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思い出づくりのためだけなら、修学旅行はいらない コロナ禍で修学の意味を問いなおす

妹尾昌俊教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事
(写真:アフロ)

 新型コロナウイルスの影響を受けて、修学旅行の中止も相次いでいます。たとえば、東京23区と首都圏の政令5市の教育委員会のうち、中学3年は10市区、小学6年は20市区が中止を決定しています(東京新聞2020年9月21日)。

 例年なら、中学校の場合、修学旅行は5月が50.3%、6月が32.3%と定番でした(関東、東海、近畿の2府12県の公立中3,230校が2019年に回答した調査による。全国修学旅行研究協会調査)。秋ごろに延期をした学校でも、新型コロナが収束しないなか、中止を決断するところも少なくありません。保護者も「二度とない機会だから、行かせてやりたい」という意見と「感染が怖いし、中止もやむを得ない」という意見でかなり分かれています。

 こうしたなか、文科省は、以前より可能なかぎり修学旅行を実施してほしい旨を発信していましたが、おととい10月2日には「修学旅行等の実施に向けた最大限の配慮について」という文書を全国の教育委員会等に発出しました。萩生田大臣は同日の記者会見で「修学旅行は子どもたちにとってかけがえのない思い出であり、教育効果の高い活動なので、感染の拡散防止策を適切に講じた上で、ぜひ実施していただきたい」と述べ、既に中止を決めた場合でも改めて実施を検討するよう求めました。

 ほとんどの保護者や若い方にとって、中学校や高校での修学旅行は、なにかしら思い出深いものがあるかと思います。学校生活のなかでひときわ大きなイベントであるわけですが、実は、コロナ前からも、修学旅行にはさまざまな問題が指摘されてきました。きょうは、修学旅行にまつわる問題点を紹介、分析しながら、コロナ禍での修学旅行のあり方について考えたいと思います。結論を先に申し上げると、「たいした『修学』になっていないなら、この機会にやめちゃえば?」とも思いますが、みなさんは、どう考えますか?

(筆者撮影)
(筆者撮影)

■問題1:一部の子を事実上排除して、教育活動と呼べるのか?

 「修学旅行は子どもたちにとってかけがえのない思い出」と文科省(文科相)は言いますけど、そうそう単純な話でもありません。いい思い出になる子も多いでしょうが、そうはならない子もいますし、思い出づくりなんて求めていないという子もいます。

 学校の先生たちに聞くと、修学旅行の意義のひとつとして、「集団生活に慣れること、集団活動の訓練」と生徒指導的な側面を強調する人は多くいます。ですが、そうした大義のもとで、日本の教育で強いとされる同調圧力や画一的な部分(多様性に不寛容な側面)がより露骨に出てきやすいのが修学旅行です。新幹線やバスでの長い移動時間、班別の自由行動、宿での滞在などで、なかなかクラスメイトらとなじめない子にとっては、苦痛な時間が続くこともあります。

 性的マイノリティの子や外国での暮らしの長かった子、あるいは特定の宗教の子にとっては、集団での寝泊まり(いわゆる”男部屋”、”女部屋”)や大浴場、神社仏閣での活動がつらいということもあります。

(写真素材:photo AC)
(写真素材:photo AC)

 また、問題なのは、家計負担の重さです。公立中学校への前掲の調査(全国修学旅行研究協会)によると、5万円台、6万円台のところが多いようです(下図)。公立高校や私立中高だと、もっと高いところも多いでしょう。パック旅行だとこの半額くらいで行けそうですし、かなり大きな負担と言えます。なお、この調査には含まれていない東北など交通が不便な地域では、公立中学校でも10万円近くかけているところもあります。

修学旅行の旅行費用

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出所)全国修学旅行研究協会調査

 生活保護世帯やそれに準じる家庭などで、就学援助を受けている場合には、修学旅行費は支援を受けられます。ただし、就学援助も、旅行会社等に払う旅行代金(交通費、宿泊費、見学料など)が主な対象です(自治体によって多少違いはあるかもしれません)。実際には、このほかに、自由行動のときの食事代やお土産代、おこづかい、旅行バッグなど携行品も必要となります。女の子などのなかには「友達に見せて恥ずかしくないパジャマがほしい」という子も少なくありません。これらの費用は家庭もちです。

 また、ギリギリ就学援助の対象とならなかった家庭の子は、公的な支援が受けられませんから、保護者負担は非常に大きなものとなります。

 2018年に銀座の公立小学校がアルマーニの制服にするということで、話題になりましたね。全部そろえると、8万円前後にもなるということで、贅沢ではないか、とか、一部の子を排除することにつながらないかということが問題視されました。ですが、同じくらいかそれ以上の額の家庭負担を修学旅行では、あちこちの中学校、高校等が課しています。しかも、アルマーニの制服なら持ちもいいでしょうが、修学旅行なら3~5日で使ってしまいます。比較するものじゃない、という意見もあるでしょうが、修学旅行の経済的負担の重さは考えものです。

 次のデータは、前述の公立中学校への調査(全国修学旅行研究協会)で、修学旅行の不参加だった生徒の人数と理由です。もともとの全体の生徒数がわからないので、比率は不明ですが、不登校という理由が圧倒的に多いです。不登校ぎみだった子は修学旅行の参加も難しいというケースが多いということだろうと思います。

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出所)全国修学旅行研究協会調査

 経済的理由で修学旅行に行けない生徒もいます。ただし、これは学校側が回答した調査ですし、不登校またはその他が理由とされているもののなかにも、実際は経済的な理由が大きいというケースもあるでしょうから、やはり、家計負担の重さは無視できないと思います。また、ご案内のとおり、コロナ禍で家計が急変しているところも多いでしょうから、こうした問題は今年、来年、一層深刻になっている可能性が高いです。

 こうしてみると、修学旅行は学校のカリキュラム(教育課程)に位置づいた、原則全員参加の行事ですが、事実上、不登校ぎみの子や経済的な理由が重い子たちを排除している可能性があり、教育としていかがなものか、という点は重く考えないといけないと思います。

■問題2:思い出づくりは押し付けられるものか?

 問題の2つ目は、思い出づくりは、他人や学校から押し付けられるものだろうか、ということです。文科大臣もそういう意味で発言されているわけではなく、結果的に子どもたちの思い出となる行事なので、という意味だと思いますが。

 それに、「思い出づくりや旅行目的がメインならば、なにも学校でやらなくても、気の合う友達と行けばいいじゃないか」という見方もできると思います。学校は旅行会社ではありません。たとえば、ディズニーランドなどの遊園地で遊ぶなら、学校が斡旋せず、家庭で相談して行けばいいし、そのほうが安上がりに済む場合だってあります。修学旅行の意味を改めて問いなおさないといけない、と思います。

■問題3:”修学”になっているのか?

 1点目、2点目の問題とも重なりますが、修学旅行がたんなる娯楽としての旅行ではなく、「修学」になっているかどうかが問われていると思います。

 高校生のなかには修学旅行を「息抜きのようなもの」と言う子もいます。うちの近所の鎌倉には、小中学生たちが遠足・修学旅行で訪れていますが、小町通などでスイーツを食べながら、おしゃべりしている姿が目につきます。それはそれで楽しくていいのですが、果たして学びになっているのでしょうか。鎌倉の歴史や文化財に触れてはいますが、果たしてそこからどこまでの子たちが深く考えたりしているのだろうか、と疑問に思います。定番の京都、奈良への修学旅行なども似た問題を抱えています。

(写真素材:photo AC)
(写真素材:photo AC)

 ちゃんと調査していないので断言はできませんが、おそらく、多くの学校では、旅行会社の企画や提案にほぼ沿うかたちでの修学旅行が実施されています。もちろん、学校側の要望を伝える部分もありますし、先生たちが工夫をこらそうとしている要素もなくはありませんが、学校ごとの創造性はあまり発揮されていないのではないでしょうか。あまりにも普段の教科の学習と離れてしまって、楽しむことと集団の和を乱さないこと、そして安全に帰ってくることにフォーカスし過ぎているように、わたしは感じます。

 実は、修学旅行の歴史をひも解くと、明治期に文部大臣・森有礼が軍事教育の一環として「行軍」を推奨したことが起源のようです。ただし、たんなる軍事訓練ではなく、史跡や地形、植物・鉱物の学習など「学術研究」の側面を含めたものでした(柳沢・福嶋『隠れ教育費』)。

 戦時中、修学旅行が中断された時期もありましたが、戦後の早い時期から復活した地域もあるようです。そののち、新幹線や高速道路などの整備が進むにつれ、修学旅行は全国的に広がっていきました。この動きに呼応して旅行会社らが参入し、現在の姿に近いものとなりました。ところが、戦前には重要視されてきた「学術研究」の側面は薄れてしまい(旅行会社等はその点では素人ですし)、教師の役割は引率・監督業務に傾くこととなり、教師の専門性を発揮する側面は「大きく後退」してしまいました(前掲『隠れ教育費』)。

■もっと深い学びになる修学旅行に

 わたしは修学旅行の指導経験はありません(小~高の教員経験もありません)ので、素人発想のところもありますから、批判などは歓迎で申し上げますが、仮にわたしが修学旅行を担当するなら、たとえば、ディズニーランド(シー)に行ってワイワイやるだけではなく、少子高齢化のもとで、将来的に来場者が減る可能性のあるディズニーリゾートをどうしていけばよいか、考えさせたり、海外のビジネススクールでも優良事例として紹介されることも多いディズニーのサービスの秘密はどこにあるのか考える時間を大切にすると思います。

 あるいは、京都・奈良に行くなら、コロナ禍で外国人観光客がしばらく戻りそうにないなか、どうしていけばよいと思うか、生徒が観光協会らに企画提案するプロジェクト学習をやってみる。あるいは、奈良時代にどうしてあんな大きな大仏をつくる必要があったのか、自分だったら別の方法も含めてどんなことを実施するだろうか、考えてみます。そうしたほうが、漫然と観光名所をめぐるだけよりも、子どもたちの好奇心や歴史等への関心、また思考力、創造力を高める学習になるのではないか、と思います。

 つまり、修学旅行を通じて、どんな問いを子どもたちが立てて(教師の支援もありつつ)、探究しているのか、そこが問われていると思います。

 これまでの修学旅行でも、自由行動やグループ別の行動については、児童生徒も企画していますが、「あのアトラクションに乗ろう」とか「京都の金平糖はここが有名だよね」といった消費的な活動に偏ってはいないでしょうか。貴重な総合的な学びの時間なども、班決めやバスの席順にかなりの時間がとられていたり、ちょこっと訪問先をインターネットで調べる程度の学習になっていたりはしないでしょうか?

 子どもたちがアタマに汗をかくくらい、考えさせる修学旅行が、全国にどれほどあるでしょうか?

■この機会に意味を問いなおせ

 コロナ禍のなかで、修学旅行をするかしないか、おもには安全面の観点から、見直しや検討が進んできました。それはそれで、もちろん重要なことですが、加えて、あれだけの費用と、それから準備等も含めて多大な時間を費やす修学旅行が、果たして豊かな学びになっているだろうかという点、また、一部の児童生徒を排除する影響が大きくなっていないかという点などで、再点検する必要があると思います。

 正直あまり大した学びになっておらず、消費的な要素が強いなら、学校は修学旅行から手を引くのもひとつだと思います。深い学び、ホンモノの学びにできそうなら、感染予防との両立を引き続き模索していくということになると思います。

 学習指導要領を読んでも、修学旅行の実施は必須ではありません。別の校外学習などでもOKです。とはいえ、やはり、日ごろは訪れないようなところで見聞を広げ、ホンモノと触れ、教室ではなかなかできない学びを進めることの意義はあると思います。問題はそうした修学旅行のねらい、目的に照らして、高い「修学」になっているかどうかだと思います。

(参考文献)

柳澤靖明・福嶋尚子(2019)『隠れ教育費』太郎次郎社エディタス (※ヤナギは正しくは別の漢字)

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教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事

徳島県出身。野村総合研究所を経て2016年から独立し、全国各地で学校、教育委員会向けの研修・講演、コンサルティングなどを手がけている。5人の子育て中。学校業務改善アドバイザー(文科省等より委嘱)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁の部活動ガイドライン作成検討会議委員、文科省・校務の情報化の在り方に関する専門家会議委員等を歴任。主な著書に『変わる学校、変わらない学校』、『教師崩壊』、『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』、『こうすれば、学校は変わる!「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法』等。コンタクト、お気軽にどうぞ。

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