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最大保守政党の代表が「光州民主化運動」現場で謝罪…動き始めた韓国政治

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
19日、5.18国立墓地でひざまずく未来統合党の金鐘仁氏(左端)。同党提供。

韓国の第一野党・未来統合党の臨時代表を務めるベテラン政治家が歴史的な謝罪を行い、韓国社会に大きな反響を呼んでいる。その意味と現地や識者の反応をまとめた。

●40年後の光州で

19日、韓国の第一野党・未来統合党の金鐘仁(キム・ジョンイン、80)非常対策委員長が光州市を訪れ、5.18民主化運動の犠牲者が眠る墓地の前でひざまずいて謝罪した。保守政党の代表が、こうした謝罪を行うのは韓国の歴史上はじめてのことだ。

同委員長はまた、謝罪文を読み上げる途中、涙で声を詰まらせもした。同氏は韓国憲法に「経済民主化」概念を明記した人物とされ、保守派・進歩派にまたがり政治を行ってきたベテランだ。

5.18民主化運動とは、1980年5月18日に光州市で学生や市民達が全斗煥(チョン・ドゥファン)を頂点とする新軍部勢力によるクーデターに反対するため立ち上がった出来事だ。軍部は特殊部隊を投入しこれを激しく弾圧し、市民はこれに市民軍を結成し対抗した。

政府は正式な死亡者の統計を持たないが、死者・行方不明者は分かっているだけでも249人にのぼる。80年5月27日に武力鎮圧されるまでの10日間、光州市内は一種の解放区となるなど、韓国民主化運動に大きな足跡を残し、1987年の民主化実現を支える役割を果たした。

光州市民が新軍部に対し最後まで抵抗した旧全羅南道庁跡。前の噴水広場では当時、数万人規模の市民集会が何度も行われた。今は『5.18民主広場』と呼ばれる。今年5月18日、筆者撮影。
光州市民が新軍部に対し最後まで抵抗した旧全羅南道庁跡。前の噴水広場では当時、数万人規模の市民集会が何度も行われた。今は『5.18民主広場』と呼ばれる。今年5月18日、筆者撮影。

未来統合党は、自他ともに認める保守勢力の本流とも言える政党だ。これはすなわち、当時の「弾圧側」の系譜を引き継いでいることを意味している。

さらに同党の前身『自由韓国党』時代の2019年2月、所属議員たちは「光州5.18は北朝鮮軍が介入して起こしたもの」という、過去の保守政権も否定した何ら根拠がないフェイクニュースをばらまく人物を講師として招いた。その席で「5.18は暴動であり、有功者たちは従北左派で怪物」と暴言を放つ出来事があったことは記憶に新しい。

光州民主化運動は軍部の独裁そして圧倒的な暴力に対し、市民が正面から抵抗した韓国民主化の歴史の重大な1ページである。

非常対策委員長という臨時職とはいえ、この事実を時に否定し時に矮小化し続けてきた保守政党の代表が正式に謝罪したことにより、韓国の保守・進歩派の対立を和らげる効果が見込まれるものとの見方が広がっている。

●西ドイツ首相の名も挙げ

「違法行為に直接参加することは過ちですが、(その事実を)知っても沈黙し目をつぶる行為、積極的に抗弁しない消極性もまた小さくない過ちです。歴史の法廷ではこれもまた有罪です」

光州市郊外にある国立5.18墓地の入り口でひざまずいた後、金委員長は謝罪文をこう切り出した。40年前の当時、西江大学で教鞭をとっていた自身が、光州での出来事から目を背けたことに触れてのことだ。同氏はさらに、光州民主化運動の直後、全斗煥氏により設置された「国家保衛非常対策委員会(国保委)」に所属していた過去にも触れ、重ねて謝罪した。「加害側にいた」という反省だ。

そして、朝鮮戦争(1950〜53年)で祖母を失い北朝鮮軍から逃げまどった自身の経験と、光州で犠牲となった家族を抱え「アカの家族」とレッテルを貼られた遺族たちの経験を重ね「追われる者の恐怖と孤立する者の挫折」について言及した。

その上で、「光州でそんな悲劇的な事件が起きたにもかかわらず、それを否定し5月の精神を毀損する一部の人々の間違った願望と行動に対し、私たちの党はより厳重な鞭を持つことができなかった」と党の過去の行状に触れ、「私たちの党の一部の政治家までそれに便乗するような態度まで見せた。表現の自由という名目で、厳然たる歴史的事実まで否定することはできない」と謝罪した。

5.18国立墓地。今年5月、筆者撮影。
5.18国立墓地。今年5月、筆者撮影。

一方で、韓国において「産業化と民主化は私たちを支える大切な二本の柱であり、どの一つも簡単に否定できない」とし、「そうした誇るべき歴史の過程に少なくない犠牲と苦痛が付いてきたことも事実だ。それが傷として残り、今も古い理念対立を続けて社会的な統合と発展の妨げとなっている」と指摘した。

これは保守=産業化勢力、進歩=民主化勢力と分けられる韓国社会内部における「分断」を縫合しようとする試みと取れる。

金委員長は謝罪文の最後で、「これまで100回でも謝罪し反省すべきであったのに、今になってその第一歩を踏み出した。小さな歩みでも前に進むことが、一歩も前に進まないことよりも良いというビリー・ブラントの忠告を記憶する」と、1970年ポーランド・ワルシャワのユダヤ人居住区跡でひざまずいた西ドイツの首相の言葉を引用した。

過去の過ちの歴史に対する真摯な謝罪の代名詞と言える同氏の名前を持ち出すことで、今回の謝罪が一時のものではなく、保守政党が民主化の歴史に向き合う一つの転機となることを示したものと理解できる。

●光州市民と与党の反応は

韓国社会の反応は「真の謝罪なのか信じられない」というものと、「大切な第一歩だ」という二つに分かれている。

上記『YTN』のニュース動画にあるように、19日、国立5.18墓地の前では光州市民達が集まり「妄言を吐いた議員たちから除名して参拝すべきだ」と金鐘仁氏に抗議した。同じ主張を光州の市民団体もしたが、「今後はそういうことが無いように最善を尽くす」と金委員長は答えた。

筆者は今年5月、光州民主化運動から40周年を迎えた現地を2度にわたり訪れた。そこで40年前に市民組織の中心メンバーの一人として活動し、さらに光州民主化運動をまとめた書籍の作者としても知られる李在儀(イ・ジェウィ)さんに話を聞き長い記事を書いた。

光州に住む李氏に対し、20日に電話で話を聞いた。「現地では『真に謝罪する気があるのか』と疑う目線と、『変化しようとする努力は高く買うべきだ』という意見で割れている」と答えた。

また、「民主党への支持が強い全羅道の支持を取り付けるという政治的な目的があるとはいえ、過去、極端に光州民主化運動を毀損してきた党(未来統合党)から謝罪の声が出ることで、暴言が減るだけでもよいのでは」と述べた。

その上で、「あの党が簡単に変わらないというのは知っているが、徐々に変化していけばよい。真相究明法案の成立に協力するなど具体的な行動で見せることが大切だ」と理解を示した。

旧全南道庁前で当時を振り返る李在儀(イ・ジェウィ)さん。今年5月、筆者撮影。
旧全南道庁前で当時を振り返る李在儀(イ・ジェウィ)さん。今年5月、筆者撮影。

一方、与党・共に民主党は「チョン・グァンフン牧師発の新型コロナウイルス感染症再拡散による感染者が急増する中、光州を訪問することで話題を転換しようとするものに見える」と皮肉を込めた書面メッセージを出した。

これは8月15日にソウル中心部で反文在寅政権デモを主催し、新型コロナ集団発生を招いたとされるチョン牧師と、未来統合党(自由韓国党)の一部議員が親しい点を取り上げ、コロナ拡散の原因を同党に求めようとする批判論理だ。

ともに民主党はさらに「和合に対する真心がこもった訪問であるならば、行動で見せよ。忠魂塔の前で涙ぐむ姿の代わりに5.18の真相究明に力を注げ」と注文した。書面メッセージに肯定的な表現はいっさい見受けられなかった。

これについて韓国政治に詳しく、気鋭の進歩派政治学者と定評のある慶南発展研究院の李官厚(イ・グァヌ、政治学博士)研究委員は20日、筆者との電話インタビューで、「あのように反応する必要はないと見る」と与党に厳しい視線を向けた。

「与党であり国会でも多数派なのに、やたらと野党と対立しようとする姿勢は望ましくない。良い変化については評価すればよい。過去に暴言を吐いた議員への処分がなく、あくまで党の非常対策委員長個人の発言であるため物足りなさはあるとしても、未来統合党は今できることをやっている」という意見だ。

●地殻変動はじまる

筆者も、与党の態度に違和感を覚えたことをここに記しておく。一方で、長きにわたって韓国内に横たわる分断の傷跡があまりにも深いことも確かだ。

だが少なくとも過去、朴槿恵(パク・クネ)、文在寅(ムン・ジェイン)という二人の政治家を支えた金鐘仁氏の手腕が、陣営論に凝り固まった韓国政治に変化を及ぼし始めているのは間違いない。

背景に2022年5月の大統領選挙がある点は否めないだろう。今後、このような地殻変動はしばらく続くものと見られる。

なお、40周年を迎えた『5.18光州民主化運動』について、詳しい経緯とその歴史的位置づけを追った筆者の記事は、以下のリンクから読める(『イミダス』サイトへのリンク)。

https://imidas.jp/jijikaitai/d-40-141-20-06-g734

●金鐘仁氏の謝罪文全文

未来統合党のサイトに掲載された謝罪文を筆者が翻訳した。

5月の英霊と光州市民たちに申し上げます。

非常戒厳が全国に拡大された1980年5月17日、私は大学研究室にいました。その2日前、学生たちがデモを中断するという発表を聞いて、遅れている講義の準備に熱中していた時でした。光州で発砲があり、犠牲者が発生したという知らせをある程度の時間が経った後で知りました。違法行為に直接参加することは過ちですが、(その事実を)知っても沈黙し目をつぶる行為、積極的に抗弁しない消極性もまた小さくない過ちです。歴史の法廷ではこれもまた有罪です。新軍部が集権し作った国保委で私は財務分科委員として参加しました。その間、様々な機会を通じその過程と背景を申し上げて許しを請うてきましたが、結果的にそれは傷心した光州の市民、軍事政権に反対した国民たちにとって簡単に受け入れることが難しい選択でした。もう一度謝罪の言葉を申し上げます。

6.25戦争(朝鮮戦争)当時、私は北朝鮮の銃剣に祖母を失いました。虐殺を避け夜ごと居住地を移しながら暮らさなければなりませんでした。風の音にも神経をとがらせる時間でした。そんな経験を通じ私は追われる者の恐怖と、孤立する者の挫折を知っています。80年5月、光州で残酷な出来事が起きたあと、湖南(全羅道)の住民たちが経験した孤立と悲しみの感情もまた、それに劣らないものだったでしょう。光州でそんな悲劇的な事件が起きたにもかかわらず、それを否定し5月の精神を毀損する一部の人々の間違った願望と行動に対し、私達の党はより厳重な鞭を持つことができませんでした。私達の党の一部の政治家までそれに便乗するような態度まで見せました。表現の自由という名目で、厳然たる歴史的事実まで否定することはできません。その間の間違った言行に、党の責任を負う立場として真実の謝罪の言葉を捧げます。

大韓民国は産業化と民主化を同時に成し遂げた国です。第二次大戦以降、植民地から解放された国家の中で、自らを支配した過去の帝国主義国家と対等に方を並べた国は、韓国が唯一です。それは世界のどの国の国民よりも誠実に努力し、正義に基づいて行動した私たち国民の汗と涙の結実です。産業化と民主化は今、私たちを支える大切な二つの柱です。どの一つも簡単に否定することはできません。そうした誇るべき歴史の過程に少なくない犠牲と苦痛が付いてきたことも事実です。それが傷として残り、今も古い理念対立を続けて社会的な統合と発展の妨げとなっています。歴史の和解は加害者の痛烈な反省と告白を通じ、最も理想的に完成しますが、権力者の真心からの省察を待ち続けるわけにはいかない状況であるため、その時代を代表し私がこのようにひざまずきました。いわゆる懺悔と反省が今日の湖南の長い悲しみと挫折を和らげることはできないことを知っていますが、5・18民主英霊と光州市民の前に何卒こうして許しを請います。

重ね重ね恥ずかしく、申し訳ありません。あまりにも遅く訪れました。これまで100回でも謝罪し反省すべきであったのに、今になってその第一歩を踏み出しました。小さな歩みでも前に進むことが、一歩も前に進まないことよりも良いというビリー・ブラントの忠告を記憶します。5・18民主墓域に眠る怨魂の冥福を祈ります。癒やされない傷を抱き生きている遺族たちに深い慰労の言葉を申し上げます。民主化有功者の方々にも、真心を込めた感謝と尊敬のご挨拶を申し上げます。私の小さな歩みが絡まった歴史をほどき、過去ではなく未来に向けていく小さなきっかけになることを望みます。

2020年8月19日 未来統合党非常対策委員長 金鐘仁

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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