東儀家は、奈良時代から1300年続く楽家。東儀秀樹さんは、日本で最も有名な雅楽師です。近寄りがたい印象がある反面、素顔は子供のように天真爛漫。そして、実は帰国子女という経歴もお持ちです。ご長男・東儀典親(のりちか=15歳、愛称・ちっち)さんも2019年にデビューし、今後は親子での活躍も増えていく予感。デビュー25周年を迎えた今、これまで&これからを語っていただきました。

—最近はコラボの幅が広がって、人気コンビ「千鳥」の番組にも出ていらっしゃいましたね。

 何度か番組に呼んでいただいていますが、あれ大変ですよ(笑)。狩衣(かりぎぬ=平安時代以降の公家の普段着)を着て走りながら篳篥(ひちりき)を吹いたりする。篳篥は、息がブレると音も絶対ブレますから、普通の人はできないんです。僕?僕は、篳篥と一体化しているからできるんだと思います。お笑い番組に出ても演奏は手を抜きません。

 お笑い系の番組、大丈夫ですよ。僕は、宮内庁楽部を出て今年で25年になるけど、未だに「皇居にいた人」とか「1300年の家の人」というイメージが強くて、神経質そうで笑わない…と思われていたりするんです。だから、ちょっと笑っただけで「笑った!」とウケたりすると“得だな”と思うこともあるくらい(笑)。真面目な部分もふざけた部分もどちらも本当の僕なので、こういうことも知ってくれるとうれしいですね。

—楽家である東儀家に生まれたものの、東儀さんの雅楽の歴史は宮内庁楽部からですよね。

 実は雅楽を始めたのが遅くて、高校まではロックやジャズばかりやっていました。父の転勤で海外に住んでいた帰国子女とあって、外国人が日本を誤解している場面に遭遇することもあり、本当の日本を知ってもらいたいという気持ちが湧き出てきたんです。親から「雅楽師になれ」と言われたことはなかったけど、日本人が日本の文化を背負うことは大事なことで、誇りに感じることであり、責任もあると考えたんです。

 そこで、19歳の時に宮内庁楽部に入りました。とは言っても、楽師は国家公務員なので、東儀家だろうが「その年齢ではもう無理です」と、最初は断られました。「何とか試験だけでも」と受けたところ、無理だと言っていた試験官の顔が試験中にみるみる変わっていき、認めてもらえました。

 雅楽は集団で演奏するものですが、僕自身がメディアで扱われるようになり、徐々に個人で外に出ることが増えていきました。その場合は有給休暇を取って対応するんですが、いつでも休めるわけではない。特に、外国の大統領や国賓が来日すると、宮中晩餐会が開かれたりするのですが、その予定もそれほど前もって職員には知らされないことが多いのです。

 ある時、僕個人でオファーを受けていた日が、直前になって「ゴルバチョフ大統領(当時)が来る日」だということが分かり、受けた仕事を断らなければいけなくなり…。そんなことが続いて、自分の表現ができないことに、フラストレーションを抱えてしまったんです。「古典の世界が嫌で飛び出したんだろう」と思われそうだけど、そうじゃない!僕は、誰よりも古典が好きだし、古典の演奏方法や表現には自信がある。そのうえで、新しいコラボというチャレンジをするから、今も胸を張っていられるんです。

—デビューしてから、どんな25年でしたか?

 自分はブレていないと思えます。ものに対する考え方は変わらないし、常に後悔しないようにという思いは、年々色濃くなってきていますね。人からは、とんでもないポジティブ思考、プラス思考と言われます。自分の才能に不安を持ったことがない…って言うと、嫌な感じでしょう(笑)。でも、ライバルがいないんです。ライバルがいなければ自問自答して悩むのもアーティストっぽいけど、僕はそれもないんです。

 音楽家は、練習を積み重ねたから大丈夫、とか、食べ物や起床・就寝時間などルーティンを決めていたりする人が多いんだけど、本番前、それができなかった時に不安になるのが嫌だから、僕はあえて決めないです。何があってもその時に最高のことをするというのが、本当の表現者だと思います。

—失敗したことはありますか?

 それは…ある。以前、ピアノの前奏の後に篳篥を吹く場面で、リードの調子が悪くて音が出なかったことがあるんです。

 皆が期待している中、「プシュッ」と変な音になってしまった。その時は、すぐピアニストに「ごめん!止めて」と言って、マイクを持ってお客さんに説明しました。「ただいまの取り組みについて説明します。実は、今ピアノの前奏の後に、とてもいいメロディーを吹く予定でした。だけど、僕がその前にしゃべり過ぎてしまい、その時間でリードが乾いて、音が出なくなってしまいました。何とかなると思ったけど、ならなかったのが今の状況です」と。さらに、「こんなレアな瞬間に遭遇できたことは皆さんは幸運かもしれない。こうなったからには、予定以上の演奏をします!」と言ってから、演奏を再開しました。

—今、新しいコラボは考えていますか?

 12月に、N響メンバーによる弦楽アンサンブルとコラボいたします。名古屋公演では、尺八奏者/和楽器バンド・神永大輔さん、東京公演では、ヴァイオリニスト・川井郁子さんとの、初の組み合わせを予定しています。N響とは、LiSAさんの楽曲『炎(ほむら)』をやります!映画「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」の主題歌として大ヒットしましたから、これは広い世代に楽しんでもらえると思います。

 神永さんは、ものすごく技術の高い器用な人で、僕が彼のオリジナルの作品に加わったりします。違う景色が見えますよ。

 川井さんは、いつもエレガントでしょ?褒め言葉として言いますけど、音は“男っぽい”んです。だから「ジーンズか何かで、軽くジャケットを羽織って、サングラスかけてショートカットで、カッコよくヴァイオリン弾いてよ!」とお願いしたんですが…やってくれないみたい(笑)。

—ご長男には、跡を継いでほしいと思いますか?

 息子の誕生は何よりもうれしかったことで、日本の歴史・文化・美学、そして価値観については普段からよく話しています。僕が、雅楽をワクワクしながら演奏しているのもずっと見ているから、「パパみたいに篳篥を吹けるようになりたい」「パパみたいなロッカーにもなりたい」と言っています。

 僕は「雅楽師になりなさい」とは言ったことがないです。これからも言うつもりはありません。彼が雅楽を好きなのは知っているから、何も言う必要はない。僕は“ロックやジャズもやる雅楽師”、彼は“雅楽もやるロッカー”になればいいと思っています。

 よく、「息子さんが雅楽師にならなかったらどうしますか?」と聞かれますが、1000年以上続いてきた中で、自分が生きて次の代にバトンを手渡す瞬間なんて、ただの“点”でしかないわけです。そこを虫眼鏡で見て「どうしよう」なんて言っている人生は、おもしろくない。

(長男:典親さん)
(長男:典親さん)

—ご長男は2019年の雅楽の舞台でデビューされて、雅楽師としての顔を持ちましたね。

 本人もそういう気持ちでいます。だから、学生であり、雅楽師であり、ロックミュージシャンです。作曲家としても、僕のアルバムで2曲提供してくれています。

 一般的に見れば、やっぱり跡継ぎができてホッとしているんだと思われるかもしれないけど、もし息子が雅楽師にならなくても、雅楽がいかに良いもので、日本人にとって大事なものであるかという価値観を、知識として知っていてほしい。自分が、そういうものを守ってきた家に生まれたことに誇りを持ってほしい。その知識と誇りが、雅楽師になることより重要だと思っています。

 その価値を伝えてさえいれば、僕が死んでから何代か先でも、雅楽師はきっと出てきます。それを、僕は天上から「今頃か」とか「思ったより早いな」とか言いながら見せてもらおうと思っていてね。一人の人間の人生を、親が勝手に決めることはありえない。人生は、その人が一番イキイキと生きて死ぬ…というのが最優先されるべきだと思っています。

—人生、楽しまなきゃいけないですね。

 「楽しまなきゃいけない」は、楽しめない人のセリフだから(笑)。プラス思考という言葉も、マイナス思考の人の言葉ね!

【インタビュー後記】

好奇心が、海よりも広く深い。インタビュー当日、筆者が持っていた新しいボイスレコーダーにまで興味津々、しばらくその話で盛り上がりました。才能にあふれた方ですが、一番の才能は、人生を心底楽しんでいることかもしれません。長男・典親さんは、聡明で、お父さん同様に好奇心豊かでスター性があります。慈愛に満ちたお釈迦様のような目で、無邪気に遊ぶお父さんを見つめている姿には、心が洗われるようです。今後の親子の活動にも注目です。

■東儀秀樹(とうぎ・ひでき)

1959年10月12日生まれ、東京都出身。東儀家は、奈良時代から1300年間雅楽を世襲してきた楽家。父親の仕事の関係で幼少期を海外で過ごし、ロック、クラシック、ジャズ等あらゆるジャンルの音楽を吸収しながら成長。高校卒業後、宮内庁楽部に入り、在籍中は篳篥を主に、琵琶・太鼓類・歌・舞・チェロを担当。宮中儀式や皇居において行われる雅楽演奏会などに出演した。一方、ピアノやシンセサイザーとともに、雅楽の持ち味を活かした独自の曲も創作。1996年デビューアルバム『東儀秀樹』で脚光を浴びる。「東儀秀樹×N響メンバーによる弦楽アンサンブル」が12月3日に名古屋で、同6日に東京で開催される。名古屋・三井住友海上しらかわホールでは、尺八奏者/和楽器バンドの神永大輔さんが、東京・紀尾井ホールでは、ヴァイオリニストの川井郁子さんがゲスト出演。