学校も、”あれもこれも”をやめる時【中教審答申はココを読め(2)】

(写真素材photoAC)

本日、国の中央教育審議会(中教審)で、学校における働き方改革についての検討結果(答申)が出た。

前回の記事に引き続いて、「ここだけは押さえておこう」というポイントを解説する。

報道もされている。

中央教育審議会は・・・教員の働き方改革の方策を柴山昌彦文部科学相に答申した。方策の柱は時間外勤務の上限を月45時間とするガイドライン(指針)の順守で、指針ではこれまで自発的行為とされていた部活動指導なども勤務時間として算定するよう改めるとした。

・・・

方策では、これまで学校や教員が担ってきた登下校の見守りなど14業務を仕分けし、勤務時間の縮減策を提示。

出典:毎日新聞2019年1月25日

そもそも、なぜ、こんな動きにあるのだろうか。月45時間残業なんて、部活動指導などをすれば、超えてしまうことが多い。なぜ、こんな”空論”とも批判されることを国は進めようとしているのか。

この疑問については、前回の記事に書いた。短くまとめると、教師の過労死まで起きている以上、教師の命を守ることがひとつ。もうひとつは、過酷な長時間労働のままで教師が疲弊しては、授業や教育活動の質を下げ、子供(児童生徒)のためにもよくない、ということを重く見た動きである。

前回記事:教師の長時間労働は子供のためにならない!【中教審答申はココを読め(1)】

参考記事:【学校の働き方改革のゆくえ】なぜ、教師の過労死は繰り返されるのか

残業時間の上限を定めるだけでは当然ダメ

ヤフーニュースのコメント欄にもあったし、実際、わたしが多くの学校を訪問して聞くのは、こういう残業時間の目標や上限を定めるだけではダメだ。

ダイエットにたとえるなら、60キロくらいまで痩せたいな、といった目標や意気込みだけでは不十分である。運動したり、食事に気を遣ったりする必要がある。

つまり、学校や教師の仕事を大きく見直して、精選していくことが必要だ。今回の中教審の答申は、賛否あろうが、非常に具体的なことまで書いている。p31の注67はこうだ。

学校としての伝統だからとして続いているが,児童生徒の学びや健全な発達の観点からは必ずしも適切とは言えない業務又は本来は家庭や地域社会が担うべき業務(例えば,夏休み期間の高温時のプール指導や,試合やコンクールに向けた勝利至上主義の下で早朝等所定の勤務時間外に行う練習の指導,内発的な研究意欲がないにもかかわらず形式的に続けられる研究指定校としての業務,地域や保護者の期待に過度に応えることを重視した運動会等の過剰な準備,本来家庭が担うべき休日の地域行事への参加の取りまとめや引率等)について大胆に見直し・削減してこそ,限られた時間を授業準備に充てることができ,一つ一つの授業の質が高められ,子供たちが次代を切り拓く力を真に育むことにつながると考えられる。

出典:中教審答申(働き方改革)
(筆者撮影)
(筆者撮影)

学校の”慣性の法則”にあらがう

この注については、様々な意見、批判もあろうが、みなさんの(勤務する、あるいはよく知る)学校ではどうだろうか。

わたしが教職員研修や保護者向け講演のなかでよくお話ししているのが、働き方改革は、”慣性の法則”への挑戦である、ということだ。

慣性の法則とは、理科で昔習ったと思う。ざっくり言うと、止まっている物体は止まったままで、動いている物体は、力を加えなくても動き続けること。学校には、前例、伝統、先例というのが多くある。一度よかれと思って始めたことが、その所期の目的を達成したあとでも続いていないだろうか、あるいは、前からやっていたことだから、わたしの代で急にはやめづらい、と言うことで、続いていることはないだろうか。スクラップ&ビルドは苦手で、ビルド&ビルドとなっているのではないだろうか。

そんな問いかけとして、この注は読んでほしい。この注以外の例もけっこうあると思う。今回の働き方改革の答申は、ひとつの機会、踏み台として、学校の”慣性の法則”を脱する作戦をねるべきだ。

今回の答申はある意味、スタート、再出発に過ぎない(写真はphoto AC)
今回の答申はある意味、スタート、再出発に過ぎない(写真はphoto AC)

とはいえ、この注の書き方や上記のわたしの解説は、やや一面的かもしれない。

多くの学校の現実としては、大した効果もないのに、前例踏襲で続けているものが多いのではない。むしろ、子供たちのためになっているので続けている、というものも多い

たとえば、夏休み中のプール指導だって、土日の部活の練習だって、子供たちが泳げるようになったほうがよい、その部活をうまくなってほしいという思い ― 児童生徒と保護者の思い、そして教師の思い ― があって続いているケースも多いと思う。高校などの補習や模試で土日出勤する教師も、生徒の希望する進路を実現させて

やりたいという気持ちがあってなのだろう。

「子供のためになる」、「教育効果がある」というのは悪魔の言葉である。これで多くの教師は仕方がない、やりましょう、続けましょう、となりやすい。

※関連することは、内田良先生の『教育という病』にもあるし、拙著『「先生が忙しすぎる」をあきらめない』、『先生がつぶれる学校、先生がいきる学校―働き方改革とモチベーション・マネジメント』でも解説している。

学校の風景(筆者撮影)
学校の風景(筆者撮影)

”温泉理論”で考える

児童生徒のためになる、教育効果があるということで、学校はすぐゴーサインを出したり、やめらなかったりするのだが、これは間違っている。

またまた、たとえ話となるが、温泉旅行で考えると分かりやすい(遊び心で“温泉理論”と呼んでいる)。

いま皆さんは旅をしている。今日はあと半日だ。道中に、とてもいい温泉が4つ、5つあるとしよう。

この湯は、肩こりに効くとか、病気が治る、美容によいなど、それぞれの湯に効用がある。どの湯もすばらしい。だが、半日に4つも5つも温泉につかったらどうなるだろうか?

のぼせてしまう。

つまり、効果だけを強調して意思決定したり、運営したりするということでは不十分だし、危険だ。負担や時間のことも考えなければいけいない。こんな当たり前のこと、基本的なことは、旅行をするときなら理解できる。だが、なぜか、学校現場や教育行政のこととなると、「子供のために」という思いや声で、負担や時間を考慮する重要性がかき消されてしまう。

現実には、いまの学校はのぼせている、と言うと大変失礼な表現だと思うが、その傾向もあるかもしれない。これは文科省も大いに反省するべきだ。小学生でも毎日6限目も授業をして、加えて、行事の準備も熱心、課外活動で陸上や水泳の練習もやる。宿題もけっこうな量あるなど。子供たちにとっても、教師のとっても、過重負担となっているのではないかという見直し、検証はもっと必要だと思う。

子供のためになると、欲張りを言うとキリがない。水泳でしっかり泳げるようにしたいと言うと、正規の体育の時間よりもはるかに多くの練習をしようとなる。英語を流暢にあやつれるようにというと、いまの英語の時間では足りないという話になるかもしれない。つまり、ほとんどのことが教育効果はある程度はある。時間は有限なのだし、教師などの人材も限られた数なのだから、教育効果のあるもののなかから選んでいくことが必要だ。

”あれもこれも”から卒業する時

今回の学校の働き方改革の意味は、子供のためになることのなかから、あれもこれもと欲張り、消化不良や過労になるのではなく、優先順位を決めていくことだ。