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“おんなギター流し”おかゆ、灰皿を投げられても…亡くなった母の夢かなえた!

島田薫フリーアナウンサー/リポーター
ギターを手に、”流し”になった経緯を話すおかゆさん(撮影:すべて島田薫)

 「コギャル」から「ウギャル」、そして“おんなギター流し”となり、日本全国のスナックを回ります。流しで回った店は1500件以上、全国縦断女一人旅は、想像以上に過酷でした。そして、いくつもの試練を乗り越えた令和の今、亡くなった母の夢をかなえて歌手になった、おかゆさんの波乱万丈の人生に迫ります。

−堺正章さん司会の「THEカラオケ★バトル」(テレビ東京系)によく出ていましたね。

 2018年くらいですね。初優勝した時に歌ったのが、藤圭子さんの『女のブルース』、河島英五さんの『酒と泪と男と女』と、両方とも流しで覚えた曲だったのが、本当にうれしかったです。それまでの人生で、優勝したことも、トロフィーをもらったこともなかったですから。

 カラオケで100点を取るには、機械が好む歌い方をするのがコツです。少しでも感情を入れてフワッとなるとNG。音程・ビブラートの質・速さ・長さ・幅…、どういう歌い方をすれば100点が取れるのか、研究すべく1日15時間、カラオケボックスに籠もってひたすら歌い続けました。

 “カラオケ”と“流し”は対極です。お客さんの心を酔わせるように歌うのが流しなので、機械的基準があるカラオケの歌い方とは真逆なんです。

 とはいえ、「THEカラオケ★バトル」のおかげで、歌は格段に上達しました。あんなに根を詰めて練習したことはなかったですし、音楽に対して厳しく向き合うことを学ばせてもらったので、本当に感謝しています。

—なぜ“流し”をやろうと思ったんですか?

 私は、母が20歳の時に生まれました。物心がついた時には、札幌・ススキノのスナックで、歌手志望だった母が歌っているのを聴いて育ちました。

 その母が、私が高校生・17歳の時に(事故で)亡くなったんです。反抗期で交流も絶っている時だったので、思い出がスナックで歌っていた姿しかなくて。「歌手になりたい」と言っていた母の夢をかなえたい…というところから、流しへの道が始まりました。

—どんな高校生でしたか?

 16歳でギャルになったんですけど、渋谷のギャルに憧れて17歳で東京に出て来ました。「ガングロ、カッコイイ!」と、日焼けサロンに通い詰めていましたね(笑)。

 20歳で「コギャル」から「ウギャル(水産庁の公式認定プロジェクト、若者に魚食の魅力を伝え漁業振興に努める運動)」になりました。これがまた派手で、金髪に大きいリボンとホットパンツ、つけまつ毛を2枚も3枚もつけて、ギラギラしていました。

 ギャルが震災後の水産業界を盛り上げるには「音楽」だ!「演歌」だ!『兄弟船』(鳥羽一郎さんの代表曲)だ!ということになり、私に声がかかったんです。以前「歌姫オーディション」でセミファイナルまで進んだことがあって、「その時に演歌を歌っていたよね」と覚えていてくれた方がいたんです。実際は高橋真梨子さんの曲でしたけど(笑)。そこからウギャルのメンバーになりました。

—そこから、どんな経緯で流しに?

 ウギャルとして全国の港町を回っていたんですが、最終的に活動できるメンバーが2人になっちゃったんです。私が歌いたいということは皆分かっていたので、これでダメだったらやめるしかない…ということで、「母との思い出のスナックを回ろう」と決めました。

—20代の若い女の子が1人でスナックを回るのは怖くなかったですか?

 無我夢中でした。最初は、店の扉の前で30分立っていただけで。怖くて、開けられないんです。場所は東京の文京区湯島。「東京 スナック 一番多い場所」で検索したら湯島が出てきたんです(笑)。1晩で32軒、連続で断られました。

—どんな感じで断られるんですか?

 やっとの思いでドアを開けて「あの、歌を…」の段階でガチャッと閉められます。今みたいに上手く説明もできないし、実は“流し”という言葉自体も知らなかったので、「ギターでちょっと歌っていいですか?」と聞いて、「ダメダメ、路上で歌っておいで」と追い出される感じで。

 でも、当然だと思います。ギターも弾いたことがない人間が『兄弟船』1曲だけで入ってきても、無謀ですよね。

 しかも、スナックを回り始めたのが、1年で一番寒いとされる大寒の日(笑)。夜11時、「次のお店がダメだったら、終電も行っちゃうしやめよう」と覚悟して訪ねた33軒目で、ようやく店内に入れてもらえたんです。

 それなのに、手も口も凍りついてしまって全然動かなくて、3回くらい演奏を間違えてしまって。「もう1回いいですか?」と言いながら、ボロボロです。でも、そこのお客さん達が「なんでこんなことしているのか分からないけど、とりあえず頑張れ」と5000円、お気持ちをくださったんです。

 最初の1年は全く相手にされませんでした。自分が悪いんです。実力不足、技術不足、歌も知らない、リクエストされても弾けない。「それ、流しじゃないよ」と皆に怒られて、「出て行け」と言われることもありました。

 でもリクエストを受けているうちに、レパートリーが増えていきました。「次までに絶対覚えてきます」と約束して1曲ずつ増やしていって。スナックのお客さんは歌好きの方が多いので、皆さん親切に教えてくれました。

 始めた頃、何も見ないで披露できるのは『兄弟船』だけでしたが、今は100〜150曲くらいになりました。スマホでコードを見られる時代なので、大抵の曲はその場ですぐ演奏できます。

—嫌な思いをしたことはありますか?

 たくさんあります。セクハラはされるし、ギターを壊されそうになったり、傷つけられたこともありました。お金、タバコ、灰皿を投げられたこともあります。

—なぜ続けられたんですか?

 母のためです。私は母が亡くなったことがきっかけで歌手になりました。とはいえ、ある時「母親、実は死んでないんじゃないの?ビジネスか」って言われたことがあって。それは結構きつくて、こたえましたね。でも、これまでもすごくつらかったから、絶対やめないという思いでした。

 目標はあるんです。母の口癖が「七転び八起き幸せに」だったので、それを「7842」と数字に置き換えて、流しでスナックで出会った7842名の方と写真を撮ること。この目標は達成させたいです。

—テレビに出演することになったきっかけは?

 22歳から流しで全国を回っていたんですけど、2017年に自主制作のCDを出して、インディーズデビューしたんです。自分でチラシを作って全国に配りました。マネジャーもいないので、自分の携帯番号を“担当者連絡先”にして。

 そうしたら、「THEカラオケ★バトル」のスタッフさんがそれを見つけて、「おもしろい!カラオケバトルに出ませんか?」と電話をくれて、出場へとつながったんです。

—その後、メジャーデビューすることになるんですね。

 「THEカラオケ★バトル」に出ていた頃、イオンモールでキャンペーンをさせてもらったんです。私の出番の前後がメジャーのアーティストの方で、その担当のレコード会社(ビクター)の方がいらしていて、私のステージを観て「メジャーデビューしないですか?」と声をかけてくれまして。その方が、今の担当ディレクターです。

—今後の夢はありますか?

 自分が作った曲でヒットを出すことです。流しは、先輩方が作られた曲を歌うのが仕事なので、「自分の歌を聞いてください」じゃなくて「何を歌いましょうか?」と聞きます。ですので、カバーソングのアルバムを出しました。

 時代が変わっても人の心に残り、歌い継がれていく曲はすごいです。今回発売するカバーアルバム『おかゆウタ カバーソングス2』では、明治・大正・昭和・平成を振り返りました。『星めぐりの歌』は、あの宮沢賢治さんの作詞・作曲で驚きましたし、感動しました。だから、私もそうなりたいです。皆さんが当時を思い出すようなヒット曲を、絶対作りたいです。

【インタビュー後記】

驚いたことに、おかゆさんはお酒が飲めないそうです。夜の街で“流し”を続ける過酷さに加え、100%勧められるお酒を断る大変さも加わり、どれだけ強い人だろうと感嘆の言葉しか出てきません。笑いと涙にあふれたインタビュー中、「出会いに感謝」と、お世話になった方への感謝を繰り返し口にしていましたが、1人で本気で頑張ってきたからこその出会いなのだと思います。

■おかゆ

シンガーソングライター。1991年6月21日生まれ、北海道札幌市出身。本名の「ゆか」をもじってつけられた中学時代のニックネーム「おかゆ」がアーティスト名の由来。17歳の時に事故で亡くした歌手志望の母の想いを受け継ぎ、歌手になることを決意。2014年から全国のスナックや居酒屋を巡り、“流し”として活動を始める。テレビ東京系「THEカラオケ★バトル」で2度の優勝。BSテレ東「徳光和夫の名曲にっぽん」で6代目アシスタントMCに抜擢される。2019年5月、メジャーデビュー。2022年1月26日カバーアルバム『おかゆウタ カバーソングス2』を発売。

フリーアナウンサー/リポーター

東京都出身。渋谷でエンタメに囲まれて育つ。大学卒業後、舞台芸術学院でミュージカルを学び、ジャズバレエ団、声優事務所の研究生などを経て情報番組のリポーターを始める。事件から芸能まで、走り続けて四半世紀以上。国内だけでなく、NYのブロードウェイや北朝鮮の芸能学校まで幅広く取材。TBS「モーニングEye」、テレビ朝日「スーパーモーニング」「ワイド!スクランブル」で専属リポーターを務めた後、現在はABC「newsおかえり」、中京テレビ「キャッチ!」などの番組で芸能情報を伝えている。

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