【新体操】全国の舞台に帰ってきた鹿児島純心女子が、地元で見せる「復活の物語」~2019全国高校総体

猛暑の中、鹿児島純心のアリーナでは何回も通し練習が行われていた。

「地元で開催される全国高校総体に出場する」

それは、誰にでも経験できることではない。

だからこそ、普通では味わえないような興奮と感動と誇らしさと、そして、プレッシャーがあるに違いない。

今年の新体操競技の開催地は鹿児島。

開催県には開催地枠があるため、同県の代表として女子団体に出場するのは、鹿児島純心女子高校と、鹿児島実業高校の2校だ。

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鹿児島県のA代表、予選1位通過したのが鹿児島純心女子高校だ。

「鹿児島純心」の名前は、新体操のオールドファンなら知らない人はいない。

それほどの古豪。そして、全国でもトップレベルの強豪校だった。

1971年に初優勝。そこから17年間、表彰台の常連だった。1974年から1985年にかけては12連覇という空前絶後の記録も達成している。

ところが、1987年の優勝を最後に、表彰台からは姿を消し、ついには鹿児島代表の座からも陥落した。

しかし、地元・鹿児島開催の全国総体を1年後に控えた2018年。

鹿児島純心は、じつに14年ぶりに鹿児島代表の座を奪還する。

全員が1年生というメンバーは、経験値こそ高くないが、1年生だけにとにかく一生懸命、ひたむきに頑張れる選手たちだった。その必死さが演技にも勢いを与え、昨年は全国総体の切符をつかんだ。

そのチームが、1年を経て、より大きく成長して、地元開催の全国総体を迎える。

これは期待できる、と思う。

7月27日。

鹿児島純心を訪ねると、いつ見ても一生懸命な選手たちが、全国総体を目前にして、ますます熱く、練習をしていた。

すでにアップや部分練習は終わっていたので、ひたすら通す。飽くことなく、妥協することなくひたすら通す。そんな練習ぶりだった。

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フロアマットは1面。

同じ時間に、中学生やジュニアの小学生の練習も行われており、中学生の団体と交代しながらマットを使っていた。マッら下りれば、体育館の空きスペースを使って、前の通しでミスしたところや指摘されたところを繰り返し、繰り返し練習。

マットに入る前には、全員で円陣を組んで注意点を確認し、緊張感をもってフロアマットに上がり、通す。それでも、猛暑の中、朝から練習している中での午後の通しでは、ミスも出る。ひとつミスが出て、焦り始めるとまたミスが続く。そんな通しになってしまうと、栗山菜々緒監督から厳しい檄が飛ぶ。

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「そこさっきもミスしてたのに、ちゃんと確認はしたの? 直そうって気ないの?」

鹿児島純心の練習はまさに体育会系だ。

選手たちは常にきびきびとしているし、声が大きい。監督からの厳しい言葉に対しても、黙ってうつむいてしまうのではなく、必ず大きな声で返事をする。

「直す気ないの?」と問われれば、「あります。次は必ず直します!」

「やる気ないなら、通さなくていい」と言われれば、「いいえ、やります!」

だから、ミスが起きたとき、うまくいかない箇所があるとき、自分たちの意見も言える。

「投げの高さがいつもより少し高すぎたので、タイミングが狂いました」

と、ミスの原因を分析して、説明することができる。

ただ大きな声を張る、というだけの体育会系ではない。「大きな声を出すこと」が、自分で考え、自分の意思をもつことにつながっているのだ。

通し後の注意を聞くときはいつも部員全員が並ぶ。全員で戦っているという一体感のあるチームだ。
通し後の注意を聞くときはいつも部員全員が並ぶ。全員で戦っているという一体感のあるチームだ。

この日の午後の練習を2時間ほど見ていたが、時間がたつにつれ、体力も削られて、集中力も落ちてきていたはずだ。午後の最初に通したときに比べると、動きが小さくなったり、気持ちが切れているように見えるときもあった。ミスを連発して演技にならず、途中で曲を止められてしまったこともあった。

が、最後に、中学生やジュニアたちにも声援をもらいながらの通しで、彼女たちは素晴らしい演技を見せた。体も気持ちも相当追い込まれた状態での通しだったはずだ。

「この1本」に懸ける思いだけは十分にあっただろうが、うまくいかなくても無理はない、そんな状況での通しだったが、ほぼノーミス。そして、なによりも彼女たちの思いが伝わってくる、エネルギーに満ちた1本だった。

レギュラーメンバーがフロアで通しているとき、控えの選手も同じ熱量でフロア脇で通している。これが今の純心の力になっている。
レギュラーメンバーがフロアで通しているとき、控えの選手も同じ熱量でフロア脇で通している。これが今の純心の力になっている。

今年の使用曲は、「La Mritza」。シルヴィ・ヴァルタン(1944年生まれのフランスの歌手)が歌う哀愁に満ちた曲だ。1968年の曲なので、ノスタルジックな印象もあり、曲の根底に「喪失感」が流れている。訳詞を見てみると、おそらく「失った故郷」を思う喪失感なのだろう。が、決して悲嘆するだけでなく、どこかから希望の光が、それがほんのわずかだとしても射してくるような曲だ。失ったものへの寂寥の思いは消えない中でも、明日に向かって歩み出す、そんな曲に聴こえてくる。

この曲にのせて、彼女たちの全身全霊の演技を、何回も何回も見ているうちに、この作品はまさに「彼女たちの物語」なのだな、と感じた。

かつての栄光を失っていた鹿児島純心で、失ってしまった過去ではなく、未来に向かって少しずつ、でも力強く、前に進もうとしている「復活の物語」。ひたむきな彼女たちの苦悩と成長が、この3分間につまっているように見えてきて、私は少し泣いた。

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猛暑の鹿児島。

そして地元開催ならではの熱狂的な応援の中で本番の演技を迎えるとき、彼女たちの肩にはどれほどの重圧がのしかかるだろうかと思う。

でも、きっと大丈夫。

それを乗り越えるだけの練習をしてきたのだから。

8月7日。

鹿児島アリーナで、彼女たちの思いのこもった演技はきっと、満員の会場を沸かせるに違いない。

そして、彼女たちの物語は、その後もずっと続いていく。

<撮影:筆者>