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【教員免許更新制をやめたとしても、どうする?】研修受講履歴の管理で、学びが促進されるほど甘くない。

妹尾昌俊教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事
図はいらすとや

 文科省の審議会(中央教育審議会:中教審)で教員免許更新制の見直しの議論が進んでいる。10年に一度講習を受けて、更新しておかないと、教壇に立つことはできないこの制度には批判、廃止論は強い(前回の記事を参照)。

 一方、仮に免許更新制をやめる(廃止する)としても、教師の学びをどうサポートするか、促すかという課題は残る。文科省、中教審では教員免許更新制の代わりにどんな策が検討されているだろうか。

※もっとも、免許更新制の存廃については、今後の審議次第でどうなるかは、現時点では未確定である。

■さまざまな研修をワンストップに集約、研修履歴を管理、活用

 最近の会議(5月24日)では「『令和の日本型学校教育』を担う教師の学び(新たな姿の構想)」という案が事務局(文科省)から示された。

 現行では、独立行政法人教職員支援機構や各地の教育委員会、大学、民間などさまざまな団体が教員向け研修を実施しているが、それら研修のコンテンツをワンストップ的に集約・提供するプラットフォームを構築すること、また、教師の研修受講履歴を記録・管理すること(それを人材配置やキャリア支援などにも活用すること)などが明記されている(下の図に一部抜粋)。

図:教師の学びに関する文科省の検討案

出所)中教審・「令和の日本型学校教育」を担う教師の在り方特別部会教員免許更新制小委員会、会議資料(2021年5月24日)より一部抜粋

 出席した委員からは絶賛、評価する声が多数あがり、加治佐哲也主査(兵庫教育大学長)は「こういったことができれば、免許更新制はなくてもいいのではないか」と議論を引き取ったと報道されている(教育新聞5月24日)。加治佐主査は「新たな教師の学び姿についての構想には、反対意見はなく、おおむね賛同を得ることができた」とも総括したという(同紙)。

■「研修受けましたよ」がそれほど重要か?問題含みの案をたいして審議しないままゴーサイン?

 だが、この案は、相当危うい(問題が多い)と私は考えている

 確かに、各自がバラバラに研修を提供するよりは、一定程度集約され、評判のよいプログラムをオンライン、オンデマンドなどでどこでも受けられたほうがよいと思う。

 だが、率直に申し上げて、この案が想定する(もしくは中教審の委員の方々が思っている)ほど、現実は甘くない。先ごろ(6月14日)に日本教師教育学会から要望書が出され、この案についても一部批判されているが、わたしは、次の5点を特に問題視している。

 第一に、研修を受講したことと、その内容を習得、活用したかは別であるはずなのに、受講したことだけを重視している。専門用語を含むが、これは研修の「転移」と呼ばれる問題で、研修を受けたかどうかよりも、仕事、成果につながっているかどうかが問われなければならない。

 第二に、1点目とも重なるが、研修や人材育成の成果を簡単に把握できるものと捉えている。たとえば、先ほどの文科省のペーパーには「学びの成果が可視化され」といった文言が出てくるが、それはそんなに簡単なことだろうか?

 たとえば、デジタル技術の活用についての研修を受けたからといって(しかも、現状の多くの講座は座学)、すぐに授業でICT(IT)を賢く使えるようになる人は少数だろう。文科省、中教審は講習を受けましたよ、というだけで学びの成果などと言っているのだから、楽観的過ぎる。

 民間でも「〇〇研修を受けましたよ」というだけで、「へえ~、すごいねえ」などとは、あまりならないのではないか。研修を受けたということはインプットに過ぎないからだ。その人の仕事ぶりや成果(アウトプット、アウトカム)が大事だ。こんなこと当たり前の話だと思うが、なぜか、学校教育の世界では、受けたとか、履修したということが重視される

写真はイメージ
写真はイメージ写真:アフロ

 話はまったく別ものだが、昨年度から児童生徒に「キャリアパスポート」というものを作るよう、文科省は各学校に働きかけている。詳細は省くが、就職活動のときの自己分析のようなことを小学生からさせて、高校卒業までもっていく(小学生のとき書いたことも)。たとえば、文科省の参考様式(中1)では、自己PRや将来の夢を書く欄に加えて、「不得意なことや苦手なことでも、自ら進んで取り組もうとしましたか」などと12項目のチェックリストまで用意されている。

 わたしはキャリアパスポートなど要らぬおせっかいだと考えてるが、ここでも、文科省と一部の有識者は、その人の資質・能力や学んだことを簡単にペーパーに落とし込んで進ちょく管理できると想定している節がある。

 世の中、そんなに単純な世界ではないだろうし、そもそも文科省の方々は、研修履歴を管理し、人材配置やキャリアに活用しているのだろうか?もしやっていないなら、自分がやろうとしないこと、できないことを人に押しつけてはいけない、と思う。

■これまでの取り組みを検証しないまま、新しいものをまた追加

 第三に、前回の記事にも書いたように、これまでの施策(免許更新制も、通常の研修なども)についての振り返り、反省がないので、何をどう変えるべきなのかが見えてこない。この点は日本教師教育学会の見解も弱いと思う(文科省案は教師の主体性、内発性が軽視されている、という指摘はとても重要だが)。

 たとえば、教育委員会等の研修は、教員育成指標というのをつくって、実施されている。どこのものでも構わないが、下記は一例として愛知県教育委員会が定める教諭の育成指標を掲載した。目がチカチカするほど、びっしり書き込まれていて、目指す教師像が描かれている(ほかの自治体も似ているので、関心のあるところのものをネット検索して確認してほしい)。

 問題ははたして、こうした取り組みがどこまで功を奏しているのか、書き込んだはいいが、キレイゴトを書いただけで形骸化しているのではないか、という点の検証がほとんどなされていないことだ。

出所)愛知県教員育成指標の資料より一部抜粋
出所)愛知県教員育成指標の資料より一部抜粋

 研修コンテンツについてはどうか。わたしも研修講師をしているので、自分への反省を込めてこの記事を書いているが、仮に既存のコンテンツの多くがあまり役立たないものだとしたら、それをワンストップにしたところで、どこまでいいものになるだろうか?

 つまり、これまでの取り組みを十分に確かめずに、「免許更新制をやめるんだったら、ちゃんと研修の受講履歴の把握くらいやらないとダメだよね」というくらいの発想でいると、また教育委員会等(場合によっては現場の教頭職ら)の管理業務が増えるし、あまり効果のないものが続いてしまうことになりかねない。スクラップ&ビルドではなく、ビルド&ビルドの発想ではダメだ。

 第四に、研修等が学校現場で役立つかどうかは大事にしたい視点のひとつではあるが、それだけが重要なのではない。すぐに役立たないものであっても、教師として大事にしたい考え方やものの見方などはたくさんあるはずで、実用志向、短期志向が強くなり過ぎると、教師の学びの幅を狭くしてしまう。

 日本教師教育学会の浜田博文会長(筑波大学)はこう述べている(教育新聞6月24日)。

「例えば、『オンデマンドのコンテンツを視聴すれば研修と認める』といったようなことでいいのか。子供のコンピテンシーを育てる立場にある教師が、受け身の研修ですぐに陳腐化するような知識やスキルばかり身に付けるのは矛盾している。本来は、もっと教師自身が自律的、主体的に学ばなければいけない。それを研修として保障することが重要だ」

 要するに、子どもたちには、正解のない問いについて思考力等を働かせましょうと言っているのに、文科省案の教師の学びとは、ある程度、学んだことが可視化、活用されやすいことを重視し、正解がある程度定まっていることについての知識を増やすこと、あるいは、手っ取り早く一定の手順を習得させることを重んじているのではないか。仮にそうだとすれば、視野が狭いアイデアだ。

 最後に、5点目として、もっと重要な問題に目を向けるべきだ。前回の記事にも書いたので、詳細は省くが、たとえば、さまざまな研修コンテンツがウェブ上で一覧でき、「先生たち、免許更新制はなくなりましたから、このポータルサイトを見て、興味のある研修を好きなときに受講しておいてくださいね~」などと呼びかけたところで、本当に教師の学びは強力になるだろうか?忙し過ぎて、受けられない、受けないという人が続出するかもしれない。

 さて・・・、批判するんだったら「代替案をオマエが出せ」と言われそうなので、少し書くと、働き方改革など進めて、先生たちの日常で自由な時間をもっと確保すること(そのためにも、既存の取り組みで効果、意味が薄いものなどをスクラップ、精選すること)が重要だと考えている(具体策も拙著などに書いているが、長くなるのでここでは述べない)。

 また、免許更新制に代えて、10年に1度くらい、数ヶ月間、先生たちが職場を離れて、研修できる期間を設けるべきだということを方々で提案している(たとえば、大学院等に短期で受講してもいいし、海外や民間で経験をしてきてもいい)。いまでも、教職大学院などで1~2年研修派遣される(有給)例はある。

 上記のいずれも簡単な方法ではないし、予算がかかることも多いが、研修受講履歴の管理、活用程度では不十分過ぎる。教師の学びを充実させるのは、それほど甘いことではない。

(参考)

日本教師教育学会理事会、要望書

藤川大祐「【免許更新制】履修至上主義を廃し、抜本的な負担軽減を」教育新聞2021年6月22日

●妹尾昌俊『教師崩壊』

●妹尾昌俊『こうすれば、学校は変わる! 「忙しいのは当たり前」への挑戦』

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教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事

徳島県出身。野村総合研究所を経て2016年から独立し、全国各地で学校、教育委員会向けの研修・講演、コンサルティングなどを手がけている。5人の子育て中。学校業務改善アドバイザー(文科省等より委嘱)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁の部活動ガイドライン作成検討会議委員、文科省・校務の情報化の在り方に関する専門家会議委員等を歴任。主な著書に『変わる学校、変わらない学校』、『教師崩壊』、『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』、『こうすれば、学校は変わる!「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法』等。コンタクト、お気軽にどうぞ。

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