目指せ!「東京2020」-アフリカの野球少年・少女たち

練習に励む、女子ソフトボールウガンダ代表Uganda Pearls(撮影/著者)

甲子園では連日熱戦が続き、日米のプロ野球も2018年シーズンが開幕しました。

30年前は高校球児、現在は草野球オヤジの私にとっても、待ちに待った球春到来。

いち野球ファンとして、気持ちが非常に盛り上がる季節です。

しかし私が取材フィールドとしているアフリカは、残念ながら世界で最も野球・ソフトボールが普及していない大陸。

私自身も遠い昔に一度、日本からビニールボールを持参し、ルールが簡単な手打ち野球を子どもたちの間で流行らせようと目論みましたが、まったく関心を示してもらえず、気づけばビニールボールでサッカーが始まり、そのハードルの高さを痛感した苦い記憶があります。

野球不毛の地、アフリカ

「他のスポーツとは違い、野球は必ず試合に出ている全員がバッターボックスに立てます。つまり、誰もがヒーローやヒロインになれるチャンスがあるのが野球なんです」

――とは、野球という身近なスポーツを通じてアフリカの国々との国際交流・社会貢献を進めることを目的とするNPO法人「アフリカ野球友の会」代表の友成晋也氏の言葉。

その言葉通り、アフリカでメジャーなサッカーやバスケットボールなどにはない、その魅力に惹かれる少年少女は確実に増え、タンザニアでは、日本の夏の全国高等学校野球選手権大会をモデルにした大会も開かれるようになりました。

またJICA(国際協力機構)の青年海外協力隊事業で派遣されている野球隊員や体育隊員が、技術を指導すると同時に、集団行動や礼節、さらにはモノ(道具)を大切に扱うことを子どもたちに伝えるなど、野球・ソフトボールというスポーツを通して情操教育も行っています。(※ 1)

最近では、日本政府によりウガンダとガーナでは野球場が建設・整備(※ 2)されるなどプレー環境も整いつつあり、野球人口のさらなる裾野拡大が期待されています。

ケニアで野球を教える青年海外協力隊 写真提供:久野真一/JICA
ケニアで野球を教える青年海外協力隊 写真提供:久野真一/JICA

アフリカの真珠「ウガンダ」からNPBを目指して

熱投する兵庫ブルーサンダース時代のワフラ選手。 写真提供:アフリカ野球友の会
熱投する兵庫ブルーサンダース時代のワフラ選手。 写真提供:アフリカ野球友の会

約1ヶ月前の2月下旬、アフリカ中部の国・ウガンダ出身のワフラ・ポール選手(26歳)が、独立リーグのトライアウトに挑戦しました。

結果は残念ながら不合格でしたが、彼は2013年から2016年まで、兵庫ブルーサンダースに所属し活躍したウガンダ初のプロ野球選手でした。

そのワフラ選手がプロ野球選手を目指す大きなきっかけとなったのが、12歳の時に日本で野球を学んだことでした。

2004年、前述「アフリカ野球友の会」の招きで、彼は11名の野球少年少女たち(6~18歳)と共に来日し、2週間野球漬けの日々を過ごしました。

始球式をするアイバン選手(当時6歳)を見守るワフラ選手(当時12歳)(撮影/著者 2004年)
始球式をするアイバン選手(当時6歳)を見守るワフラ選手(当時12歳)(撮影/著者 2004年)

マリンスタジアムでの始球式。

群馬県甘楽町での元西武ライオンズ石毛宏典氏による野球教室と地元中学生との試合。

夏の甲子園観戦。(当時高校生だった、現メジャーリーガーのダルビッシュ選手とも面会しました)

白球をひたむきに追いかける野球少年少女たちの顔は輝き、教えられていることを全て吸収しようと、その目は真剣そのものでした。 

残念ながらワフラ選手はNPBに手が届きませんでしたが、ウガンダ野球界で初めて日本でプロとして活躍した彼の努力と経験は、間違いなく次の世代に継承されるでしょう。

マリンスタジアムでの集合写真(撮影/著者 2004年)
マリンスタジアムでの集合写真(撮影/著者 2004年)

資金不足で夢を絶たれた、ソフトボール女子ウガンダ代表

バックネットはサッカーゴール。内野も穴ぼこだらけ。練習環境は恵まれていないが、選手たちはいつでも真剣(撮影/著者 2017年)
バックネットはサッカーゴール。内野も穴ぼこだらけ。練習環境は恵まれていないが、選手たちはいつでも真剣(撮影/著者 2017年)

今年8月2日(木)~12日(日)、千葉県で「第16回世界女子ソフトボール選手権大会」が開催されます。

日本を始め、世界各大陸予選を突破した16チームが参加。アフリカ大陸にも二つの出場枠があります。

2017年末にウガンダを訪れた際、予選を目前に控えた女子ソフトボール代表チーム「Uganda Pearls」は、首都カンパラの大学内にあるグラウンドで、「Go to Chiba!」を合言葉に練習を重ねていました。

なかには裸足でプレーする選手も (撮影/著者 2017年)
なかには裸足でプレーする選手も (撮影/著者 2017年)

「2004年にマリンスタジアムのグラウンドに立った時の興奮は忘れられないわ!数え切れないほどの観衆、素晴らしく整ったグラウンド、何もかもが初めての経験で衝撃的だったもの」

そう語ってくれたのは、キャプテンとしてチームを引っ張るジョパ選手。

彼女もワフラ選手同様、2004年に来日した12名の少年少女の一人でした。

昨年12月上旬に開催された東アフリカ予選で、強豪ケニアとタンザニアを破り地区優勝を果たした「Uganda Pearls」。今年1月のアフリカ大陸最終予選で、6ヶ国中2位以内に入ればアフリカ代表が確定することになっていました。

参加国はウガンダ、南アフリカ、ボツワナ、ケニア、ジンバブエ、レソト。

「Uganda Pearls」は、WBSC世界ランキングでは参加国中最上位であり、2016年の前回大会でも代表の座を勝ち取っている優勝候補の一角でした。

しかし、開催地である南アフリカ共和国への旅費と滞在費が不足。

クラウドファンディングや、選手たちが洗車をして対価を得るイベント開催など、直前まで懸命に工面を図りましたが資金は集まらず、無念の出場辞退となってしまいました。(※ 3)

赤いユニフォーム右から三人目がジョパ選手(当時18歳)。(撮影/著者 2004年)
赤いユニフォーム右から三人目がジョパ選手(当時18歳)。(撮影/著者 2004年)

「資金不足で大会に参加出来ない」。

これは「Uganda Pearls」に限った話ではありません。知名度があがりプレイヤーも増えつつあるとはいえ、アフリカでは未だ野球はマイナースポーツ。

多くの国の野球協会が、代表チームが、選手が、資金不足に苦しんでいます。

昨年12月にウガンダで会った時、ジョパ選手は2度目の来日を非常に楽しみにしていました。

ここのところFacebookにもソフトボール関連の話題が全く掲載されないため、心配になり連絡をしてみたところ――

「今までのように寄付やカンパに頼っているだけではだめなの。もっと積極的に私たち自身で活動資金を得る方法を考えないと。その第一歩として、チームTシャツを作って販売を開始したわ。まだまだこれから。2020年には必ず東京に行くから楽しみにしてて!」

――慰めるつもりで送ったメッセージでしたが、すでに彼女は次のステップへと進み始めていました。

2017年には、南アフリカ共和国のギフト・ヌゴエペ選手がアフリカ大陸出身選手として初めてメジャーデビューを果たしています。

いつの日かNPBにも、間違いなくアフリカ大陸出身選手が現れるでしょう。

その日を少しでも早くするため、まずは2020年東京オリンピックに向けたアフリカ野球界の動きに、これからも注目していきたいと思います。

(※ 1)外務省の草の根文化無償資金協力

(※ 2)野球隊員が派遣されているアフリカの国は「ウガンダ、ガーナ、ジンバブエ、タンザニア、ブルキナファソ」

世界全体では、野球隊員16ヶ国(アフリカ含む)、ソフトボール隊員5ヶ国

(※ 3)アフリカ代表は、南アフリカ共和国、ボツワナの2ヶ国