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日韓政府が共感する「文喜相案」は、真の和解につながらない

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
17年5月、韓国政府特使として訪日した文喜相議員(当時)。(写真:ロイター/アフロ)

11月になって日韓政府双方が色気を示し、発案者の韓国・文喜相国会議長も法案発議を明言するなど、にわかに現実味を帯びてきた日韓の和解案。その争点はズバリ「判決を無視した解決は可能か?」という部分にある。

●「文喜相和解案」とは?

11月下旬になり、記者や国会そして市民団体関係者の間に「文喜相_対日抗争期_強制動員_被害調査_および_国外強制動員」というファイルが出回った。

これはいわゆる「文喜相案」、つまり昨年10月いらい日韓における最大の懸案事項となっている「元徴用工問題」を解決するため、韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が中心となりまとめられたとされる法案の草案だ。

全23ページのファイルには、法案に先立つ原則に加えいくつかの法案の文案が含まれている。法案の正誤表があることから、数パターン存在すると思われるこのファイルを参考に、韓国メディアなどが「文喜相案」に関する記事を書いてきた。

なお、後述するように文喜相案は現在も確定していないばかりか、その内容は迷走の度合いを強めつつある。この状況を前提に、ひとまず筆者が「どんな議論なのか」を読者が正確に理解できるよう、「意味のある部分」と考える部分を優先的に抜き出してみる。

○原則1:徴用工判決の理解

「朝鮮半島に対する不法的な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した半人道的な不法行為」である強制徴用は、日韓請求権協定の適用対象でないという2018年10月30日の大法院判決は、国際法の原則と日韓請求権協定に符合する。

○原則2:文喜相案の必要性

現行法上、大統領や国会が司法部の判決に拠る強制執行を中断したり延期させる権限はないが、当面した日韓の外交葛藤を根源的に解消し、未来志向的な日韓関係の基盤を確立するために、日韓両国議会が積極的に前に出て、外交的に緊密に協力し「新たな制度」を作る立法的な努力をすべきと判断する。

○原則3:法案の性格

(1):これまで持続的に発生してきた強制徴用の被害者および「日本軍慰安婦」女性の問題など日韓の間の葛藤を根源的に解決する「包括立法」。

(2):大法院の判決により、すでに執行力がある被害者(原告)と、今後よおそうされる同一な内容の判決で勝利した原告たちに、日本企業の賠償責任を代位弁済し実効性のある賠償を担保できる「遡及立法」。

(3):未来志向的な日韓関係のために、日韓請求権協定と関連するすべての被害者たちの賠償問題を2年程度の時間内に根源的かつ一括的に解決する「限時立法」。

(4):「特別財団による慰謝料財源の確保」や「慰謝料支給対象の範囲設定および制限」などの内容を必ず含む。

○原則4:法案の内容(財源)

現行の『日帝強制動員被害者支援財団』を『記憶人権財団』に格上げする(現在は『記憶和解未来財団』という名前に変更されたとされる)。

基金の財源として、(1)日韓両国の関連企業の自発的な寄付金、(2)両国の民間人たちの自発的な寄付金、(3)活動が終了している『和解治癒財団』に残っている約60億ウォン、(4)それ以外の寄付金と収入。

必要な金額は約3000億ウォン。根拠は訴訟を進めている990人、訴訟予定者が500人で(合計1500人)で賠償額は支援金と利子を含め一人あたり約2億ウォンになる計算。

財団の運営経費は韓国政府が充当する。

○原則5:日韓の政治的・外交的事前措置

上記のような「新しい制度」(法案)が韓国の国会を通過するためには、日韓両国間に以下のような多様な政治的・外交的事前措置が必要。

(1):両国の議会が多様な水準の議員外交を通じ和解の雰囲気を造成。

(2):外交当局間では、▲「ホワイト国除外」および「GSOMIA終了」の原状回復、▲特別法による強制動員被害者に対する賠償問題の解決、▲日帝強占期(植民地支配時代)に韓国人が受けた精神的・物質的な被害に対する日本の代表的な政治家による真摯な謝罪。

(3):両国首脳が会談で、▲日韓基本条約(1965年6月22日)に関する明確な立場整理、▲日韓慰安婦合意(2015年12月28日)の有効性確認、▲過去事(過去の出来事)に対する日本の謝罪、▲未来志向的な日韓関係の設定などの内容が含まれる「第二の金大中−小渕宣言」の表明を行う。

ファイルではこの下に法案が続く。法案の内容は上記の原則に基づき、法案成立から1年以内に強制動員の被害調査を完了し、さらに1年経つ合計2年の間に手続きを終了させるというものだ。

この法案の特徴としては「2プラス2プラスα」と表現できる。韓国政府、韓国企業に加え、「和解癒やし財団」の残金を使うことで大法院判決と基金への参加を拒む日本政府を形式的に参加させ、日本企業は自発的に寄付するようにするというものだ。プラスαは両国市民の寄付が該当する。

韓国国会。11月27日、筆者撮影。
韓国国会。11月27日、筆者撮影。

●市民団体・被害者たちは反発

だが、韓国社会には激しい逆風が吹いている。その出どころは過去、裁判を支えてきた市民団体と原告たちだ。27日、市民団体は国会前で記者会見を開き「文喜相案の即刻廃棄」を訴えた。

この日、元徴用工裁判の訴訟代理人を務める林宰成(イム・ジェソン)弁護士はまず、「文喜相議長側は被害者に直接説明し、意見を聞いたとしたが聞いていない」と述べ、手続き上の問題を指摘した。

さらに法案の内容については「この法案は、加害の歴史を清算するためのものではなく、被害者を清算するものであると感じた」と明かし、「加害者が認め、謝罪し、二度と繰り返さないと言い、記憶と資料を受け継いでいくという前提がいる」と主張した。

さらに「文喜相案には、日本がなぜお金を出すのかという内容が含まれていない」とし、「(18年の)大法院判決は無効化しろ、韓国政府が責任を取れという日本の立場から、少しだけ前進した案に過ぎない」と語った。

これはそもそも、「判決にしたがい日本側(被告の日本企業)が解決すべき問題を、なぜ韓国政府が腕をまくって解決しなければならないのか」(市民団体関係者)という根本的な問いを含んでいる。

イム弁護士は続けて「この法案がこんな方式で立法されるということは、それこそ多くの人の努力と苦痛、死をもって得た大法院判決が存在しないことよりもひどいことだ」と述べた。

さらに、「(韓国)政府が解決すべき問題が、日韓の葛藤しかないのか?被害者の人権を回復する方法を韓国政府が考えるべきではないのか?被害者の権利救済を行い、加害者の謝罪を受けることは大切ではないのか?」と韓国政府を強く批判した。

また『正義記憶連帯(旧:挺対協)』の李娜栄(イ・ナヨン)理事(中央大教授)も「惨憺たる状況だ」とし「文喜相議長が出てきて、日本に免罪符を渡そうとしている」と断じた。

李理事はさらに、「不法性の責任がない企業を引っ張りこむだけでも飽き足らず、『和解癒やし財団』までを含めることで『日本政府もお金を出す』という歴史に反する構想をしている。日本政府の責任はこれにより無くなることになる。なぜ加害国が考えて要請すべきことを、韓国の国会が積極的に物乞いするのか」と文喜相案に根本的な問いを投げかけた。

強制動員の被害者も声を上げた。かつて中国で慰安婦生活を余儀なくされた李玉善(イ・オクソン、93)さんは「文喜相案」に対し、▲謝罪が先だ、▲賠償は日本政府がすべきで韓国の国会があれこれいう問題ではない、▲朴槿恵の合意したお金を受け取れないとの意見を伝えた。

なお、この日の記者会見には「民主社会のための弁護士会(民弁)」、「正義記憶連帯」、「民族問題研究所」、「参与連帯」、「民主労総」など韓国の主要市民団体が軒並み名を連ねていた。文喜相案の対象に元慰安婦女性も含まれていたことから、「マリーモンド」社などの名もあった。

11月27日、国会前で記者会見を行う市民団体。「反人権、反歴史的な強制動員立法を推進するな!」とある。筆者撮影。
11月27日、国会前で記者会見を行う市民団体。「反人権、反歴史的な強制動員立法を推進するな!」とある。筆者撮影。

●文喜相「責任を取る」

この日の会見後、市民団体の代表者たちは文喜相議長と面談を行った。この席で文議長はいくつか、大事な発言をしている。筆者が市民団体関係者に取材した内容によると、核心部分は大きく三つにまとめられる。

まず、「11の法案があるが、一致した意見で一つにして発議すると合意している」という部分だ。現在、様々な議員が「元徴用工問題」を解決するための法案を作っているが、これをまとめるというものだ。

次に、「謝罪と事実を認めることは欠かせない」という市民団体側の指摘に、「(議長である私がその部分の)責任を取る」としつつも「(謝罪は)法律の形式でなく、宣言の形でするしかない」と答えた点。

そして「賠償金を受け取る人数を1500人に制限することは、被害者を分断することに他ならない」というやはり市民団体側の指摘に、「そんな事実はない。まだ決まったものは何もない」と答えた点だ。

他方この席では、韓国内でささやかれる「12月期限」をめぐり論争にもなった。

これは韓国政府が今月24日に中国で予定されている日韓首脳会談で、▲輸出規制解除(ホワイト国除外解除を含む)、▲GSOMIA終了撤回、▲元徴用工問題の解決に向けた合意という「一括解決」に向けて準備をしているという見方に基づくものだ。

これに対し、文喜相議長側は明言を避けつつも「12月に決めなければならない時期が来る」という原則を主張した。

一方、市民団体側はあくまで「委任されている訳でもないのに他人(原告)の債権で交渉してはならない。急ぎすぎると副作用が出る。公聴会を開くべき」と主張し、議論は平行線をたどった。

さらに文喜相議長側は「今の日韓関係の悪化で日本の在日コリアンなどもこの問題で苦痛を受けている。議長は両国国民の感情が激化して、戻れなくなると心配している。日韓の基金に市民が出捐(お金を出すこと)して和解を作ろうというもの」という立場を説明をした。

とはいえこの日、文喜相議長側は「あくまで草案であり、何も固まっていない」という立場を一貫して崩さなかったという。

実際に韓国メディアは12月に入り、「(法案の対象から)元慰安婦女性を除く可能性が高まっている」、「基金は全世界の市民に寄付を募る」と伝えている。法案は未だ完成しておらず、迷走しつつあるようにも見える。

抗議書簡を手にする市民団体の代表者たち。右から二人目がイム弁護士だ。筆者撮影。
抗議書簡を手にする市民団体の代表者たち。右から二人目がイム弁護士だ。筆者撮影。

●日韓政府は好感触?

「文喜相案」は11月初頭に文喜相議長が日本を訪問した際に、早稲田大学で行った講演を基調としている。

文議長はこの席で「もはや韓日関係を取り戻す『新たな仕組み』を作る立法的な努力は、議会指導者の責務である」とする一方、「韓国国民の被害や心の痛みを韓国が先駆けて癒すという大前提から始めた。かつて苦痛を強いられた我が国民を国が癒さなければならない時期に至り、もはや大韓民国の国力も十分それに相応しくなったと思う」という立場を明かしていた。

日本は肯定的だ。

毎日新聞が先月27日に伝えたところによると、安倍首相は先月20日に首相官邸を訪れ「文喜相案」の説明をした自民党の河村建夫議員(日韓議連幹事長)に対し、「『強制執行の前に法整備できるんならいいよね』と理解を示し、秘書官に韓国大使館との情報共有を指示した」という。河村議員も韓国紙に対し「この解決策しかない」という旨のコメントを出している。

一方、韓国政府も前向きな姿勢を示すとされる。

文正仁(ムン・ジョンイン)大統領外交安保特別補佐は西日本新聞と北海道新聞との合同インタビュー(11月26日付)で「文喜相国会議長の案は比較的な合理的な方法で、国民による寄付が成り立つとすれば、歴史問題を市民社会が解決するという意味が大きい」と述べている。

また、原告の理解を問う質問については「原告と合意しなければならない。既に完全に国家的な問題になったので、(韓国)政府がやり遂げなければならない」と答え、意欲を示した。

なお、文議長側は先月27日に発表した報道資料の中で「文喜相案への支持が広がっている」と明かし、遺族団体を中心に同案に賛成する複数の団体の名前を挙げてもいる。

国会前での会見にはたくさんのメディアが詰めかけた。11月27日、筆者撮影。
国会前での会見にはたくさんのメディアが詰めかけた。11月27日、筆者撮影。

●今からでもまともな議論を

12月1日、韓国メディアは「文議長側は今会期中での発議を目指している」という内容を報じた。国会の本会議は今月10日までだ。

法案の提出には国会議員10名の賛成がいるが、文喜相議長側は先月27日に超党派14人の議員と接触し「地ならし」を終えている。また、文喜相議長は「職権上程」という、法案をいきなり本会議での審議にかけられる強力な権限を有している。

だが現在の国会法において「職権上程」は、▲天災事変の場合、▲戦時・事変のまたはこれに準じる国家非常事態の場合、▲議長が各交渉団体(議席数20以上の政党)との代表議員と合意する場合の、三つに限られる。

これをどうクリアするのかが懸案となるが、ある与党関係者は「文議長がやるといえばできる」と筆者に耳打ちする。

だが、市民団体側は「被害者たちは賠償金でもない『寄付金』のために20余年のあいだ闘ってきた訳ではない。人間の尊厳がかかった人権問題をいくばくかの金で解決させる発想自体が、被害者を冒涜するものだ」(2日、民族問題研究所・金英丸対外協力室長)という姿勢を崩していない。市民団体側は今週後半に国会でオープンな会合を開く予定だ。

突然降ってわいた「12月までに解決」というアイディアをどう見ればよいのか。

筆者は「解決すべき」という原則には同意する。しかしこれを12月までに急ぐのは、完全に日韓の政治家による「野合」でしかないと見なす立場だ。「被害者優先」を訴えてきた文在寅大統領にも、大きな失望を覚える。

かつて国家論理の犠牲になった人々を、こんなうやむやな方法で救済できるはずがない。文議長側は「韓国が先に解決策を示すことで韓国の優位性を国際社会にアピールする」というが、あべこべな理屈付けに過ぎない。

繰り返してきたように、韓国政府・国会が再考すべきはもちろんのこと、解決を韓国側に丸投げしたような日本政府側の尊大な態度も責められるべきだろう。

昨年10月の判決以降、強制動員問題の解決のために日本政府と企業、さらに日本社会が被害者の人権と人間の尊厳についてまともに議論したことがあっただろうか。「文喜相案」の前に議論すべきことは山のようにある。

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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