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「板門店宣言」が実現に向かうしかない理由

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
4月27日、南北首脳会談で笑い合う両首脳。写真は板門店合同取材班。

南北首脳会談から一週間。展開の早い朝鮮半島情勢はすでに、真打ちとも言える「米朝首脳会談」に向けまっしぐらに進んでいる。だが筆者は今の時点で、もう少し、南北会談の「意味」と「価値」について考えてみたい。

測りかねる金正恩氏の真意

今回の南北首脳会談の「意味」は何よりも、▲南北関係の全面的・画期的な発展、▲軍事的緊張緩和・戦争危険性の解消、▲朝鮮半島の完全な非核化と平和体制の構築、に代表される「板門店宣言」の内容が正確に履行されるかによる。

この過程において、北朝鮮の金正恩国務委員長だけが責任を問われる訳ではない。北朝鮮の不可逆的な核廃棄の対価として、韓国、米国をはじめ国際社会もやはり、不可逆的な平和体制への歩みを進めることが求められる。

だが今、もっともその意図を測りかねる人物が金正恩氏である。同氏は今年に入り4度、非核化の意志を表明した。3月5日の韓国特使訪朝時、3月28日の中朝首脳会談時、その直後3月31日から4月1日にかけてのポンペオCIA局長(当時、現国務長官)の訪朝時、そして先日の「板門店宣言」まで、その発言には「ブレ」はない。

それにも関わらず「金正恩氏がそう安々と核廃棄をするはずがない」という声は根強い。特に、「核は民族の自主権を守る正義の宝剣」とする北朝鮮の論理や、北朝鮮との核交渉の歴史をよく知る専門家や脱北者、記者のあいだで、この見解は目立つ。

一方で、「板門店宣言」の実現を推す声も少なくない。いみじくも3日、南北首脳会談準備委員長を務めたイム・ジョンソク大統領秘書室長が語ったように「今回は違う」という見方がそれだ。南北首脳会談で金正恩氏自ら「終戦宣言、不可侵条約が成る場合、北朝鮮が核兵器を持つ必要がない」と語った点なども挙げられる。

しかしいずれの主張も、金正恩氏が対話に乗り出してきた点についての分析と同様に、「これ」といった根拠を示すには至らない。

北朝鮮経済全体の実像、実情は断片的に把握できるのみで「国連安保理の制裁下であと何年もつ」といった共通の指標があるわけではない。国内統治は安定しているというが、軍の利権を強権的に再編しているなど、緊張を伝える声にも事欠かない。果ては核の「隠匿」を徹底的に行っているという声まで、不確実な根拠をいかようにも自身の主張のために援用できるのが現状だ。

「板門店宣言」が実現に向かう理由

そうした中、筆者は「板門店宣言は実現に向かう」と見る。理由は「金正恩氏は『政権を維持しながら北朝鮮の体制を軟着陸させる』、最初で最後のチャンスを迎えているから」という単純なものだ。

もっと言うと、「現時点で金正恩氏に対し提供されているような、韓国政府ならびに韓国社会の後押しは、今回の機会を逃す場合、今後二度と存在しない」ということだ。

韓国政府は南北首脳会談を生中継することで、金正恩氏のイメージを「常識的な人物」へと更新することに成功した。これこそが南北首脳会談の「価値」となる。

何度も笑顔で握手をし、冗談を言い合い、真面目に宣言を語り、ある種の憂愁までたたえたような表情を韓国政府はうまく引き出すと共に、世界中に宣伝した。

その結果、つい半年前まで軍事的挑発を続ける北朝鮮に対する対抗措置として、「韓国の核武装」を肯定的に受け止めるほど硬直していた、韓国市民の認識を大きく変えることに成功した(17年9月9日/韓国ギャラップ社/60%、同14日/リアルメーター社/55.2%)。

さらに以下の3つの世論調査結果にあるように、2011年末に父の後を継いで以降はじめて、金正恩氏を受け入れ、信頼を寄せることとなった。

(1)韓国の「リサーチ・ビュー社」が4月28日から29日にかけて行った世論調査では、回答者の71%が、「朝鮮半島の平和体制定着と完全な非核化」が実現可能と答えた。

(2)「コリア・リサーチ社」が4月29日から30日にかけて行った世論調査では、77.5%が「金正恩氏を信頼できる」と答えた。

(3)「リアルメーター社」が5月2日に行った世論調査では、71.4%が「北朝鮮のCVID(完全で検証可能かつ不可逆的な核廃棄)は可能」と答えた。

朴槿恵前政権を弾劾・罷免に追い込んだ2016年から17年にかけての「ろうそくデモ」を見ても分かる通り、韓国の市民は、非常に厳しい目を政治に注ぎ続けている。

このような状況の中で、今後、金正恩氏が「板門店宣言」を一方的に反故にする場合や、その行動が韓国市民の「水準」に満たないと判断される場合、同氏の立つ瀬は、韓国社会に存在しなくなると筆者は見る。「ここまでやったのに、裏切るのか」という感情が爆発するだろう。

そうなるといくら高支持率を誇る文大統領が説得しようとしても、韓国市民は耳を貸さなくなる。結果、文大統領は南北関係で無理がきかなくなり、今おこなっているような、米国への積極的な働きかけなどもできなくなる公算が高い。

そうした間も、「史上最高の経済制裁」は続いていき、北朝鮮経済いずれはジリ貧になるだろう。つまり、金正恩氏は自身の政治生命において、最大のチャンスを目の前にしているのである。

今はまだ、11年ぶりの南北首脳会談の熱狂が、韓国社会を包んでいる。そうした中で、金正恩委員長とそのブレーンが、筆者が述べたように現状を認識しているならば「板門店宣言」は間違いなく実現に向かうことだろう。

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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