全日本体操選手権決勝最終組。

5種目目の平行棒最初の演技者・千葉健太(順天堂大)が思いがけないミスで落下した直後。

田中佑典(コナミスポーツ)の演技順が回ってきた。

得意の平行棒ではあるが、田中は予選も6位通過。

決勝も4種目目まではまずまず無難に演技をまとめてはいたが、

ゆかでは白井健三(日本体育大)、内村航平(リンガーハット)ほどの得点力はなく、

あん馬13.950は、最終班のメンバーの中では下位にあたる得点。

つり輪だけが、最終班の中ではトップの得点をマークしたが、

跳馬は14.000でまたしても最終班の中では下位の得点に終わっていた。

平行棒、鉄棒で追い上げるのが田中のパターンとはいえ、4種目目終了時点では、内村の連覇を止めるとしたら、白井か? はたまた最終班ではないがこの時点でトップの得点を上げていた野々村笙吾(セントラルスポーツ)か? いや、谷川航(順天堂大)の可能性もまだあるぞ、という空気になっていた。

田中は、間違いなく日本トップレベルの実力の持ち主ではある。

が、これまで何年も彼にはハラハラさせられてきた。

内村航平はいつも「佑典は日本の団体金に必要な選手」と言い続けていたが、

「果たして本当にそうなのか?」と、巷では言われていたこともある。

大舞台の肝心なときに、まさかというミスが出てしまう。

そんな田中の姿は見ているほうもつらかったし、本人はさらにつらかったと思う。

「このまま終わりたくはない」という気持ちはあるだろうが、「もう一度、大きな舞台で勝負することが怖い」という思いもあるのではないか、ここ数年の田中を見ていて、そんな風に想像したこともあった。

しかし、昨年のリオ五輪で、悲願の団体金メダルにしっかり貢献し、今までのもやもやは晴れたように思えた。

ずっととらわれてきた「何か」からは田中は解放されただろうと思った。

だから、きっと大丈夫。

とは思うものの、目の前で千葉のミスを見ての田中の平行棒。

「ここから追い上げるしかない」状況での得意種目。得点源。

余計な力が入ってしまいかねない場面だった。今までこういう状況でミスをする田中を何回か見ているだけに、ちょっと嫌な予感がした。

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が、その予感は嬉しいくらいにはずれた。

田中佑典の平行棒は、どこまでも美しく、隅々まで美しく、隙がなかった。

長すぎるのでは? と思うくらいにしっかり止めて見せた倒立姿勢は芸術品のようだった。

着地までしっかり決めて、15.000。

新ルールではなかなか出ない15点台をこの土壇場でたたきだし、順位もぐんと上がった。

この演技にも田中はとくに驚くこともなく、歓喜するでもなかった。

その後、内村、白井、谷川と素晴らしい演技が続き、いったんは内村が首位に立ったが、すぐに白井が抜き、谷川が白井に並んだ。

そして迎えた最終種目。

国内の大会では久しぶりの内村ビハインドで迎えたクライマックスに、会場のボルテージは上がっていた。

田中の演技順は1番。

まるで、「内村VS若手」の優勝争いに、自分は関係ないですから、と言わんばかりに変な緊張感も感じられないままあっさりと演技を始め、いつも通りの美しい演技をこなしていく。

派手な手離し技が多いわけではないが、たいていの選手に多少なりともぶれが見えるひねり技にほぼぶれがない正確な実施。

これが田中佑典の鉄棒だ! と見せつけるように、最後の着地までぴたり、と止まった。

得点は14.850。

鉄棒ではまず15点台は出ない今のルールでは相当な高得点だ。

優勝争いをしてはいるものの、鉄棒はそれほど得意ではない白井、谷川にはこれは十分なプレッシャーになる得点だった。

が、当の田中は、涼しい顔をしていた。

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自分の演技を終えて、あとは「内村VS若手」の世紀の対決を見届けようとしているような、そんな様子にさえ見えた。

結果、内村は、大きなミスなく、雄大な手離し技も決めて、白井、谷川を突き放すには十分と思われる14.450をたたきだす。

が、内村としては「自分らしい演技ができなかった」と悔いの残る演技で、鉄棒の得点は田中に及ばず、終わってみれば総合得点で田中とは0.05差という僅差になっていた。

続く白井、谷川も勢いと気迫のある演技で内村に追いすがるが、鉄棒に関してはもともとの演技価値点に差があり、内村を上回ることはできず、逆転優勝を許す。

さらに、後半2種目で内村に0.05差まで猛追した田中にも逆転され、白井は3位、谷川は4位で終わった。

それでも、優勝した内村との得点差は、白井が0.25、谷川は0.7と1~4位が1点差内にひしめく大接戦となった。

1年前の全日本選手権では1位の内村と2位の白井の差は1.600あったことを考えれば、今大会の激戦ぶりがわかる。

もちろん、内村航平が本調子とは言えない状態だったことは無視できない。

それでもやはり誰も内村を倒せなかった。

大学生はたしかに力をつけてきている。

とくに白井は、「ゆかと跳馬のスペシャリスト」からほぼ脱却しつつある。

彼ら96年組の誰かが内村の連勝を止める可能性はいよいよ現実味を帯びてきた、と言えるだろう。

たとえ結果は「内村10連覇」であっても、ここまで近づくことができたという自信が彼らをさらに強くするに違いない。

そして。

なんと言っても田中佑典だ。

大会後の記者会見で、内村は、「新ルールは田中佑典のためにあると思っている」と言った。

「正確で美しい実施」の比重が高まれば高まるほど、田中には有利。

それを一番感じていたのは内村だったのだ。

終わってみれば、0.05差。限りなく隣に古くからの同朋(内村と田中は2006年に同時にナショナル入りしている)が並んできたことを内村は脅威に感じつつも、きっと喜んでいる。

今までさんざん田中にハラハラさせられた人たちもみんな、

今回の田中の演技を見れば、今まで彼がどれだけの重圧をかかえて大会に挑んでいたのかを思い知っただろう。

「絶対に代表に入る」「絶対に団体金メダルに貢献しなければ」

今まで縛られていたそういった思いから解放された田中佑典の演技は、今まで見た彼のどの演技よりものびやかで、美しく、堂々としていた。

「佑典の体操は世界一美しい」内村航平はそう言い続けていた。

田中がどんなに失敗してもそう言い続けていた。しかし、それは友情や思いやりなどではなかったのだ。

コナミで常に一緒に練習していた内村は、田中が実力を発揮できさえすれば、こういう演技ができることを誰よりもよく知っていたのだ。

リオ五輪は田中の有終の美ではなかったのだ。

すでに五輪金メダリストではあるが、27歳の田中佑典はもしかしたら「これから」の選手なのかもしれない。

<写真提供:末永裕樹>※写真は2016年のもの