賃金のデジタル払いは時期尚早

(提供:tukinoto/イメージマート)

デジタルマネーによる賃金支払い(資金移動業者への支払い)の解禁

このところ、給与のデジタルマネーによる支払いが解禁されることが決まったかのように報道がなされています。

たとえばこんな記事です。

見てわかる給与デジタル払い キャッシュレス化後押し

政府は今春にも給与のデジタル払いを解禁する方針です。希望者には銀行口座を介さずに資金移動業者が運営する決済アプリなどに給与が直接、振り込まれるようになります。新型コロナウイルス禍で現金を敬遠する流れもでているなかで、日本社会のキャッシュレス化を一段と後押ししそうです。

(日本経済新聞 2021年3月1日11:00)

 ですが、この給与のデジタルマネーによる支払いは、労働者、とりわけ余剰資産などがない弱い立場の労働者にとって大問題です。

なぜ、禁止されているのか?

 労働基準法24条1項は、賃金の支払い方法に関して「通貨払原則」(賃金は通貨で払わねばならない)と定めています。

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【労基法24条1項】

賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。

ただし、法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合においては、通貨以外のもので支払い・・・できる。

 この「通貨払原則」の趣旨は、労働者の生活の糧である賃金を全額確実に労働者の手に渡るようにするため、日本国通貨による支払いを保障するためです。突き詰めれば、労働者の生存権を保障する(憲法25条)に由来する重要な権利です。

 とはいえ、現行制度上も「通貨払原則」の例外があり、現金と同程度の「確実な支払い方法」(労基法24条1項)として、労働者が指定する銀行等が認められています。

【労基法施行規則:第7条の2】

 使用者は、労働者の同意を得た場合には、賃金の支払について次の方法によることができる。

一 当該労働者が指定する銀行その他の金融機関に対する当該労働者の預金又は貯金への振込み

二 当該労働者が指定する金融商品取引業者(金融商品取引法(昭和二十三年法律第二十五号。以下「金商法」という。)第二条第九項に規定する金融商品取引業者(金商法第二十八条第一項に規定する第一種金融商品取引業を行う者に限る。)をいう。以下この号において同じ。)に対する当該労働者の預り金(次の要件を満たすものに限る。)への払込み(イ~ハ略)

 そこに、上記の例外として、この労基法施行規則の規程に、新たに賃金のデジタル支払いを追加しようというのが今回の動きです。

労働者が背負わされるリスク

 問題は、資金移動業者のデジタル支払いは、少なくとも現在、銀行預金と同程度の「確実な支払い方法」であるとはいえないことです。

 銀行などと違い、資金移動業者が破綻時の預金者保護などの制度が不十分で、いざというときに、労働者が給与を使用できないリスクを負わされるのです。しかも、こうった事態がおきても、資産がある労働者はさほど困らず、生活に余裕がない弱者ほど生活資金が直ぐに枯渇して、大きな影響が及ぶのです。

 金融審議会「決済法制及び金融サービス仲介法制に関するワーキンググループ」(第1回)資料3より 
 金融審議会「決済法制及び金融サービス仲介法制に関するワーキンググループ」(第1回)資料3より 

不正利用時の補償制度が不十分

 銀行預金については、預金の不正引き出しが社会問題化したことで、預金者保護法が成立・施行され、盗難カード・偽造カードによる預金者の被害者救済の制度も成立しています。

 他方、キャッシュレス決済は、法的な救済制度が不十分で、各社の利用規約にゆだねられています。これでは、利用者が最終的に補償をうけることができるのか、懸念があります。

 少なくとも、賃金のデジタル払いを解禁するのであれば、預金と同程度の補償制度を創設するのが先決です。

 第166回 労働政策審議会労働条件分科会・令和3月2月15日資料より
 第166回 労働政策審議会労働条件分科会・令和3月2月15日資料より

労働者のニーズはあるか

 この数年でキャッシュレス決済は大きく拡がっており、今後もより拡がっていくでしょう。私自身、キャッシュレス決済推進には大賛成です。

 とはいえ、その推進手段として給与の支払い自体をデジタル払いにする必要性はないでしょう。

 銀行口座に支払われた賃金から電子マネーなどへ移行は、それほど手間ではありません。もしそれが手間で推進の阻害要因であるのならば、より一層の企業努力でその不便さを解消すれば足ります。

 デジタルマネーによる賃金支払いを求めているニーズは労働者側にはなく、銀行から商圏を奪おうとしている一部経済界、給与支払い時の振込手数料など企業が負担するコストを削減したいという、事業者側のニーズに過ぎません。

 キャッシュレス化推進は好ましくとも、その手段として、労働者にリスクを負わせて、賃金のデジタル払いを利用するのは順序が逆です。賃金が労働者の生存にも関わる問題である以上、社会全体にキャッシュレス化が浸透した後、最後に賃金のデジタル払いが解禁されるべきでしょう。

外国人労働者のため?

 政府は、賃金のデジタル払い解禁の理由の一つとして、外国人労働者が日本で生活する際の利便性を掲げています。

 たとえば、「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策(令和2年度改訂)」は、《現状認識・課題》として、外国人が日本で生活していく際、家賃や公共料金、賃金の受領等さまざまな場面で金融機関の口座利用が必要となるため、外国人が円滑に銀行口座を利用することが必要になることを指摘し、これを踏まえ、口座開設が難しい外国人労働者に対しては、賃金のデジタル払いのニーズがあるとするのです。

 しかし、上記《現状認識・課題》の改善が求められるののは、日本で生活する外国人が金融機関での口座開設がしにくいことです。何も、賃金のデジタル払いを解禁しても、銀行口座は開設できず、抜本的な解決にもなりません

 この点、政府も「金融機関における外国人口座開設等の金融サービスの利便性向上」(前記対応策・施策番号85)や、特定技能外国人及び技能実習生に対して受け入れ企業が金融機関で円滑に口座を開設できるようサポートすること(同・施策番号86)を掲げており、これを充実させれば足りるのです。

 また、日本で働く外国人労働者は、仕送り等のため、給与を現金で母国に送金する必要がある方も珍しくありません。デジタル払いによる賃金支払いを押しつけられた外国人労働者が、電子マネーを母国通貨へと交換して送金するのに困ることはないでしょうか。

 仮に制度の建前上、労働者本人の同意が要件となっても、現実的な歯止めにはなりません。外国人労働者、たとえば、現代の奴隷制度と称される技能実習生は、日本人以上に使用者に対して立場が弱く、パスポート取り上げなどの人権侵害が後を絶ちません。使用者が、賃金のデジタル払いを求めたらこれを拒否できるような関係には無く、歯止めとして機能し難いのです。

 外国人労働者の便宜を問題にするよりも、歪んだ入管行政を正したり、世界的にも悪名高い技能実習制度をさっさと廃止するなど、やるべき事は山ほどあります。

まとめ

 こう考えると、賃金のデジタル払い解禁は、あまりに時期尚早です。

 さまざまな問題点や懸念、とりわけ、資金保全と不正引き出し等への不安が払拭できない状況、「通貨払い原則」の例外を安易に解禁することは許されないのです。

 しかも、政府は労働者の生活に関わる重大な改正を、拙速に法改正を経ずに済ませようとしています。労基法24条1項は法律でも例外が設定できるのですから、仮にこれを認めるにせよ、厚生労働省令ではなく、きちんと国会審議での問題点に関する討議を経て、法律で制定すべきです。