「北朝鮮に3万体」「歴史を治癒する第一歩」…韓国軍・遺骸発掘鑑識団を訪ねる

昨年11月、江原道で65年ぶりに発掘された韓国軍兵士の遺骸。韓国国防部提供。

昨年から南北、米朝の間で盛んに取りざたされている「朝鮮戦争の終結と平和協定」。65年前に休戦したが、今なお戦場で倒れたまま兵士たちを家族の元に返すための組織が韓国にある。「歴史の治癒」は可能なのか。

●「65年ぶりの帰還」

昨年10月末、日本では報じられなかったニュースがある。「65年ぶりの帰還」。1953年の朝鮮戦争休戦後はじめて、非武装地帯(DMZ)の中で戦死者の遺骨が掘り起こされたのだった。

遺骨の傍らにあった認識票には「パク・ジェグォン PAK JE KWON」の名があった。軍籍をたどると、停戦協定が締結されるわずか17日前の1953年7月10日、江原道鉄原郡にある「ファサルモリ(やじりの意)高地」の戦闘で戦死した21歳の兵長であることが分かった。

韓国国防部の資料によると、1951年11月から53年7月の停戦まで続いた「ファサルモリ高地の戦い」では、韓国軍の第2・第9師団と米軍の第2師団、フランス軍大隊が、北朝鮮軍ならびに中国人民義勇軍と戦った。推定戦死者は韓国軍200余名、米仏軍100余名。なお、中朝の戦死者数は不明だ。

パク兵長は大腿骨1本のみを残すだけとなっていたが、傍らに認識票があった。上から「大韓 8810594 PAK JE KWON 陸軍」とある。写真は国防部提供。
パク兵長は大腿骨1本のみを残すだけとなっていたが、傍らに認識票があった。上から「大韓 8810594 PAK JE KWON 陸軍」とある。写真は国防部提供。

パク兵長が戦死した当時、板門店では国連軍と中国・北朝鮮の間での2年にわたる停戦協定交渉がまとまりつつあった。だが、少しでも多くの領土を確保し、交渉の主導権を確保しようと激しい戦いが続いていた。特に戦略的に価値がある「高地」は両陣営で取り合いとなった。

この、いわゆる「高地戦」の結果、現在の南北軍事境界線(MDL)が確定したといっても過言ではないが、このわずか数キロの土地のために、北朝鮮、中国、韓国、国連軍など10万人以上の若者が命を散らした。

朝鮮戦争中の南北の最大版図。一時期、北朝鮮は右下の紺色以外全てを占領し、韓国・国連軍は紺色を含む白い部分までを占領した。17年12月、高城市のDMZ博物館で筆者撮影。
朝鮮戦争中の南北の最大版図。一時期、北朝鮮は右下の紺色以外全てを占領し、韓国・国連軍は紺色を含む白い部分までを占領した。17年12月、高城市のDMZ博物館で筆者撮影。

このMDLから南北それぞれ2キロが、パク兵長の遺骨が見つかった非武装地帯(DMZ)となっている。南北対立の最前線であると共に、世界最大の地雷原となっており、これまで遺骸発掘事業は手付かずだった。

この歴史を変えたのは、18年9月に平壌で行われた南北首脳会談で採択された『歴史的な「板門店宣言」履行のための軍事分野合意書』だった。

[全訳] 歴史的な「板門店宣言」履行のための軍事分野合意書

https://www.thekoreanpolitics.com/news/articleView.html?idxno=2683

第2項目の3つ目の合意として「双方は非武装地帯内で試験的な南北共同遺骸発掘を行うことにした」と明記された。この内容に基づき、韓国側が10月1日から11月30日まで、同高地一帯に埋設された地雷や爆発物除去を行う過程で、パク兵長や冒頭の写真の兵士の遺骸が見つかった。

発掘を行ったのは「韓国国防部 遺骸発掘鑑識団(以下、鑑識団)」だ。いささか古いが、2004年の映画『ブラザーフッド』の冒頭で、「6.25参戦勇士遺骸発掘事業団」として登場しているため、覚えている読者がいるかもしれない。

筆者もかねてから関心があったこの部隊を、1月末に訪問取材した。25日に追加で電話取材した内容と共にまとめた。

●国防部遺骸発掘鑑識団とは

出迎えてくれたのは、鑑識団の対外協力課長を務める崔青(チェ・チョン)中佐と、広報将校の金大秀(キム・デス)大尉だ。インタビューには主に、崔中佐が答えた。

国防部遺骸発掘鑑識団の対外協力課長を務める崔青(チェ・チョン)中佐。18年1月、筆者撮影。
国防部遺骸発掘鑑識団の対外協力課長を務める崔青(チェ・チョン)中佐。18年1月、筆者撮影。

――鑑識団の仕事とは

朝鮮戦争(1950.6.25~1953.7.27)で戦死したが、未だ遺骸が見つかっていない13万人余りの人々を、家族の元に送り届けることだ。国のために犠牲になった人々の責任を最後まで持ち、国と国民の間の信頼を高めるためのものだ。

――鑑識団の歴史は

2000年まで、遺骸発掘活動は存在しなかった。2000年になって初めて、朝鮮戦争50周年活動として、陸軍内の期間限定組織として始まった。すると、たくさんの遺骸が発掘され、国民の関心が高まり、正式な組織としての必要性が議論されるようになった。

――朝鮮戦争の悲劇を描いた映画『ブラザーフッド』は(04年)、韓国で1100万人以上が見た。遺骸発掘のシーンも印象的で、多くの人々が関心を持ったのではないか。

国民の間に幅広い共感が生まれたという点で影響があった。議論が進み、2007年になって陸軍ではなく国防部の組織として発足することになった(08年3月『6.25(朝鮮戦争)戦死者遺骸発掘等に関する法律』制定)。

これにより、軍部の専門家たちが一箇所に集まって活動できるようになった点は大きい。さらに今は年2回、国防部次官を委員長とし、文化体育観光部、国家報勲処など12の政府部署から人員が集まる会議も開催される。

また、遺骸発掘鑑識団は世界で米国と韓国だけに存在する。

ベトナム国防部とも遺骸発掘に関し協力関係にある。韓国はベトナム戦争に延べ30万人以上の兵士を派遣し、うち5000人以上が戦死した。1月、筆者撮影。
ベトナム国防部とも遺骸発掘に関し協力関係にある。韓国はベトナム戦争に延べ30万人以上の兵士を派遣し、うち5000人以上が戦死した。1月、筆者撮影。

――現在の規模は

現在、鑑識団の規模は約300名。これとは他に年間80箇所で述べ10万人の兵士が発掘作業に当たっている。予算は2018年までは50~60億ウォン(約5~6億円)だったが、2019年度は約120億ウォン(約12億円)に増えた。

――増額の理由は

19年4月から、「ファサルモリ高地」で南北合同の遺骸発掘調査が始まる。それを見越しての予算だ。

(折しも、インタビューをした1月28日の朝、韓国各紙は一斉に「4月からの南北合同発掘事業が国連安保理制裁から免除された」と伝えた)

――国連安保理の制裁免除が持つ意味は?

合同発掘とは言っても、技術・装備・ノウハウはすべて韓国側が提供するのが実情だ。北朝鮮を支援する必要があるので、物資や装備の持ち込みなどが認められたことで、大きな問題が解消されたことになる。

「ファサルモリ高地」で見つかった遺骨。写真は国防部提供。
「ファサルモリ高地」で見つかった遺骨。写真は国防部提供。

●身元確認、DNA収集の難しさ

――これまで発掘した遺骸の数は

全体で約1万1500余体、そのうち韓国軍は1万余体だ。身元確認までできたのは、これまで131人だ。

鑑識団の入り口には、発掘および身元確認情報を示す電光掲示板があり、随時更新される。1月、筆者撮影。
鑑識団の入り口には、発掘および身元確認情報を示す電光掲示板があり、随時更新される。1月、筆者撮影。

――発掘はどのようなプロセスで行われるのか

基礎的な情報を集める「調査・探査」、実際に遺骸・遺骨を探す「発掘・収拾」、遺骸の鑑識を含む「身元確認」、国立墓地への安葬や外国人の場合には海外遺骨送還などを行う「後続措置」の四段階に分かれる。

こうした過程の全体を、独自に開発した「戦死者遺骸発掘プログラム(KIATIS)」を通じ総合的に管理している。

――全体の約1%と、身元確認された人物が思ったより少ない印象だ。発掘された遺骸の身元確認はどうやって行うのか。

遺物、身体情報、関連する行政記録、そしてDNA分析で判断する。ほとんどはDNA分析に頼っている。だが遺族のDNA情報が足りない。約13万人の対象者のうち、現在まで43000人ほどが登録している状況だ。遺族の協力が不可欠だが、朝鮮戦争から70年近い年月が経ち、遺族の関心が下がっているのが現実だ。

――昨年10月の65年ぶりの遺骸発掘などで、世間の関心は高まらなかったのか。

一時的には高まるが、すぐに元通りになる。今後もっと実績を増やすことで、情報提供の量を高めていきたい。

遺骸発掘鑑識団はソウル市内の顕忠院の敷地内にある。戦死者を安葬する同地では、行事が行われる度に遺族のDNA採取を呼びかけている。最近では10万ウォン(約1万円)の報奨金も出る。18年6月、筆者撮影。
遺骸発掘鑑識団はソウル市内の顕忠院の敷地内にある。戦死者を安葬する同地では、行事が行われる度に遺族のDNA採取を呼びかけている。最近では10万ウォン(約1万円)の報奨金も出る。18年6月、筆者撮影。

●南北合同発掘調査は「歴史を治癒する一歩」

――19年4月1日から、「ファサルモリ高地」での南北合同発掘が始まる。準備はどう進んでいるのか。

現在は、韓国側の準備を整えている段階だ。正式な協議はまだ行われていない。米朝首脳会談などが終われば本格的に進むものと見ている。

――昨年、地雷と爆発物除去を行った。どんな成果があったか。

昨年10月1日から11月30日まで、地雷撤去や行政的な部分を含め共同遺骸発掘の要件を醸成するための準備を行った。その中で、13人の遺骨を発見した。「何体」と呼べるほどに骨が多くなかったが、そのうち一人は中国人民義勇軍の兵士のものだ。

――同高地にはどれくらいの遺骸が眠っているのか。

参戦者3012人のうち、韓国軍、米軍、フランス軍で戦死者は320人とみられる。中国人民義勇軍と北朝鮮軍戦死者の数は分からない。

ここで少し解説をいれる。11月22日、南北共同発掘調査のための道路が開通した。幅12メートルの非舗装の道だが、西の京義線、東の東海線に続く3本目の、そして朝鮮半島の中央を通じる道として大きな意味を持つものだ。韓国側の作業団と北朝鮮側の作業団が握手するシーンは「実質的な終戦」を宣言した南北関係を象徴するものだった。

11月22日、互いに地雷を除去し道路を作ってきた南北の軍人たちが、軍事境界線付近で握手している。写真は国防部提供。
11月22日、互いに地雷を除去し道路を作ってきた南北の軍人たちが、軍事境界線付近で握手している。写真は国防部提供。

――DMZ全体にはどれくらいの遺骸があると見ているのか。

DMZには1万体が、北朝鮮には3万体が今も眠っていると推定している。今回の共同発掘を通じ、まずはDMZで遺骸を探せるという希望を持つことができた。

――崔青さんは、直接「ファサルモリ高地」の現場を担当したと聞いた。どんな思いをもったか。

歴史を治癒する第一歩を踏み出したという思いを強く持ち、胸がいっぱいになった。過去の傷を発展的に治癒する過程が始まる、意義深いものと自分なりに位置づけている。

――通常、遺骸発掘を行う兵士や専門家はどんな様子か。

作業を行う発掘団員たちは涙を流すことも多い。中には頭部に銃撃を受け、頭を抱えたままうずくまっている遺骸や、燃えてしまったものもある。時間が止まったかのような65年前そのままの姿があり、戦争の残酷さを感じる。誰が見ても心が痛むだろう。

顕忠院を訪れた家族が、発掘された朝鮮戦争当時の遺物を眺めている。18年6月、筆者撮影。
顕忠院を訪れた家族が、発掘された朝鮮戦争当時の遺物を眺めている。18年6月、筆者撮影。

●戦死者は家族の胸に帰るべき

――遺骸発掘は米朝間でも行われていたが。

1990年から95年までは北朝鮮が独自に発掘していた。その後、95年から2005年までは合同で発掘を行った。北朝鮮は発掘し、鑑識は米国が行う。

米国の「戦争捕虜・失踪者確認局(DPAA)」が北朝鮮政府と共同発掘した64体の遺骸を共同鑑識した結果、韓国軍の遺骸があることが分かり、18年9月、米国から韓国に送還された際の引受書。1月、筆者撮影。
米国の「戦争捕虜・失踪者確認局(DPAA)」が北朝鮮政府と共同発掘した64体の遺骸を共同鑑識した結果、韓国軍の遺骸があることが分かり、18年9月、米国から韓国に送還された際の引受書。1月、筆者撮影。

――米軍をはじめ、国連軍や中国人民義勇軍の遺骨が見つかることもある。

外国人兵士(国連軍)の場合は、国連軍司令部や停戦監視委員会を通じ、送還の打診を行う。他に、受け取らない場合には「敵軍墓地(京畿道坡州市にある墓地。北朝鮮軍、中国人民義勇軍合わせて1000人以上が眠る)」に埋葬することもある。

――最後に、遺骸発掘鑑識団の意義を

朝鮮戦争の犠牲の上に今の韓国が存在することを忘れてはならない。それを思い起こすと共に、葛藤から和解への橋渡しをしていると考える。

敵として出会ったとはいえ、戦死した人達は互いの家族の胸に帰るべきだ。戦死者の家族を癒やし、未来へと歩みを進めることができる意味のある事業だ。

●取材を終えて

日本のメディアではよく「韓国の文在寅政権は南北融和に前のめり」と評される。だが、その背景には、今回紹介したような「未完の歴史」が横たわっていることを忘れてはならないだろう。今なお休戦中の朝鮮戦争を終わらせるというのは、新しい、そして正常な朝鮮半島に向けての第一歩である点を改めて強調しておきたい。(了)