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南北朝鮮に「使われる」個人...脱北3年で再び故郷に戻った青年から見えるもの

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
脱北から3年で故郷北朝鮮へと戻った金某氏(右)。キム・ジナ氏YouTubeより。

ある北朝鮮出身の青年・金某氏が巻き起こした騒動が南北朝鮮を騒がせている。北朝鮮では「コロナを持ち込んだ」と報じ、韓国では「軍と警察の怠慢」が提起されているが、本質は別のところにある。

●ひっくり返った南北朝鮮

朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の朝鮮労働党機関誌『労働新聞』は26日、「開城(ケソン)市で悪性ウイルスに感染している疑われる越南逃走者が3年ぶりに不法的に分界線を越えて、7月19日に帰郷する非常事件が起きた」と報じた。

暗号のような文章を簡単に言い換えると、3年前に北朝鮮を脱出し韓国に住んでいた者が、新型コロナウイルスに感染した状態で南北軍事境界線を越え、北朝鮮に戻ってきたということだ。

同紙はまた、男性を隔離し、過去5日間のあいだ接触したすべての人と開城市を経由した者たちを調査し隔離させる措置を取ったと報じた。

1月以降、これまで新型コロナウイルスの感染者の存在を認めてこなかった北朝鮮が、公式に感染者の存在を認めたことで、大きなニュースとなった。

それだけでない。『労働新聞』は同じ記事の中で、朝鮮労働党が25日に金正恩委員長の招集・運営の下で「中央委員会政治局非常拡大会議」を開催したこと、さらに金正恩氏が「開城市に非常事態を宣布し、国家非常防疫体系を最大非常体制に移行し、特急警報を発令した」と報じたのだった。

このように「脱北者の再入国」「新型コロナ」「最高領導者・金正恩」という、一つ一つでも大きな事柄が3つも合わさり特別なニュースとして位置づけられることとなった。

金氏が「越北」したと見られる現場。手前の鉄条網が江華島で奥の陸地が北朝鮮・黄海南道だ。28日、筆者撮影。
金氏が「越北」したと見られる現場。手前の鉄条網が江華島で奥の陸地が北朝鮮・黄海南道だ。28日、筆者撮影。

驚いたのは韓国側だった。今回の騒動の主人公である金某氏(24歳)が「再入北(韓国では脱北者が再び北朝鮮に戻ることをこう呼ぶ)」した事実を、北朝鮮側の報道が出るまで知らなかったからだ。

韓国に入国した脱北者は通常、5年間は保護期間として居住地域の警察と連絡を取り合う決まりになっている。金氏は京畿道金浦(キンポ)市に住んでいた。

聯合ニュースの取材に、金浦署の関係者は「越北(北朝鮮に入国すること)したと推定される人物が金氏なのか分からなかった」と明かした。

北朝鮮との軍事境界線を守る軍も同様だった。実は今回、金氏が北朝鮮を目指す出発点にしたと見られる下水口の真横には海兵隊の哨戒所がある。このため「たるんでいる」と世論の批判を浴びた。

痛恨の失態を受け28日、鄭景斗(チョン・ギョンドゥ)国防部長官は「全ての責任は国防部長官にある」と国会で頭を下げた。

●「越北」の現場を行く

今回の出来事は南北関係にいくつかの影響を与える可能性がある。それは後で考えるとして、筆者が真っ先に関心を持ったのは「どうやって北朝鮮に戻ったのか」という部分だった。

国防部は27日、金氏は「江華島(カンファド)の排水路を通じ北朝鮮に出発した」と報じた。だが皆、考えることは同じだ。26日の段階から、ある排水路が特定され取材陣が集まっていた。

筆者も28日午前、遅ればせながら現場を訪れた。ソウルから西に40キロほど離れた江華島の東北部にある文化財「燕尾亭」の隣にある排水路は、そのまま漢江の河口につながっている。対岸の黄海南道までは2、3キロに過ぎない。

この場所が特定された理由は、金氏の物と見られるカバンが見つかったことと、18日午前2時過ぎ、タクシーを降りる同氏の姿が付近の監視カメラにより捉えられたことによる。

長さ10メートルに満たない排水路は人の出入りができないよう鉄製の柵で塞がれているが、よく見ると無理すれば通り抜けられるような空間があることが、肉眼でも見て取れた。金氏は163センチ54キロと小柄だった。

金氏が通り抜けたと見られる排水路。幅、高さ2メートルほどだ。抜けるとすぐに海(漢江河口)につながる。28日、筆者撮影。
金氏が通り抜けたと見られる排水路。幅、高さ2メートルほどだ。抜けるとすぐに海(漢江河口)につながる。28日、筆者撮影。

しかし驚いたのは、前述した通り排水路のすぐ上が海兵隊の哨戒所であるという点だ。軍施設のため写真は撮れなかったが、金氏が排水路を抜けても、その姿は丸見えのはずだ。海岸線を西に沿っていけば川幅の狭い最短距離で北側に渡る位置に到達するが、容易ではない。

現場には監視カメラの他に、鉄条網に物が触れる場合に作動するセンサー、さらに真っ暗闇でも温度で人間の動きが分かる熱相監視装置(TOD)があった。

軍当局は「当時は満潮だった。救命チョッキを着用し、顔だけ出して海を渡った可能性が高い」としているが、いずれにしても至難の業だろう。

現地の住民の反応も複雑だった。70代の金さんは「流れが複雑なあの海を渡ったなんて信じられない」と首をかしげた。

一方、鉄条網の前でたたずんでいたやはり70代の朴さんは「軍は何をやっているのか。寝てましたと言っているようなものだ。責任者はクビだ」と、やはりその非現実性を認めていた。

●金氏の人となり

南北経済協力の象徴である開城工業団地が設置されていたことで知られる開城市は、韓国とわずか20キロしか離れていない場所にある。金氏は2017年6月に脱北した際にも海を越えて韓国入りした。

今年6月、金氏は知人の北朝鮮出身の女性キム・ジナ氏が運営するYouTube番組に3度出演し、当時の状況を直接説明したことがある。

脱北のきっかけについて「開城工業団地が閉鎖(16年2月)されたことにより、商売がダメになった。金の採取など色々なことをしたが生活が苦しかった」とする一方、「子どもの時から両耳が聞こえず苦労した」という事実も明かした。

そして希望を失ったまま、開城市のある山に登りそこで対岸の韓国の金浦市を眺めたという。電力不足の北朝鮮と異なり、明るく高層ビルが建つ街並みを見て「死ぬ前に行ってみよう」と考え一人韓国行きを決めたという。

高圧電流(電気は流れていなかったというが)のフェンスを越え、木の棒で地面を叩きながら地雷原を突破した。海岸で拾った発泡スチロールと縄で浮き輪を作り、7時間半かけて海を渡り、韓国にたどりついた。三日間食べていない状態で、到着と同時に気絶したという。

江華島の西にある喬洞島(キョドンド)から、対岸の黄海南道延白(ヨンベク)郡を望む。28日、筆者撮影。
江華島の西にある喬洞島(キョドンド)から、対岸の黄海南道延白(ヨンベク)郡を望む。28日、筆者撮影。

金氏は韓国で、耳の治療を受け耳が聞こえるようになった。当時のことを「嬉しくて涙が出た。一方で、その嬉しさを伝えたい母親や家族が傍らにいなくて、つらかった」と振り返っている。

そんな金氏がなぜ韓国を離れたのか。韓国メディアでは同氏が、6月に知人女性に性的暴行をはたらいた容疑で警察の捜査を受けていたと伝えている。証拠もあったが、証拠隠滅や逃走のおそれがないため、在宅のまま捜査を続けていた。

だが今月18日、金氏が被害女性の殺害をほのめかしたと通報を受けた警察は、金氏の出国を禁止する措置を取り、21日には逮捕状を請求する。さらに24日になってやっと金氏の所在を把握しようとしたというが、前述の通りすでに金氏は北朝鮮に「戻って」いた。

他方、同郷で親しかったキム・ジナ氏は「18日午前2時に金氏から『本当に申し訳ない。ヌナ(姉さん)のような人を失いたくない。生きている限り恩を返す』というメッセージが携帯電話に届いた」と、自身のYouTubeで明かしている。

●「活用」される個人

こんな一人の青年の人生の浮沈は、思わぬ方向に影響を与えている。韓国の専門家は一概に冒頭に引用した『労働新聞』の記事を額面通りに受け取っていない。

特に、金氏が新型コロナに感染していたという部分については「これまで新型コロナウイルス感染者の存在を認めてこなかった北朝鮮が、金氏の再入国をダシに一転してこれを認める狙いがある」と見る向きが強い。

さらにこれを「北朝鮮による外部に向けたSOS」(聯合ニュース26日社説)と捉える視点まで登場している。金正恩氏直々の指示による開城市の完全封鎖は尋常なことではない、とする立場だ。

そして「この機を逃さずに北朝鮮へと診断キットや防疫設備の支援を行い、南北関係の改善を図るべき」という意見がこれに続く。災い転じて福となすといった論理だ。

なお、韓国の防疫当局は27日、金氏が韓国にいた際に新型コロナに感染しておらず、感染者と接触した人物のリストにも含まれていなかったと明かしている。

喬洞島(キョドンド)の展望台に設けられた「望郷の碑」。対岸の延白郡は朝鮮戦争で北朝鮮の領土となり、避難していた人たちは故郷に戻れなくなった。28日、筆者撮影。
喬洞島(キョドンド)の展望台に設けられた「望郷の碑」。対岸の延白郡は朝鮮戦争で北朝鮮の領土となり、避難していた人たちは故郷に戻れなくなった。28日、筆者撮影。

筆者が今回の出来事を記事にしようと思ったのは、このような個人の事情を最大限に活用しようとする国家論理の暴力性を感じたからだ。

今日、現場を訪ねた筆者の頭にまず浮かんだのは、「どんな気持ちでこの広い海を渡って戻ったのか」という思いだった。真っ暗な夜中に、幅数キロの海を渡らせる原動力は何か。

「最低でも懲役5年」と言われる韓国での刑罰から逃れたかっただけかもしれないし、耳が聞こえるようになったことを家族に伝えたかったかもしれない。

持ち帰ったとされる最低でも数十万円とされるドルで、家族に楽をさせてあげたかったかもしれない。いや、おそらくこれらの想いが混ざっていたのではないか。

折しも7月27日は、朝鮮戦争の休戦協定が結ばれて67年になる日だった。国連軍と中朝側は1951年6月から53年7月まで2年にわたる交渉の傍ら、1ミリでも領土を増やそうと戦争を続けた。

38度線に近い高地を互いに取り合う中で、南北朝鮮と中国人民志願軍、国連軍の若者10万人以上の若者が命を散らしたのだった。

茫洋と広がる河口を前に、分断から70年以上が過ぎても、個人の人生は国家対立の前にないがしろにされ続けているのではないかという想いが頭を離れなかった。

政治体制の異なる南北朝鮮であるが、分断体制を用い国家の論理に個人を帰属させようとする点において、その姿勢は完全に一致する。

韓国では加害者だった可能性のある金氏は、その存在を無視される点で南北分断体制の被害者とも取れるのである。金氏は韓国に再送還され、韓国で裁判を受けられるようにすべきである。それもせずに人道支援とは、真に馬鹿げた発想である。

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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