョン・ギョンウン&シン・スンチャン組は有力なメダル候補とされていただけに、韓国のメディアや試合をテレビで見守っていた視聴者たちも衝撃を隠せない。

(参考記事:「やる気が感じられない」「日本の攻撃は鋭かった!!」バトミントン日韓戦に対する韓国の率直な反応

しかも、チョン・ギョンウン&シン・スンチャン組だけでなく、“韓国バドミントン界の公主(=プリンセスという意味)”ソン・ジヒョンも女子シングルスで早々と姿を消し、男子ダブルス世界ランキング1位のイ・ヨンデ&ユ・ヨンソン組なども決勝進出を逃し、「韓国バドミントン、ノーゴールドの危機が現実化」(『フォーカスニュース』)とさえ言われている。

同じく世界ランク1位を多数揃えて“アベンジャーズ”と期待された韓国柔道も金メダルゼロに終わって厳しい立場に立たされているが、“孝子種目”として期待されていたバドミントンさえも金メダルにゼロとなると、それこそ「日本と朴柱奉に学べ」という論調にもなるかもしれない。

(参考記事:惨敗で終わった韓国柔道“アベンジャーズ”。復活のために日本から多くを学べ

いずれにしてもバドミントン日本代表と朴柱奉ヘッドコーチには注目だ。“シャトルコックの皇帝”が指導者としても金メダルの栄誉を手にすることを期待したい。

ライター/スポーツソウル日本版編集長

1971年4月16日東京都生まれの在日コリアン3世。早稲田大学・大学院スポーツ科学科修了。著書『ヒディンク・コリアの真実』で02年度ミズノ・スポーツライター賞最優秀賞受賞。著書・訳書に『祖国と母国とフットボール』『パク・チソン自伝』『韓流スターたちの真実』など多数。KFA(韓国サッカー協会)、KLPGA(韓国女子プロゴルフ協会)、Kリーグなどの登録メディア。韓国のスポーツ新聞『スポーツソウル』日本版編集長も務めている。

慎武宏の最近の記事