ハリル解任で吹き出す『日本人らしさ』は、3つの間違いがある

27日、記者会見の壇上に向かうハリルホジッチ氏(写真:ロイター/アフロ)

 ヴァイッド・ハリルホジッチの解任以降、サッカー協会の田嶋幸三会長や技術委員会を中心に、『日本人らしいサッカー』や、日本人監督の就任を求める声が高まってきた。

 縦とデュエル(1対1の決闘)を要求し、日本の弱点を挙げてダメ出しを続けたハリルホジッチ。彼に対するアレルギーから、次は日本人がいい、日本人らしいサッカーがいいと、反動が生じている。4年ごとに、右から左へ。あれはダメだ、これはダメだと右往左往する、日本サッカーの日常とも言える。

『日本サッカーの日本化』―。それはかつて、代表監督を務めたイビチャ・オシムによって、2006年に発せられた言葉だ。

 しかし、その言葉は、もはや暴走している。奇妙な点がいくつもあるのだ。 

 

12年前からアップデートされていない

 一般的に『日本人らしさ』として挙げられる能力は、技術、俊敏性、運動量、組織力。そんなところだ。ずっと前から語られている日本人の長所は、12年前も、今も変わらない。

 しかし、近年、世界のサッカーは急速に進化してきた。フィジカルサッカーの代名詞だったドイツやイングランドをはじめ、世界中のあらゆる国から、技術や俊敏性に優れた選手が次々と出現している。もはや12年前とは常識が違う。そんな状況でも、相対的に見て「日本の長所は技術」と言えるのかどうか。また、3月に対戦したウクライナは、技術、俊敏性、運動量、組織力、どれも素晴らしく、モダンなポジショナルサッカーを見せた。この12年の間に、目覚ましい発展を遂げた国がたくさんある。

 さらに技術は技術でも、球際のプレッシャーを受けながら実戦的に生かすスキル(≠テクニック)という文脈ではどうか。むしろ日本は、劣ってさえいるのではないか。組織力も同じこと。大会直前の2カ月前に解任騒動が起きるようなチームに、組織力があるとは信じがたい。海外クラブで長くプレーする選手が増えたことで、A代表の個々のパーソナリティーにも、変化が起きた可能性はある。

 それでも12年前から変わらず、無自覚に日本の長所を語る人は、情報がアップデートされていない。今の状況、世界のトレンドの中で、日本の本当の長所は何か。一度疑い、省みて然るべきだ。

 本来、サッカーにおける長所とは、相対的なもの。アジアの予選で、相手の守備がゆるければ、日本の技術は長所になる。ところが、世界レベルの試合で速いプレッシャーを受け、技術を発揮できなくなるのなら、それは長所にならない。そのような状況に追い込まれたら、サッカーは守備優位のスポーツなので、粘り強く守備をして、0-0の接戦にもつれ込ませるほうが、勝ち目は増える。

 サッカーは適者生存のスポーツだ。『日本化』を口にしたオシムも、病に倒れることがなければ、次に手をつけようとした強化ポイントは、ロングボールだったそうだ。「日本人は技術だ、運動量だ」と多くの人が沸く中で、オシム自身は世界との戦いを冷静に見据え、ロングボールが必要になることを想定していた。対戦相手や環境、時間帯に合わせ、やるべきサッカーは変わる。適者生存なのだ。

 世界のサッカーはレベルが上がった。ワールドカップもさまざまな環境下で行われる。それにもかかわらず、12年前と同じものを、今も無自覚に長所と言い、弱点から目を背けたがる感覚は、適者生存から程遠い。

弱点の補強は、頓挫してしまうのか

 サッカーは両チームが入り乱れるカオスの競技であり、一方のチーム事情だけでは測れない。たとえば、日本人は農耕民族だからそれに合ったスタイルをやりましょう……などと言ったところで、同時に狩猟民族の良さを潰すことも考えなければ、サッカーの試合は勝てない。求められる能力、戦術は多岐にわたる。

 その意味では、この3年間で日本のサッカーが、弱点だったデュエルを向上させたことは、大きな功績だった。ハリルホジッチ就任以降、Jリーグの接触プレーが激しくなったことは、ファウル数やラフプレーによるイエローカードの増加など(それ自体は良いことではないが)、データ上でも確認できる。縦パスの比率も増えた。何より選手が、その変化を実感している。

 その一方、ハリルホジッチが指摘してきたことは、「日本人に合わない」とアレルギー反応が大きかったのも事実だ。そして結局、ワールドカップ2カ月前の解任によって、すべてが否定された格好。このまま数年経てば、Jリーグも日本代表も、すっかり元に戻るだろう。泡沫の成長だった。

 今、この国で語られる『日本人らしさ』は、「これは合わない」「あれは合わない」と、やりたくないことを主張するためのツールになってしまった。もはや害のほうが大きい。そもそも、世界基準やワールドカップのセオリーを知る外国人監督を招聘しておきながら、「日本に合わせろ」ならば、最初から呼ぶ必要がない。

 ハリルホジッチが日本に来たことも、2050年までのワールドカップ優勝という道筋において、重要なピースになり得たはず。しかし、残念ながら無駄な時間を過ごしたようだ。

A代表で出すような話ではない

 そもそも『日本人らしいサッカー』などは、A代表で出すような話ではない。

 たとえば現在の守備陣、川島永嗣、長友佑都、槙野智章、吉田麻也、酒井宏樹、長谷部誠、山口蛍。彼らは誰が監督になっても、大きくは変わらない主力だろう。そして、普通に堅守速攻向きだ。『日本人らしいサッカー』を標ぼうしたところで、それに合う選手が、その時代のトップ集団にいなければ仕方がない。

 A代表はその時期における、最高の選手を集めた選抜チームだ。突出した選手の特徴が、『日本人らしい』かどうかは、別の話。たとえば、本田圭佑が11人育っていたら、とても日本人らしいチームにはならない。このような話をA代表に持ち込んでも、目の前の選手たちの最大公約数を見誤るだけだ。それにもかかわらず、この手の話題が次々と出てくるのは、まさに現在の日本サッカー協会、技術委員会にビジョンが無いからだろう。

 もっとも、『日本人らしいサッカー』を、A代表ではなく育成年代における必修科目とするのなら、話はわかる。それは本田圭佑が言うところの、「迷ったときに立ち返る場所」になるだろう。パッと集まっても、そのプレーモデルならば、日本で育った選手は全員がやり方をわかっている。そんな共通のシステムや戦術があれば、確かに有効だ。そういう必修科目を、クラブ独自の選択科目という余白を残した上で、持つことができればいい。そして、それを当代のA代表が踏襲するかどうかは、そのときの選手次第、対戦相手次第、環境次第だ。

 今、あるいはこれから、A代表で無闇に語られるであろう『日本人らしいサッカー』。こんなものはまったく必要ではなく、中身もゼロだ。今回のハリルホジッチ解任劇。入り口が迷路なら、出口も迷路である。