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『ベルリンの死闘。気を失ってでもゴールを死守した長谷部誠』

島崎英純スポーツライター
(写真:アフロ)

 “記者の立場から、彼のプロサッカー人生の軌跡を見てきた。18歳だった少年はすでに三十路を超え、今はドイツ連邦共和国ヘッセン州に属するフランクフルト・アム・マインという街に居る。

 この街で暮らす彼を、この街のクラブで闘う彼の実像を知りたいと思った。長谷部誠の等身大の姿を、この眼で見て、この耳で聞いて、この肌で感じたいと思った。その熱に、匂いに、鼓動に、触れたいと思った。

 それが、この物語を綴ろうと思った、純粋な動機だった。”

旧東ベルリンのクラブ

 2019年9月27日、金曜日。鉛色の空の切れ目から、太陽の眩い光が差し込んでいた。

 一般的なドイツ人の一週間のサイクルは、月曜から木曜までは勤勉に働き、金曜の午後にはオフモードに入る。道路は13時を過ぎると帰宅ラッシュが始まって渋滞が起こる。国内各地のターミナル駅では週末の観光へ向かう客が長距離列車に殺到し、若者はこれから始まる深夜に及ぶ“パーティ”に心を躍らせている。

 旧東ベルリン地区にある『オスト・クロイツ(Ostkreuz)』駅へ行くと、すでにウニオン・ベルリン(以下、ウニオン)のサポーターが構内で酒盛りしていた。試合開始は20時30分。平日だから開始時間が遅いが、ベルリンの電車は朝まで絶え間なく運行しているから、人々は心ゆくまでサッカーを楽しめる。

 2019-2020シーズンの今季、ウニオンはクラブ創設以来初めてブンデスリーガ1部で戦うことになった。昨季のブンデスリーガ2部で3位に入り、入れ替え戦でVfBシュトットガルトを破って念願のトップリーグ入りを決めたのだ。

 ウニオンの本拠地は旧東ベルリンの領域にある。旧東ドイツのチームが1部でプレーするのは2009年に降格したエネルギー・コットブス以来のこと。ちなみに2013−2014シーズンから1部に所属するヘルタ・ベルリンは旧西ベルリンに属する地域で発足されたクラブ。またRBライプツィヒの本拠地であるライプツィヒは旧東ドイツ地域だが、こちらはドイツ統一後の2009年に創設された新興クラブのため、この括りには入らない。

 『オスト・クロイツ』駅からSバーンの3番に乗って5つ目、『ケーペニック(Kopenick)』という名の駅で降りる。ショッピングセンターを通り抜け、森の中を貫く運河に沿って歩いていく。遠くでサポーターの歌声が聞こえる。草木が生い茂っていて姿が見えないが、すぐ傍にスタジアムがあることが分かる。森の先に幹線道路が通っていて、側道で整列する重装備の警官たちの横を抜けると視界が開けた。

 『スタディオン・アン・デア・アルテン・フォルステライ』(以下、アルテン・フォルステライ)。ウニオンはここで、喜びも悲しみも携えて、かけがえのない彼らの歴史を紡いできた。

 試合開始1時間半ほど前にスタジアムの中に入ったら、両サイドのゴール裏とバックスタンドが立錐の余地もなく埋まっていた。『アルテン・フォルステライ』はサイド、そしてバックスタンドが全て立ち見席で、サポーターは場所取りのためにその場を離れない。ドイツ語で『鉄のウニオン』を意味する『アイザン・ウニオン!』のコールが鳴り響く。アウェーチームのGK、ケヴィン・トラップとフレデリック・レノウがウォーミングアップのために姿を現すと、場内に耳をつんざくようなブーイングが鳴り響いた。

(写真:島崎英純)
(写真:島崎英純)

 アイントラハト・フランクフルトが『アルテン・フォルステライ』でゲームをするのは2012年3月以来のことになる。そのときはお互いのクラブが2部に所属していて、アイントラハトがホームチームのウニオンを4-0で下した。

 ウニオンにとっては7年越しのリベンジマッチだ。彼らは今季、ここですでにボルシア・ドルトムントを破るジャイアントキリングを起こしている。テレビ越しに見たドルトムントの面々はアウェーの雰囲気に気圧されて腰が引けていたように見えた。『アルテン・フォルステライ』の迫力はいかほどのものか。その強烈な“熱”を体感したかった。

 スタジアムアナウンサーが抑揚のない声でアウェーメンバーの名前を読み上げる。前節のドルトムント戦と同じく、長谷部誠の名に『カピテーン(キャプテン)』の冠が付けられていた。長谷部自身が『アルテン・フォルステライ』でプレーするのは今回が初めてだが、今日でブンデスリーガ294試合目の出場となる彼には何の気負いも感じられない。淡々とウォーミングアップを済まし、颯爽とロッカールームへと引き上げた長谷部は、すでに戦闘モードに入っていた。

 『アルテン・フォルステライ』の記者席は列の幅が狭く、奥の席へ入るにはすでに着席している人々に一旦階段沿いへ戻ってもらわなければならない。これでは試合終了直後にスムーズにミックスゾーンへ向かうのも困難だから、今回はあえて席には座らず、ゴール裏スタンド横の地上から遠巻きに試合の様子を観察してみようと思った。

(写真:島崎英純)
(写真:島崎英純)

 ピッチと地続きな目線に立って選手を観ると、その存在がとてつもなく大きく感じた。アイントラハトの最後尾を仕切る長谷部の姿は、ことさらに活動的だった。数字上では180センチ・72キロに過ぎない選手が跳ねるように躍動している。相手と体がぶつかると、鈍く響くようなガツンという音が鳴った。戦場に立つ長谷部を、改めて逞しく感じた。

 前半、長谷部は2度ほど相手に倒されてピッチへ叩きつけられた。顔をしかめて手で頬や顎のあたりを触っている。ウニオンの選手は圧倒的な声量で後押しするサポーターに後押しされて気色ばんでいた。

 スコアレスで折り返して迎えた後半、今季リーグ戦初先発のFWバス・ドストが値千金の先制ゴールを決めてアイントラハトがリードを奪う。スタンドが危険な徴候を示してヒートアップしていく。振り絞るような『アイザン! アイザン!』の声が轟き、ホームチームに向かって風が吹いた。

 それでもアイントラハトの面々は戦意を失わなかった。フィリップ・コスティッチが縦に仕掛け、鎌田大地がゴール前で相手GKをかわして好機を生む。そして後半半ば、ボランチのジブリル・ソウの右クロスにFWアンドレ・シウバが飛び込んで2点目をマークし、アイントラハトがホームチームを突き放した。

 しかし、“鉄のウニオン“が簡単に屈するわけもない。86分に交代出場のアンソニー・ウジョアが追撃のゴールを決めると『アルテン・フォルステライ』が沸騰する。アイントラハトのゴール前で激しい肉弾戦が発生する。アディショナルタイム、アーリークロスにGKのトラップと長谷部が同時に反応して激突し、ピッチへ崩れ落ちた。長谷部の頭がトラップの左腰付近に当たったようだ。トラップはなんとか立ち上がってゴールマウスへ移動したが、長谷部は倒れ込んだまま動かない。それでもウニオンの選手はプレーを止めずにゴール前へ迫り、約15秒間の攻撃が徒労に終わると、主審がタイムアップの笛を吹いた。

 トラップが再びピッチへ倒れる。途中交代してベンチに居た鎌田が長谷部の元へ駆け寄って声をかけている。医療スタッフが長谷部の周りを囲んで治療を施している。約3分後、力なく上半身を起こしたキャプテンは虚ろな目をしながら、それでもはっきりと言葉を発して自らの無事を伝えていた。

 文字通りの死守。2-1で試合を終え、アイントラハトの指揮官、アディ・ヒュッターが監督会見でメディアからの質問に応え、長谷部とトラップの容態を説明した。

「マコトは気を失っていた。これから数日間は様子を見ることになるだろう。またケヴィン・トラップは肩から落ち、彼も痛みを感じた。まだ詳細は知らされていない」

 ミックスゾーンでの取材対応を回避した長谷部は自らの足でロッカールームへ戻ったが、その体の状態が心配だった。それでも、あの鬼気迫る防戦、チームのために死力を尽くす姿に魂が震えた。この日の『アルテン・フォルステライ』で体感したのは、ホームのサポーターと選手たちが示した献身的な姿勢と、アイントラハトのキャプテンが貫いた燃えるような闘志だった。

  しばらくして、長谷部がチームメイトと共にバスへ乗って帰路に着いたと聞いた。彼の無事に安堵して吐いた息が、白い蒸気となって、ベルリンの空へ溶け込んでいった。

Im Frankfurt-第2回(了)

スポーツライター

1970年生まれ。東京都出身。2001年7月から2006年7月までサッカー専門誌『週刊サッカーダイジェスト』編集部に勤務し、5年間、浦和レッズ担当記者を務めた。2006年8月よりフリーライターとして活動し、2018年3月からドイツ・フランクフルトに住居を構えてヨーロッパ・サッカーシーンの取材活動を行っている。また浦和レッズOBの福田正博氏とともにウェブマガジン『浦研プラス』(http://www.targma.jp/urakenplus/)を配信。浦和レッズ関連の情報やチーム分析、動画、選手コラムなどの原稿も日々更新中。

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