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東京五輪延期、男子サッカーで今年23歳の選手が出場するには規定変更の必要なし

柴村直弥プロサッカー選手
2019年キリンチャレンジカップの現U-23日本代表(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 五輪競技において現在唯一年齢制限のある競技である男子サッカー競技について、東京五輪延期に伴い、来年開催された場合に年齢制限がどうなるのか、様々なところで物議を醸している。様々な記述がある中で混乱されている方もいるかもしれないため、状況を整理しつつ、今後の見通しを記述していきたい。

現状出場可能な今年23歳になる選手たちが出場するためには出場規定変更は必要ない

 サッカーの五輪代表についてはオーバーエージ枠を除き、原則として「23歳以下」で行われる。この「23歳以下」というのはどのような意味か。

 年齢制限のある大会の多いサッカーにおいて、U-23代表、というように「U-〇〇」と表記されることが多いが、これは「その年の12月31日にその年齢以下(under)の選手」という意味合いである。五輪代表チームが開催予定年にU-23代表(23歳以下の代表)と表記されるのは「大会開催予定年中に23歳以下になる選手」という意味合いであり、大会開催時に23歳以下の選手ということではない。

 規定にはどのように明記されているかというと、例えば東京五輪の場合の規定は、オーバーエージ枠(年齢制限を設けない選手が3名まで出場可能)を除く出場可能選手について「1997年1月1日以降生まれの選手」と明記されている。つまり1996年8月9日〜12月31日生まれの選手は、予定通り東京五輪が開催されていた場合(2020年8月8日まで)に大会期間中の年齢は「23歳」の選手であるが、出場資格はない(オーバーエージ枠は除く)。

 現在、東京五輪が延期になることで、もし来年開催となった場合に、現状出場資格を持っていた今年23歳となる選手たちが出場するためには規定の変更が必要だ、との見解も見られるが、これは逆であり、現状出場予定だった選手たちが出場するためには「規定が変更されない」ことが必要である。なぜなら、規定上は「1997年1月1月以降生まれの選手」であるため、来年2021年は自然と「2021年に24歳以下となる選手」となるので、現行の規定のままでこれまで出場資格のあった年代の選手たちがそのまま出場出来るのである。

規定変更をする必要があるか

 では、来年(2021年)に東京五輪が開催となった場合に、2021年に23歳以下となる選手、すなわち「1998年1月1月以降生まれの選手」と規定が変更されることがあるのか。

 そもそも五輪競技においてサッカーが23歳以下となったのは1992年のバルセロナ五輪からで、年齢制限のないFIFAワールドカップとの差別化を目的として、FIFAとIOCでの協議のもとに年齢制限が設けられたという背景がある。

 FIFAの大会でU-20(20歳以下)ワールドカップとU-17(17歳以下)ワールドカップがある中で、23歳以下という位置づけは適切な年齢制限でもあるように見えるが、これが今回例外として24歳以下となることと、23歳以下に拘ること、の両案を考えたときに、23歳以下に拘るメリットはさほどないように思える。

 その理由として、今回の東京五輪大会の出場が決まっている日本を含む各国のサッカー協会は、今年「23歳以下」となる選手たちを中心にこれまで合宿や遠征に招集し、予選を戦い、選考を重ねてきており、当然今年23歳の選手たちも選考されている。それが仮に来年の「23歳以下」と規定が変更になった場合、今年23歳の選手たちが招集出来なくなり、チームの再編成を余儀なくされる。出場濃厚だった選手が出場出来なくなる可能性も出てくる上、各国のサッカー協会にとっても骨が折れる作業であり、各国サッカー協会から抗議も出てくるだろう。さらに、チームを再編成することでこれまで成熟していた戦術面の浸透や選手同士の連係面などが低下する可能性も高く、観戦する方々に対してもクオリティーの下がる試合を観せることになる可能性が高い。

 それらを考えたときに、規定を変更してまで「23歳以下」に拘る理由は現状見当たらず、現実的には「規定を変更せず」、もし来年開催となった場合でも現行の規定のとおり、「1997年1月1日以降生まれの選手」、すなわち「2021年の24歳以下」で開催することが妥当であろう。

プロサッカー選手

1982年広島市生まれ。中央大学卒業。アルビレックス新潟シンガポールを経てアビスパ福岡でプレーした後、徳島ヴォルティスでは主将を務め、2011年ラトビアのFKヴェンツピルスへ移籍。同年のUEFAELでは2回戦、3回戦の全4試合にフル出場した。日本人初となるラトビアリーグ及びラトビアカップ優勝を成し遂げ、2冠を達成。翌年のUEFACL出場権を獲得した。リーグ最多優勝並びにアジアで唯一ACL全大会に出場していたウズベキスタンの名門パフタコールへ移籍し、ACLにも出場。FKブハラでも主力として2シーズンに渡り公式戦全試合に出場。ポーランドのストミールを経て当時J1のヴァンフォーレ甲府へ移籍した

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