働き方改革が進まないのは、文科省のせい? (教師のバトン、働き方改革のバトンを持つのはだれか?)

教師のバトンプロジェクトnoteより抜粋

■教師のバトンに悲痛な訴え、働き方改革のバトンは誰に?

 文科省が3月26日から始めた「教師のバトン」プロジェクト。教師の魅力や学校の働き方改革、ICT活用の状況などを共有しようと始めたものでしたが、Twitterなどには、学校の過酷な労働実態などを訴える声が相次いでいます。

 今朝(4月9日)の朝日新聞、天声人語は「教師の働き方改革という重いバトンがある。手渡されたのはむしろ文科省のほうだ」と結んでいます。一見痛快にも読める箇所ですが、この認識で本当にいいのだろうか、わたしにはクエスチョン(おおいに疑問)です。

 文科省がもっとやっていくべきことも多いのは確かなのですが、Twitter等での声も、メディアの論調も、文科省に大きな期待を寄せ過ぎではないでしょうか?きょうはこの問題を取り上げます。

(注釈)

 なお、わたしは教師のバトンプロジェクトの応援団のひとりとなっていますので、完全に中立に論じられるわけではありません。

 ただし、文科省からは本件について金銭(謝金等)の授受は全くなく、どんな発信をしてほしいなどの依頼等も一切ありません。単にプロジェクトの趣旨に賛同している、というだけです。

 わたしの過去の記事をご覧いただければご理解いただけると思いますが、わたしは多くの教育現場を取材したり支援したりしている第三者的な立場として、あるいは保護者でもある立場から、時には文科省等の政策を批判し、時には応援しています。

 Twitter上には

  • 生徒のためにと思って1年間頑張ったけど、パワハラもあり精神疾患になり、一年でやめました。
  • 何度も言ってますが、教員は素晴らしい仕事なんです。それは間違いない。気持ちよくバトンを引き継ぐための労働環境の改善を是非ともお願いします。免許更新の廃止もお願いします
  • 【育休から復帰しようとした先生の話】

 育児時短勤務を申請したら「無理で〜す」と即答

 保育園の送り迎えがあるので、部活の主顧問から外してほしいとお願いしたら「無理で〜す」即答

 などなど、悲痛ともとれる声がたくさん寄せられています。

 また、SNSを使っていない人向けには、専用サイトからの投稿も可能で、既に700件近く寄せられているそうです。なお、教職員だけでなく、保護者等の投稿も歓迎しています。

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写真はイメージ写真:beauty_box/イメージマート

 昨日(4月8日)文科省はメディア向けに改めて説明会を開催し、教師のバトンに寄せられた意見を受けた今後の取り組みなどについて話しました。そこに私も同席しましたが、記者からの質問のなかには、「もっと文科省は学校の働き方改革を抜本的に進めるべきではないか」、「国は教育委員会や校長が動くよう、尻を叩いていったほうがよいのではないか」というものもありました。

 SNS上にも、文科省に学校の改善を要望するものがあふれています。

■文科省だけが受け止めるべきではない

 悲痛な声は、学校現場の実態や教師の本音の一部を表わしていますし、文科省には真剣に受け止めてほしいと思います。

 また、文科省は学習指導要領や教員免許更新制をはじめ、先生たちの負担、業務を増やし続けてきた部分もおおいにあるわけですから、国がこれまでのことをしっかり反省し、ビルド&ビルドと新しいことを増やすのではなく、果敢にスクラップ、廃止・縮小を進めていくべきことも多いのは確かです。

関連記事:「#教師のバトン」悲痛な声が噴出する2つの理由と意味

 拙著『教師崩壊』でも書きましたが、たとえば、将来の自分のことについてなどを記入する「キャリア・パスポート」。昨年度から始まりましたが、さっさとやめたらいかがでしょうか?キャリア・パスポートは小学校から中学、高校と引き継ぐことが想定されていますが、小学校低学年のときに書いたことを高校生になって読み返したい子がどのくらいいるのでしょうか?

 また、給特法と呼ばれる公立学校教員に特殊な法制度、あるいは教職員定数の問題をはじめ、国でなければ、検討、改正等できない重要な課題が多いことは確かです。

 ですが、文科省に過大に期待を寄せるのも、大きな問題を含んでいるように思います。理由は2つあります。

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写真はイメージ写真:アフロ

■バトンを持っているのは、校長と先生たち

 第一に、そもそも国の権限ではなく、学校裁量で変えていけることや、設置者(教育委員会、私学の場合は学校法人)の判断で見直せることもたくさんあります

 たとえば、昨年度は1~2ヶ月前後の休校があったのもかかわらず、標準時数(年間の授業時間数で文科省が定めているもの、たとえば中学校は各学年1015単位時間)をなんとしても死守しよう、あるいは、標準よりも多めに授業時間を取ろうという自治体もありました。

災害時等でやむを得ない場合は標準時数を下回ってもいいということを文科省は再三通知してきたのに、です。地域によっては、平日7時間目まで授業を入れたり、土曜授業を増やしたりしました。

 もちろん、各地域で独自な判断はあっていいわけですが、働き方改革や学校の負担軽減という視点で見るならば、学校、教育委員会は自分たちで忙しくしているようにも見えます

 部活動も、少子化により教員数が自然減するわりには、多くの種目等を抱えたままの学校があります。これでは持続可能とは言えませんし、先ほどのツイートのように、やりたくない先生にまで顧問をお願いする事態になっている背景のひとつは、教員数の割には部活が多いという問題があるからです。なお、部活動の顧問になることを学校は強制できません(ざっくり申し上げると、時間外に及ぶ業務を校長は命令できないので)。

 部活の統廃合には多くの反対意見がウチからも(教職員からも)、ソトからも(保護者、地域、議員等からも)、そして当の生徒からも出ますので、とても難しいことである、というのは理解しています。しかし、”嫌われる勇気”をもてず、2~3年もしたら異動になるし、ということで静観を決め込んでいる校長がいたとしたら、校長にふさわしい人物と言えるでしょうか?そんな校長のもとで、子どもたちの問題解決力やリーダーシップは育つのでしょうか?

 また、休日も部活等でつぶれたというのは、文科省に文句を言う話というよりは、学校の方針や分担関係の問題であり、もしくは中体連(日本中学校体育連盟)等の大会のあり方の問題です。

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写真はイメージ写真:アフロ

 先生たちがつらいことやしんどいことをツイートしたり、文科省向けに投稿したりするのは、どんどん進めていいとは思います。ですが、同時に、職場でその悩みについて相談したり、話し合ったりしてみることも必要だ、と思います。

 子どもたちには「主体的で対話的な学び」を進めたいと言っている先生たちに、主体性を発揮する場や対話が決定的に不足しているのかもしれません。

 「それができないから、匿名でツイートしているんだよ」という声も聞こえてきます。

 そこまで厳しい事情の学校もあることは、わたしも、あるいは関係する校長や教育委員会、文科省も踏まえる必要があると思います。

 ですが、「うちの職場では何もできない、動かない」というのは、本当でしょうか?ということも、問わなければなりません。たとえば、研修主任の先生と相談して、校内研修の一コマでも使って、部活動の負担をどうするかを扱ってみてはどうかと思います。

 校長等が聞く耳をもたないということであれば、それは学校の組織マネジメントができていないということでもあるでしょうし、ハラスメントの疑いもあるかもしれませんので、教育委員会に相談してみる話です。

■「大きな文科省」か「小さな文科省」か(※)

 第二に、もともとは、戦前の国家主導の教育が戦争に突き進むことに手を貸したという反省から、日本の学校教育は非常に地方分権を大事にしてきたはずです。

 SNS上にあふれる声やメディアの一部の報道や質問からは、「もっと国がなんとかしろよ」と「大きな文科省」を志向しているように見えますが、本当にその方向がいいのかどうかは、慎重に考えるべきことです。ましてや、国家権力が暴走しないか監視する役割をもつメディアはよくよく注意しないといけません。

(※)政府の役割をどう見るか、「大きな政府」、「小さな政府」という考え方があるので、そこからもじって、「大きな文科省」、「小さな文科省」とここでは呼びます。

 「大きな文科省」の典型例は「GIGAスクール構想」かと思います。国は約4600億円もの予算を投じて、子どもたち一人一台端末(パソコン)の整備等を強力に進めましたし、国の補助があるから、ほとんどの自治体がやっとこさ動いたわけです。

 地方分権の名の下で各教育委員会任せのままでは、同じ義務教育にもかかわらず、ICT教育環境に大きな自治間格差が生じていました。

 また約1年前の休校中、子どもたちの学びをしっかり継続させてほしい、と文科省は各教育委員会等で再三にわたり、行政文書を出してきました。なかには、児童生徒に毎日なにを勉強するか、学習計画表を作るよう働きかけてはどうか、ということで、計画表の例示まで付いた通知を出すこともありました。ここまで細かいことまで、国が首を突っ込むべきなのか、私は疑問でした。

参考記事:学校に「あれやれ、これやれ」と細かく注文を付ける文科省の矛盾【後半】

 一方、国の関与は最低限にしてなるべく、住民に近いところで意思決定すること、つまり自治体の判断を重んじようという考え方もあります。「小さな文科省」とここでは呼んでおきたいと思います。学習指導要領だって、戦後まもなくは試案に過ぎず、法的拘束力はないとされていました。

 学校の働き方改革をめぐっても、何十年も学校の多くにはタイムカードすら設置されていませんでした。やっと、この3~4年で変わってきました。これは、給特法をはじめとした法制度の影響もあることは確かですが、日々の労務管理を担うのは各教育委員会と校長であり、文科省ではないという役割分担の考え方のもと、国はリーダーシップを発揮してこなかった、教育委員会任せにしてきた、という側面もあろうかと思います(「小さな文科省」だった)。

 しかし、これでは埒がアカンということで、昨今は、働き方改革をめぐっても、あれこれ比較的細かいことまで国が口を出す、あるいは予算を通じて政策誘導を図ろうとしている最中かもしれません。つまり、以前よりは「大きな文科省」になりつつあります。

 ですが、こうなると、さらに各教育委員会や学校は、文科省依存や指示待ち体質を強めてしまうリスクもあります。つまり、次のような因果関係が想定されます。

・地方分権の名の下、各教育委員会任せでは、十分に改革、改善は進まない。

・文科省が口を出す(さまざまな行政文書等を出す、法制度で縛るなど)。あるいは補助金等を通じて政策誘導しようとする(例:部活動指導員について補助することで増やす)。

・教育委員会や学校は、国からの支援や指示を待つ姿勢になる。国への依存体質が高まる。

・各自治体、学校で積極的な動きは生じにくくなるので、ますます国の関与は強まっていく。

 この循環が回り始めると(罠にはまると)、おそらく学校の職場環境改善や働き方改革は、うまくいかない結果となる、と思います。

 なぜなら、第一に、文科省の政策が誤ったり、動きが鈍かったりすると、大ダメージを各地が受けることになるリスクを背負います。大学入試改革のドタバタと頓挫でこれは痛いほど、知ったはずです。

 第二に、現実味がありません。全国3万6千校近くあるなか(小中高、特別支援学校等)、文科省が多様な学校を事細かくマネジメントするのは無理です。「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」というドラマの台詞は、現場に近いところで意思決定し、機動的に動いていかないと、うまく進まないことも多いことを示唆していると思います。

 今回、教師のバトンプロジェクトで集まった声を、文科省は省内だけにとどめず、教育委員会や学校法人(私立学校のなかにも問題が山積みのところは少なくありません)とも共有し、各々の役割と主体性を大事にしつつ、どうするか協議等を進めるべきではないかと思います。また、文科省の少ない職員でたくさんの声を整理・分析するのは難しいということであれば、外部委託したり、研究者等にもデータを公開していくべきでしょう。

 まとめます。学校の働き方改革をめぐって、国しかできないこともあるのは確かですし、国の支援が重要なことも確かですが、国の自治体や学校への関与を強めるべきかどうかは、慎重な検討を要します。学校でできることも多いし、学校、教育委員会の国への依存体質を強めては事態はよくなりません。

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