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退職者へ不当な損害賠償請求を行う会社に未来はあるのか?

嶋崎量弁護士(日本労働弁護団常任幹事)
退職すらできない恐怖は計り知れない(写真:アフロ)

この事件が今も継続しています

今年3月、私の担当事件で、ブラック企業を返り討ちにした判決をいただきました。

この事件は、入社9ヶ月ほどの新卒新入社員が、入社後の就労環境が原因で精神疾患を発症したため一旦は会社も合意して退職したところ、後に会社(旧社名:株式会社プロシード、現社名:株式会社ディーコープ、いずれも神奈川県鎌倉市岡本所在)が退職理由を「詐病」だと主張して退職者に約1200万円もの高額の損害賠償を請求し提訴したという事件です。

一審の横浜地裁判決は、会社から退職者への請求は全て退け、逆に退職者から会社への不当訴訟であるという理由で110万円の慰謝料請求を認めました。端的に言えば、労働者側の全面勝利です。

判決がでたときには、各種メディアで、ブラック企業を返り討ちにしたと大きく報道もしていただきました。

精神疾患で退職した従業員を訴えた会社が敗訴・・・逆に慰謝料を支払う羽目に(弁護士ドットコムニュース)

不当訴訟 苦痛で損害賠償 会社に110万命じる 横浜地裁(毎日新聞)

判決は、会社の退職者に対する損害賠償を退けただけでなく

原告(=会社)主張の被告(=退職者)の不法行為によって原告主張の損害が生じ得ないことは、通常人であれば容易にそのことを知り得たと認めるのが相当である

とも判断してくれました。

この原審は、以下の最高裁判決を前提に判断しており、極めて穏当なものと考えています。

訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という。)が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である(最高裁昭和63年1月26日第三小法廷判決)

原審の担当裁判官は、(法律家でなくても)通常人(=一般の方)なら請求が認められないと分かるケースだし、敢えて請求をして訴訟に巻き込んだ点がいかに当事者(退職者)に苦痛を与えたのか、本件の事情をきちんと把握して判断をしてくれたのだと思います。

判決をうけて、退職者ご本人はとても喜んでくれました。

上記記事中にもあるように、「この判決を契機に、不当訴訟を起こす会社、私のような苦しい思いをする方がいなくなれば、なお嬉しいです」ともおっしゃっていました。

この判決が確定すれば、反訴して裁判を闘ったご本人やこれを支えたご家族の努力も報われるだろうと、代理人の私たちも判決確定を望んでいたのです。

会社が驚きの控訴!!

ところが、会社はなんと控訴してきました。

正直言って、この対応には代理人の私も驚きました。

会社からの損害賠償請求が認められないだろうことは、証拠などこれまでの訴訟経過からも一審の判決文からも明らかだったからです。

会社は、退職者が詐病であったと主張をしていましたが、ご本人は医師の診断書があり(なお、会社からの損害賠償請求などが契機となり、その後症状が悪化して入院するなどの病状は現在も芳しくありません)、医学的にも証拠上も覆るとは思えませんでした。

会社としても、一刻も早く事件を収束させたいと考えると思っていた私の予想は外れ、控訴審へと紛争のステージは上がりました。

なお、ご本人は、会社の対応に対して憤り、さらに強い決意で控訴審を闘い抜くと決意し、控訴審では一審で認められた損害賠償の増額を求める手続き(付帯控訴)も行いました。

驚くべき控訴審での会社の対応

会社は、医師の診断書もあるのに、原判決は退職者が退職時に「不安抑圧状態にあった旨誤認」したなどとして、争ってきました。

さらに、控訴審で会社が提案した和解提案は、驚くべきものでした。

退職者の側が会社に対して謝罪の意思を示すこと、を和解条件として求めてきたのです。

(ただし、会社が退職者に一定の見舞金(=損害賠償ではない)は支払う)

この和解提案には、驚きを隠せませんでした。

この後に及んで、退職者に謝罪させようとするということは、会社は認められるはずも無い損害賠償請求を弱い立場の労働者に起こして追い詰めた、本件不当訴訟自体に対する反省は微塵もないのだとしか考えられません。

そもそも、これまでの訴訟経過からして、こんな和解など成立するはずもありません。

この会社側の和解方針が要因となり、控訴審での和解の可能性もほぼ消えて、9月末に高等裁判所の判決が予定されています。

なお、一審判決前後に、一審判決で報道された時の社名を変更しています(旧社名:株式会社プロシード、現社名:株式会社ディーコープ、住所は神奈川県鎌倉市岡本で変わらず)。

何故か、社名を変えて既に5ヶ月ほど経過しているのに(2017年8月6日現在)会社のホームページなど未だには旧社名(株式会社プロシード)のママで新社名(株式会社ディーコープ)は表示されません。本当に不思議です。

いずれにせよ、類似社名の他社との誤認混同など、くれぐれもご注意下さい。

この事案だけなのか

実は、会社から退職した労働者に対する損害賠償を請求するケースが増えています。

例えば、こんな事件も大きく報道されました。

退職したら「研修費用」返還を求め訴えられた…元社員の男性が慰謝料求めて反訴(弁護士ドットコムニュース)

会社が労働者に対して、損害賠償額を予定する契約をすることは、労働基準法でも禁じられています。

(労働基準法16条)使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。

ですから、上記研修費用の事案も、当該労基法の規定に違反している可能性すらあるでしょう。

(なお、労働基準法16条に違反していないとしても、会社から労働者への研修費用返還が直ちに認められるものでもありません)

会社から退職者への損害賠償請求の狙いは?

実際に裁判で判決までいった場合、会社から退職者への損害賠償請求を認める事案は、情報を故意に流出させた場合など極めて特殊なケースに限られます。

会社が、判決で勝訴するケースはとても特殊なケースだけなのです。

にもかかわらず、裁判までおこして退職者に請求する本音は会社にしか分かりませんが、何もお金の回収だけが狙いでは無いのでは?と推測します。

人手不足の業界で、退職しないように労働者をつなぎ止めたいという願望があります。そのため、在職中の方への警告の意味でこういった会社から退職者への損害賠償請求が乱発しているのでは?と推測しています(真偽の程は分かりませんが)。

会社にメリットがあるのか?

重要なのは、会社が退職者に損害賠償請求しても、単純に(再募集で費用がかかった、退職により穴埋めする人材手配にお金がかかった)などという理由だけでは認められないということです。

そして、事案によっては、会社が認められる可能性が無い損害賠償請求したことを理由に、会社が逆に退職者に対して不当訴訟を理由に損害賠償を支払わねばならない可能性もあるというリスクは、強く認識するべきでしょう。

さらに言えば、在職中の違法行為(例えば、残業代不払いなど)があれば、その点も含めて支払を命じられる可能性があります。

その典型例は、エーディーディー事件(京都地方裁判所・平成23年10月31日判決)でしょう。

この事件は、(A)IT企業X社(原告)が、X社の退職者Y(被告)に対して、業務の不適切な実施などを理由に2034万円余の損害賠償を請求したのに対して(A事件)、(B)退職者YがX社に対し反訴として、残業代不払い・安全配慮義務違反による不法行為に基づく損害賠償などを請求したものです(B事件)。

結論として、A事件で会社の請求は全部棄却、B事件で会社から退職者に対して約1368万円(残業代等+付加金)の支払を命じました。

上記裁判例など踏まえれば、会社が退職者に損害賠償請求することが、法的な観点だけみれば、一般的にメリットは無いことは明らかだろうと思います。

そして、退職者に対して不当な損害賠償請求を提起するような会社が将来発展する可能性があるのか?は、司法のみならず、労働市場を含めた社会全体が厳しくチェックする中で、自然と答えが見つかるのでしょう

弁護士(日本労働弁護団常任幹事)

1975年生まれ。神奈川総合法律事務所所属、ブラック企業対策プロジェクト事務局長、ブラック企業被害対策弁護団副事務局長、反貧困ネットワーク神奈川幹事など。主に働く人や労働組合の権利を守るために活動している。著書に「5年たったら正社員!?-無期転換のためのワークルール」(旬報社)、共著に「#教師のバトン とはなんだったのか-教師の発信と学校の未来」「迷走する教員の働き方改革」「裁量労働制はなぜ危険か-『働き方改革』の闇」「ブラック企業のない社会へ」(いずれも岩波ブックレット)、「ドキュメント ブラック企業」(ちくま文庫)など。

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