貯蓄率低下が日本経済に与えるインパクト

NYTimes誌が日本の家計貯蓄率の低下について報道しています。

Japan’s Recovery Is Complicated by a Decline in Household Savings(NewYorkTimes 2015年3月15日)

日本の家計貯蓄率がマイナスに転じたことはすでに今年1月9日付の本コラム記事でもすでに取り上げた通りです。

マイナスに転じた家計貯蓄率

貯蓄率がどのように決定されると経済学で考えているかにつきましては同記事でご確認頂くとして、本記事では、NYTimes誌も指摘しているように、貯蓄率が低下すると、日本経済にどのような影響があるのかについて見てみたいと思います。

まず、経済学における貯蓄の定義について見てみましょう。経済学では貯蓄(S)は所得(Y)のうち消費(C)されなかった残余部分と定義されます。つまりS=YーCです。で、さらに、もしいま世界に日本しか存在しない(もしくは日本が外国とのつながりを一切断っている、要は鎖国している)と仮定すると、貯蓄(S)は投資(I)と等しい、つまりS=Iになります。ここでいう投資も一般的な理解とは異なり、株や金の購入ではなく、機械設備等実物資本の購入を意味します。

このことから貯蓄は消費や投資と関係することが分かりますが、消費との関連では貯蓄は景気動向と、投資との関連では貯蓄は経済成長と密接に関係します。

なぜなら、消費はわれわれがモノやサービスを購入することですから、モノやサービスを売る側から見れば売れた分だけ収入となりますので、よりたくさんモノやサービスが消費されれば企業の売り上げも増えますので、業績が良くなった企業が増えれば雇用も増やすでしょうし賃上げも行われるでしょう。逆に、モノやサービスがあまり消費されなければ企業の売り上げも増えませんし、その分経営状況が悪くなった企業が増えればリストラや賃下げが行われるでしょう。要すれば、前者であれば景気が良くなりますし、後者であれば景気が悪くなります。

まとめると、

短期的には、景気が良ければ(所得と消費の好循環が働けば)消費が増え貯蓄率は低下するし、景気が悪ければ(所得と消費の好循環が働かなければ)消費が減り貯蓄率は上昇する。

となります。

とすれば、NYTimes誌が報道した日本の貯蓄率の低下が景気が良くなった裏返しであれば問題とされるべきことではなく、かえって望ましいということになるでしょう。ただし、先の記事でも指摘しましたように、今般の貯蓄率低下は景気が良くなった裏返しというよりは消費税率引き上げに伴う駆け込み需要の影響が大きいです。さらに、今般の春闘では輸出製造大企業では景気の良い賃上げが相次いでいますので、このクラスターに属する労働者は消費を増やすかもしれませんが、それ以外の企業に属する労働者にまでその恩恵がトリクルダウンしてこない限り、平時における消費増、すなわち景気回復に伴う貯蓄率の低下は実現しないと思います。

先ほど、景気が良ければ消費が増える結果貯蓄率は低下すると言いましたが、では貯蓄率が低くなればなるほど日本経済にとって良い状況かと申しますと長期的にはそれは当てはまりません。なぜなら、国境を跨いだ金融取引が活発に行われ金融工学が高度に発展しリスク管理能力も高まった現在におきましてもフェルドシュタイン=ホリオカのパラドクスは健在であり、一国の貯蓄は一国の投資の主要原資であり続けていますので、貯蓄率の低下はすなわち投資の減少につながりその結果、経済成長率が低下してまうからです。この点は、企業がモノやサービスをより多く売るためには生産力の増強を行わなければならないということからも明らかです。生産力の増強は新規の設備投資あるいは技術革新等により達成されます。で、そうした設備投資や技術革新が経済成長を牽引することになるのですが、その原資は先にも申し上げました通り、一国の貯蓄ということになります。したがいまして、貯蓄が減れば経済成長をけん引する投資や技術革新が下押しされますので、長期的な日本の経済力を損なうことになってしまいます。

長期的には、貯蓄率が上昇すれば設備投資や技術革新に回せる資金が増えるため経済成長力が高まる。一方、貯蓄率が低下すれば設備投資や技術革新に資金を回せなくなるため経済成長力は低まる。

結局は、月並みの表現になってしまい恐縮ですが、消費と貯蓄のバランスが大事ということです。このバランスを崩さない経済政策が、特に日本のような少子化、高齢化深刻化国では求められます。

日本の場合はさらに世界最悪水準の財政も抱えていますので、貯蓄率が低下し国債市場に流れる国内マネーが減少してしまえば、海外からのマネーに依存せざるを得ず、それは(国内マネーに比して)より大きなリスクプレミアムが要求されると同時に、海外からの投機マネーは(国内マネーに比して)より頻繁に資金が移動しますので、日本の国債市場の不安定さが増すリスクが高まります。

まとめますと、貯蓄率の低下は、それが景気回復による所得増が伴わないものであれば家計のリスク負担能力を損なうことになるという短期的なマイナスの影響、さらに経済成長をけん引する設備投資や技術革新の原資を減らしてしまうので経済成長力を損なうことになるという長期的なマイナスの影響という長短両面から日本経済を下押しする圧力をもたらすことになってしまいます。つまり、一時的にはモノやサービスが売れ企業の業績が回復したとしても賃上げが広く日本の隅々まで及ばなければ(所得と消費の好循環が働かなければ)、所得増という裏付けがないわけですから消費の好調も長続きせず、そのうち企業業績の回復も反転して景気も悪くなると同時に、気がついてみれば長期的にも日本の成長力を奪う最悪の結果になってしまうのです。

そう考えますと、なぜ「インフレが全てを解決する」と主張してたハズの安倍政権が賃上げに躍起になっているのかもお分かりでしょう。実は賃上げ要請はインフレ目標達成のためばかりではなく、所得と消費の好循環による日本の経済成長力底上げのためなのです。