五輪⇒世界選手権のこんなにも短いインターバルは、あの内村航平でも経験したことがない。しかもその3か月の間には全日本インカレもあり、かつテレビ出演、表敬訪問などのハードスケジュールだった。

五輪で個人優勝しているのだからいわばディフェンディングチャンピオン。

しかし、世界選手権としては初優勝へのチャレンジャー。

その心身にかかる重圧はどれほどのものだったかと思う。

もちろん、橋本大輝はそんなことを惜敗の理由にしたりはしない。「自分の調整力のなさ」と言い、優勝した張博恒(中国)を称えた。

五輪の3か月後の世界選手権は、どの国のどの選手にとっても初めての経験だった。五輪から引き続き出場してきた選手もいれば、五輪の出場は逃していたが、その国のこれからを担うだろう選手が出てきた国もあった。チャンピオンになった張は、後者だった。彼は東京五輪には出ていない。

コアな体操ファン以外にとっては「無名の選手」。

しかも、今大会でも予選は2位通過とはいえ今ひとつパッとしなかった。種目によってのでこぼこが大きく、ゆかは全体の17位、鉄棒、あん馬は全体の9位、1位の種目はひとつもなかった。予選首位通過の橋本がつり輪だけは28位に沈んだものの、他5種目では1位が2つ(跳馬、鉄棒)とほかの種目も決勝進出可能の8位以内に入っていたのに比べると少し差があるようにも見えた。

が。

決勝での張は、1種目目のゆかから「予選とは違う」キレのよさを見せつけてきた。第1タンブリングの着地は吸い込まれるように決まり、常に足先まで意識が届いた体線の美しさ、ピタリと閉じた両脚の隙のなさ。予選では14.133だったゆかの得点は14.883と決勝では跳ね上がった。続く橋本も若干動きに重さはあるものの、ていねいな実施で「勝ちにきている」と感じさせる演技で14.833。悪くない出来と点数だったがわずかに張に届かなかった。

橋本にとってもったいなかったのは2種目目のあん馬だ。

先に演技をした張が落下し、ここで橋本が普通に大過失なく通せればかなり試合運びが楽になると思われたが、橋本も落下。それでも失敗した技もやり直してしっかりDスコアを確保したことで14.166をマークし、この時点で暫定首位に立ったのはさすがだった。しかし、落下がなければここで張を突き放せていたことを思うと、惜しい落下だった。

3種目目のつり輪は、張は得意種目で、橋本は苦手としている。しかし、ここで橋本は予選よりも0.633高い13.966をマークし、つり輪では14.600を出した張へのリードをかろうじて保った。この時点での橋本のリードは0.016。

跳馬は二人ともD「5.6」の跳躍だったが、空中姿勢から着地まで完璧に決めた張は14.866で着地が両足でポンと前に出た橋本の14.800を上回った。

4種目終了時の得点で、張57.815、橋本57.765。今度は、0.05差で張が首位に立った。

しかし、残る平行棒と鉄棒は、橋本の得意種目。射程距離内ではあると思われた。

5種目目の平行棒。

橋本はこの班の第1演技者だった。残り2種目にミスは許されないとわかっていたはずのこの局面でのこの平行棒の演技は素晴らしかった。橋本があこがれていると言っていた田中佑典を彷彿とさせる美しい倒立に、飛距離のあるバブサーと見どころ満点の演技だったが、着地だけわずかに片足、後ろに引いた。それでも15.066。

報道席では、「橋本金」での紙面構成を指示するやりとりも聞こえてきた。

ところが、この種目最後の演技者だった張の平行棒はとてつもない精度の高さだった。倒立時に見せる脚のライン、つま先の美しさ。開脚から倒立にあえてゆっくりともっていき揃えたときの脚の美しさを際立たせるさばき方。そして、着地は微動だにせず。15.366をたたき出し、橋本との差を0.35に広げた。

この時点で、橋本の「世界選手権初優勝」「五輪&世界選手権二冠」に黄色ランプが灯った。

それでも。

最終種目「鉄棒」は、明らかに橋本にアドバンテージがある。

この時点での張との差は0.35だったが、橋本の鉄棒が完璧だったならば逆転は不可能ではない。

先に演技した張は、予選での鉄棒の得点は14.166。おそらく「完璧な演技をしなければ逆転される」とわかっていたと思う。それだけにプレッシャーのかかる場面だったと思うが、ここでまたしてもほぼ完璧な演技を見せた。3つ入れた手放し技は余裕をもって決め、チェコ式車輪も非常に美しかった。着地では片足のみ一歩下げたが、それ以外は素晴らしい出来で、14.800。予選での得点を0.634も上回ってきた。

これで橋本のターゲットスコアは15.150となったが、東京五輪鉄棒王者の橋本といえどこの点数は楽に出せるものではない。目の前で張のこの演技を見、得点を見た橋本はどんな思いで鉄棒に向かったのだろう。

しかし、ここで橋本は五輪王者の意地を見せた。手放し技はどれも雄大で、連続の手放し技も入れてきた。最後、着地がぴたりと決まれば逆転もあるか? そんな期待を十分にもたせる演技を見せる橋本の姿に、会場のボルテージは上がった。

あとは着地! 会場中が祈っていた。

着地は、両足で横に動いた。

おそらく0.3減点にはなるのではないか、と思う着地だった。

狙ったとおりにはいかなかった。

この瞬間、本人も「彼(張)の優勝だ」と思ったと言うが、それはおそらく見ていた人たちにもわかっていたように思う。

果たして得点は15.133。

やはり逆転優勝には届かなかった。が、張との差を一気に縮め、その差はなんと0.017。橋本が最後の瞬間まで勝負をあきらめず全力を尽くしたからこその名勝負だった。

最終得点だけを見ればじつに惜しい。悔しい銀メダルとなったが、五輪のときと違い表情からもかなりの疲労が感じられた橋本が、日本のチームメイトもいない中でたった一人で戦ったことを思うと、「よく踏ん張った」とも言える。

演技を始めればもちろんスイッチが入り、できる限りのことはやってくれたと思う。が、この日の橋本は今までに見たどの大会よりもつらそうだった。

ちょっと前までは見られていた、「この試合に出られていることにワクワクしている」という様子が今回は見られなかった。

それだけ抱えるものが増えていたのだろう。

それがチャンピオンになった者の宿命なのだ。

ある意味、この先もずっと名前の通り「大きく輝く」ような明るさ満点の橋本大輝の体操を見続けるためには、今回の負けは「吉」なのかもしれない。

五輪で勝ち、世界選手権で勝ち、ずっと勝ち続けられるのが当たり前のようになってしまうことで、あの持ち味をなくてほしくはないから。

今回の負けを「来年に向けて頑張る理由ができた」と語った橋本大輝は、きっと五輪チャンピオンとしての誇りと、世界選手権では勝てなかったという悔しさの両方を手にしたのだ。この先、伸びないわけがない。

そして、今回、優勝した張博恒も。まだ五輪には出たこともない彼が、パリ五輪に向けてどう伸びていくのか。

来年も、その先も、この二人から目が離せない。

もちろん、二人以外にも輝きを放った選手はたくさんいた。(アメリカのMOLDAUER Yul、ウクライナのKOVTUN Illia、イギリスのNATHAN Joshua、ベルギーのKUAVITA Noahなどなど。)

つまり。

東京五輪は終わっても、体操競技はまだまだこれから!

これからどんどん面白くなっていくのだ。