国民の命を重視する経済政策に転換しよう!

(写真:アフロ)

経済政策の目標は、社会的厚生を最大化することにあります。簡単に言えば、わたしたち国民の経済的な満足度を高めたり、経済的な安心を確保するのです。もっと簡単に言えば、経済政策の目標はわたしたちの暮らしを守ることにあるのです。

日本の経済政策は、これまで、GDP(国内総生産)もしくは経済成長率を最大化すれば、わたしたちの生活も向上し、守られるとの哲学のもと、企業にてこ入れ(資金を投入)することで雇用を守るというやり方を踏襲してきました。

なぜ、企業を守ればわたしたちの生活が守られたのでしょうか?

人生を通した広い意味での生活保障を見てみますと、高度成長から最近に至るまで、勤労期には所属先の福利厚生や、年功序列型賃金、そしてなにより終身雇用で、引退期には年金・医療・介護等の社会保障で、わたしたちの生活が守られてきました。社会保障が現役世代に薄く高齢世代に手厚い構造の所以です。

つまり、人生の前半は企業によって、人生の後半には政府によって守られてきたのです。

ですから、右肩上がりの時代にあっては、企業を守ることが、わたしたちの生活を守ることに他ならなかったのです。景気が後退し、一時的に企業の業績が思わしくなくなっても、国が企業に資金を投入することで嵐が過ぎ去るのを待てば、経済はまた力強く成長を遂げ、企業も業績を回復し、雇用も復活し、わたしたちの生活も守られたのです。

しかし、バブルが崩壊し、後発国の追い上げにより日本企業が次第に競争力を失っていくと、事情が異なってきました。そもそも、人生の前半を保障していた企業そのものが、東証一部上場企業であっても倒産する世の中ですから、賃上げは滅多に行われず、福利厚生は削られ、リストラが横行するようになります。

実際、リーマンショックに際して、自動車メーカー(その多くが輸出製造大企業)を守る(つまり日本の雇用を守る)ためにエコカー補助金を創設し、多額の税金を投入しましたが、その間、大企業の雇用は減少しました。大企業を守ってもそこでの雇用は守られなかったのです。

キャッチアップが終了し、少子化、高齢化、人口減少の進行、構造改革の遅れなどによって、かつてのような力強い経済成長が失われた現代の日本経済にあっては、企業を守っても雇用が守られるわけではなくなってしまったのです。つまり、企業を守ってもわたしたちの生活は守られません。

こうした現状認識が政府とわたしたちの間で共有されているからこそ、高齢者偏重の社会保障から全世代型社会保障への移行が目指されているのではなかったのでしょうか?

しかも、リーマンショック以降これまで、企業に財政資金を投入して増えたのは、雇用でも賃金でもなく、内部留保であることは多くの識者がすでに指摘済みです。国民に給付すれば貯蓄が増えるから無意味と批判する者は、企業に給付すれば内部留保が増える現実も批判すべきなのです。そして、企業へのてこ入れに代わる政策を考案すべきです。

このように、右肩上がり時代とは違って、企業を守っても雇用は守られることもなく、それ故わたしたちの生活が守られるわけでもないのですから、企業を優遇して財政資金を投入することで間接的にわたしたちの生活を守るのではなく、財政資金を直接わたしたちに投入することで、直接わたしたちの生活を守るべきなのです。そして、給付にあたっては、まずはなるべく条件をつけることなく一律に行うことが重要です。なぜなら、経済危機は、老若男女、職種、所得階層問わず等しく影響を与えるからです。

欧米各国は、今回のコロナショックに際しても、企業に財政資金を投入するのではなく、直接国民に給付を行っています。守るべきは企業ではなくわたしたち国民であるのは、政府としては当然だからです。

日本も、そろそろ右肩上がり時代の経済政策は捨てて、成熟経済の経済政策を実施すべき時が来ていると思いますが、いかがでしょうか?