教員採用、倍率低下だけが問題ではない ― 本当に心配な3つの問題
公立小学校の教員採用試験をめぐり、競争倍率の低下が大きな話題となっている。
「3倍を切ると質の維持が難しい」などと懸念する報道も多く、たとえば、毎日新聞は、「組織で人材の質を維持するのに必要とされる倍率は3倍とされ、『危険水域』を割った」と報じている(2019年12月23日)。
かつては5~6倍、もっとも高いときには10倍以上あったのに、という不安は、感覚的にはわかりやすい。
だが、それは的を射た議論だろうか。
■倍率低下で、ただちに質低下とは限らない
わたしが調べたかぎりでは、3倍を切ると危険という説は、データできちんと検証されたものではない。おそらくだが、教育委員会等の採用担当者の経験則に基づくものが、どこかで流布してしまった可能性がある。
また、日本社会には、教員にかぎらず、企業等の採用においても、なるべく多くの候補者を集められたほうがよい、という考え方が強い。だが、服部泰宏『採用学』という研究によれば、「エントリー数が多くなればなるほど、候補者の中に優秀な人材が含まれる割合が多くなる」というのは、科学的根拠のない、思い込みに過ぎない。
仮に2人から1人を選ぶとしても、みな優れた受験者なら問題ないはずだ。極端な話をすれば、100人の応募で、100人とも求める人材が応募してくれれば、倍率は1.0だが、非常にコスパのよい採用と言える(成果はあるし、採用にかかるコスト、手間は低いのだから)。
しかも、教員の場合、採用試験を受ける人は全員、教員免許状を保有するか、取得見込みである。大学などがお墨付きを与えたにもかかわらず、仮に質が低下しているというなら、別の課題があるのではないだろうか。
■真に憂慮すべき問題は、倍率低下ではなく、次の3点だ。
第一に、大学等での教員養成が不十分である恐れだ。
改めて、現状をみてみよう。次のグラフは、公立小学校教員の受験者数・採用者数・競争率(採用倍率)の長期的なトレンドである。
<小学校 受験者数・採用者数・競争率(採用倍率)の推移>
出所)文部科学省「令和元年度公立学校教員採用選考試験の実施状況について」
倍率低下にメディア等は注目しがちだが、実は、受験者数はここ10年、20年のあいだ、かなりいることがわかる。倍率がもっとも高かった平成12年(2000年)は、受験者数が46,156人であったが、令和元年度(2019年)の受験者数は47,661人であり、増えている。倍率低下の主因は、定年退職等の増加に伴う、採用数の拡大にあるのだ。
だが、まったく安心はできない。
受験者数は一定数いても、質が変容している可能性があるからだ。もっとストレートに言うと、ぜひ教員になってほしいという、いわゆる「優秀」な人材が応募してきていないとすれば、それは大きな問題だ。
一定規模の受験者数を確保してきた背景にはなにがあるのか。それは、2005年以降、政府の規制緩和で小学校教員の養成を行える大学が急増したことが影響している。
間口が広がった分、かつての受験者ほど学力が高くない学生でも、一定の単位を取れば免許を取得しやすくなった面は否めない。卒業時に学力なり、教員としての資質が付いていれば問題はないのだが、新規参入した大学等のなかには、入学時(入試)の偏差値がとても低いところもある。
もちろん、入試の偏差値でそう断じるのは、乱暴ではある。いくら受験学力が高くても、授業がうまいとはかぎらないし、それに、子どもの気持ちに寄り添える人でなければ、教員としては不向きだからだ。
だが、いまの学校教育では、子どもたちの知的好奇心を高め、深い学びを促すことが求められている。インターネットやAIに聞けば、分かることを教えるだけではダメなのだから。そんななか、教員になる人が、基礎的な学力に不安があり、学ぶ楽しさや探究的な学びのトレーニングを十分に積めていないとしたら、おそらく、教育の質はよくならない。
要するに、採用倍率の低下を嘆く前に、大学等での養成が十分うまくいっているのかどうかが、問われなければならない。
第二に、教職の人気が下がっている問題だ。
トイレに行く暇もないくらいの忙しさ、また、土日も部活動や残業でつぶれかねないなど、過酷な現実を知り、教員を諦めたという声が多く聞かれる。たとえば、教育実習のときに早朝から夜中までかかり、「体が持たない」と教員採用の受験やめた学生もいる(沖縄タイムス2019年11月25日)。
教員の厳しい労働事情が遅々として改善されないので、望ましい人材が企業などへ流出している可能性が高い。
たしかに、令和元年の受験者数は、平成12年と比べたら増えている。だが、ここ数年は受験者数も減少傾向である。受験者数の減少=質の低下とはかぎらないが、「優秀」な人材が来なくなっている可能性は、心配したほうがよい。
第三に、小学校での講師の量的・質的不足を招いている問題も見逃せない。
産休・育休や病気などの休職者の代替要員としては通常、非正規雇用の講師が派遣されるが、従来その多くは採用試験の不合格者が担ってきた。だが近年、採用倍率低下により不合格者が減少。これにより、講師のなり手が枯渇している。
しかも、「産休や病休で欠員が生じたから、講師になってくれませんか」と年度途中で言われても、すでに別のところに就職している人の多くにとっては、無理な話だ。
数・量だけが問題ではない。正規職員に比べて、講師は研修も不足しがちで、質を不安視する声も上がっている。
子どもに関わる仕事である以上、誰でもいいわけはないのだが、いまの小学校現場の多くでは、「猫の手も借りたい」のが実情だ。学級担任が病休等になり、代わりの講師が見つからないので、教頭が授業をしている学校もある。そんななか、「正直、質は多少不安でも、講師をやってくれるなら、欠員のままよりはいい」という判断をするところもあるだろう。
講師の質を選んでいる余裕など、いまの小学校現場にはないのだ。
■倍率低下だけに注目しても不十分。採用前と後の育成にこそ、注目せよ。
さて、倍率低下を受けて、各教育委員会は、教職の魅力、やりがいを発信して受験者を増やそうと躍起である。たとえば、東京都をはじめいくつかの教育委員会は、教員の仕事を紹介するプロモーションビデオをつくって、公開しているし、頻繁に説明会などを開催している。
だが、以上の3つの問題を踏まえると、教育委員会のこうした対応は的外れだし、楽観的過ぎる。現実の見たくないところを直視しているようには思えない。(この批判は文科省に対しても申し上げたい。)
では、教育委員会等には何が必要だろうか。
それは、採用前後の人材育成に力を入れることだ。
もちろん教員は現場で育つのであり、初任者らに対する各学校の支援、役割は欠かせない。だが、現在の学校は指導者も大変多忙だ。とりわけ副校長や教頭が事務作業などに追われ、手が回らない実情がある。その点でも、また教職の人気を取り戻すためにも、学校の働き方改革は待ったなしだし、教育委員会等は教頭の負担軽減等にも一層取り組んでほしい。
さらに、文科省と各大学等は、これまでの教員養成の反省点を検証・改善することが重要だ。大学の授業が教員生活に役立っているという教員は5、6割に過ぎないとの調査結果もある(愛知教育大学等「教員の仕事と意識に関する調査」)。
文科省も各教委も学校も、社会も、倍率が下がったと愚痴を言うだけでは駄目だ。真の問題を捉え、行動していくことこそ、必要だ。
※本稿は、共同通信社に妹尾が寄稿した原稿を加筆修正して掲載しました。