内村航平選手(リンガーハット)が佐賀県で特別講演<上>「高校1年生の1年間基礎を徹底してやった」

佐賀県の国体強化選手たちを対象に特別講演を行った内村航平選手※写真はNHK杯会見(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

2017年6月11日に行われた「佐賀県強化指定選手認定式」では、小学生から社会人までの821人に、6年後の佐賀国体に向けての強化指定選手の認定証が授与された。

認定証授与のあとには、内村航平選手(リンガーハット)の特別講演が企画され、会場は「五輪金メダリスト」の登場を今か今かと待ちわびる空気になった。

いざ、内村選手が壇上に登場すると、会場からは歓声が上がり、競技会後と同じ赤いジャージ姿の内村選手は、競技会後の記者会見とはまったく違う会場の雰囲気に少し驚いたような表情を浮かべながら、「講師」と書かれた席についた。

龍富貴夫氏(佐賀県鳥栖体操クラブ監督)が聞き手を務め、こういった形での講演は初めてという内村選手だが、とくに緊張した様子もなく、いつもとおり淡々とした語り口で自身のこれまでの体操人生について語った。

講演後の囲み取材では、「初めての経験なので、ちょっと話が堅苦しかったかな、とか体操以外の種目の選手たちもいるのに、体操の話ばかりになってしまって、ためになったのかな? とかは思いますが」と反省点を口にしながらも、「集中力や、ここ一番にもっていくやり方などはどの種目にも通じることなので、それが伝えられたのはよかったと思います。」と話した。

また、自身も2014年に出場したことがいい経験になったという国体についての思いも、伝えられたと思う、と手ごたえを感じた様子だった。

講演のあとには、すべての選手たちをハイタッチで送り出すというイベントもこなし、かなり疲れたのではないかと思うが、未来を担う多くの選手たちにとってはおおいに刺激になったに違いない。

「今ここにいても、朝起きてコーヒー飲んでいるのと同じ感覚です。とくに緊張はしていません。

小さい頃は、緊張もしていて、演技中に頭が真っ白になって次に何をするのかわからなくなったことは今も覚えています。」

という内村選手の言葉で始まった講演は、まず「緊張を克服する方法」が話題になった。

「体操は競技の特性上、あがってしまっては自分の演技ができないので、経験、場数を踏んでその緊張感になれていくしかない。経験を重ねていくと、だんだんどうしたら緊張の中でも自分を保てるのかがわかってきて、自分流ができてくる。自分の場合は、高校生くらいのときにそれができてきて、自分を保つことができるようになった。」

また、佐賀県の隣である長崎県が地元ということで、幼いころの話になると、

「体操は3歳から始めたが、家が体操クラブ、両親が体操の指導者という家庭だったので、始めようと思って始めたというより、体操場が遊び場だった。ずっと遊んでいるうちに技なども覚えてきて、それが楽しくて。体操は楽しいな、と思うようになって。今でも体操をやっていて「楽しい」と思うことがなくなったことはない。いつになっても好奇心は大切だし、自分が楽しいと思えることを今、仕事にできているので幸せだと思う。」

と語った。また、自身の体操を振り返って、

「体操を始めたころは、長いトランポリンなどもなかったので、とにかく走り回ったり、転がったりしていた。小学校高学年のころに、長いトランポリンが入ってきて、それで空中感覚などができてきた。

中3までは長崎で体操をやっていたが、そこまではとにかく楽しかった。

小学生のときは、ひたすら楽しくて、中学生のときはとにかく難しい技をやって、それが楽しくて。

高校から東京でやってみたいと思い、長崎を離れたが、高校の指導者から「もう少し基本をやるともっとすごい技もできるよ」と言われ、高校1年生の1年間は徹底して基礎をやった。が、それがきつくて面白くない練習で、1か月間ずっと筋肉痛が続く、そんな練習だった。

東京に行けば、もっと難しいことができると思って来たのに、これはなんなんだ? と。

ところがある日、それまでは難しいと思っていた技が、簡単にできた。そのとき、この練習は無駄ではないな、と感じることができた。」

と、貴重なエピソードを披露した。

その徹底した基礎の見直しの結果、高校2年生のときに全日本ジュニア選手権で3位になり、高校3年生のときにナショナル入りを果たしたのだから、いかにそのときの練習が当時の内村選手にとって必要なものだったかがわかる。

高校1年生のときの練習は、「あんなに楽しかった体操が楽しくない」と思うほどのきつさだったというが、そのときに内村選手の支えになったのは、高校で東京に出てきたときに抱いていた「世界の舞台で戦える選手になりたい」という思いだったという。

「こんなこともできなくて、世界で戦えるわけないよな、と思って気持ちを奮い立たせていた」そうだ。

また、講演の中盤では、リオ五輪の団体総合、個人総合の金メダル獲得のシーンが流され、会場から拍手喝采を浴びたが、

「これ、もう終わってるやつですからね」と、冷静にコメントして笑いを誘った。

そして、じつはこの個人総合のとき、最終種目に入る段階で、自分が負けていることはわかっていたが、0.9という大きな差がついていたことは知らなかったと告白。もしもあのとき普通に考えたら逆転不可能な0.9という差があることがわかっていたら、鉄棒であの演技ができたかどうか。普段から試合の途中経過は見ないという内村選手だが、「ほんと、見てなくてよかった」と笑った。

また、個人総合の最終種目鉄棒の演技中に開脚したときに「骨がずれた」ような感覚があり、その状態で着地をしたときに、とどめの激痛が走り、その後2日間は激痛に悩まされたという。種目別ゆかへの出場はほぼ不可能と思われる状況だったが、そのときに浮かんだのは、

「オリンピックなんだから、ここに出たいと思っていても出られなかった選手はたくさんいるので、簡単にあきらめてはいけない。」という思いだった。2日間の激痛のあと、種目別ゆかが行われる日の朝には、「いけるな」と感じ、「腰が壊れてもやってやろう!」と思ったというから恐れ入る。

リオ五輪の個人総合鉄棒のときは、いわゆるZONEのその先に入った状態だったという内村選手。

「試合のときは、お客さんもいて、周りではほかの選手も演技をしている。だけど、ZONEに入っているときは、自分1人しかそこにいないような感覚になる。だけど、リオのときは、さらにその先のZONEに入っていて、お客さんなど周りも全部見えていて、それなのにびっくりするくらい冷静だった。

演技台にあがったときも、うまくいくイメージしかなくて、自分はあの演技をするために、あの場所にきたんだな、という感じがあった。」

講演後半では、会場からの質疑応答もあり、これからの選手たちに対して、同じ失敗を繰り返さないための練習や、チームとしての戦っていくときの考え方など経験に基づいた貴重な話が満載だった。 <続く>