【学校の働き方改革のゆくえ】教師の仕事はやりがいがあるからといって、それでよいのか?

昨日行われた中央教育審議会資料(筆者撮影)

教師の仕事にやりがいがあるかないかが、本当に問題なのか?

昨日(2018年11月13日)、国の審議会(中央教育審議会、中教審)で学校の働き方改革について意見交換した(ぼくも参加している)。審議はもう終盤戦。いろいろな角度から話やアイデアが出たが、特に印象深かったのは、多くの委員が次のことを述べたことだ。

●学校が”ブラック”だと言われ、教員志望者が減っている。

●教師の仕事の魅力、やりがいももっと発信していくべき(答申という最終まとめでももっと強調するべき)。

誤解をしてほしくないが、やりがいがあるからと言って、教師の長時間労働が問題なしと言っているのではない。さすがに19回も会議してきたのだし、学校の長時間労働が大変深刻であるとの認識で一致しているとは思う。だが、おそらく、聞いている人の中にはそう誤解しても不思議でないくらい、教師の仕事の魅力を強調される方は多かった。

実は似た議論は、ぼくはスポーツ庁で運動部活動のガイドラインをつくる有識者会議でも経験している。毎回と言ってよいほど、部活動の魅力や教育的意義を強調される委員は多かったし、最終回でも、次の趣旨を発言された委員もいた。

●部活動改革をやりがいに感じている教師の熱意を下げるような部活動改革であってはならない

この手の指摘、意見には、少なくとも3つの注意するべきことがある。

論点1:本当に教師はやりがいを感じているのか?

国や教育委員会が実施した調査では、教師はやりがいを感じているとの回答は多い。

※やりがいやモチベーションの定義にもよると思う。アンケートは簡易に実施できるが、それでどこまで真相に迫っているかはクエスチョンだ。だが、この問題はいったん置いておく。

子どもの成長に接している以上、ある程度はやりがいを感じるのは、自然なことでもある。

だが、なかにはやりがいを感じていない、ネガティブなほうが強い人もいる。この事実を過小評価してはいけない。

また、やりがいを感じられない人は少数派かもしれないが、そうした声を教育委員会幹部(教育長ら)や校長といった、これまでやりがいを感じて仕事ができてきた、いわば勝ち組の人たちは、ちゃんと聴いているのだろうか。言いづらいことは、キャッチしづらいし、届きづらいものだ。

国の審議会(中教審)でも、委員の多くは校長会や教育長会などからの代表者であり、バイアスが強い側面はある。部活動の審議会の委員の多くも、アスリートまたは部活動指導者として顕著な実績をあげてきた人たちだ。自分は一部の景色だけ見ていないか、という問いかけは、ぼく自身も含めて、強く留意するべきだろう。

写真素材:photo AC
写真素材:photo AC

論点2:仮にやりがいを感じているとしても、だからといって、過労死ラインを超えるほどの長時間労働は大問題だ。

昨日の審議会でもぼくはこう述べた。

教職の魅力ややりがいを強調されるのは結構なことだが、各種調査によると約9割の教師がひどく疲れたと言っている現実がある。

つまり、いくらやりがいがあっても、心身を害するほどやるべきではない。当たり前の話だが。

それに、いくらやりがいがあっても、労働環境が劣悪では、仕事、職場としての総合的な魅力は決して高いとは言えない。拙著でも、「働きがいがあり、かつ、働きやすい職場」に学校をしていくべき、と書いた。多くの学校は、一部の熱血教師にとっては働きやすいが、介護・育児等を抱える人には働きにくい。

加えて(時間がなくて発言できなかったが、)次のことも考えたい。

「やりがい搾取」という言葉もあるとおり、教師のやりがいや教育上の意義を強調するあまり、無償労働を強いている部分が学校にはある

たとえば、清掃指導は典型例と言えるかもしれない。

おそらく、どこの市役所や県庁でも、職員は掃除していない。それは業者なりに委託しているのが通常だ。

だが、学校は、清掃にも教育的な意義があるということで、教職員と児童生徒の無償労働を強いている(外注予算を付けていない)。ある市ではやっと今年になって、プールの大掃除を民間委託できるようになった。これはかなり教職員の負担軽減になり好評だったそうだが、そもそも今までがおかしかったのだ。

※もちろん清掃指導の教育的な意義はあるので、やめるのがよいとは限らない。場合によっては道徳や防災教育の一環としてやってもよいだろうと思う。だが、予算が付いていない中で、現実的には学校に選択肢を与えていないのは問題だ。

やりがいがあるからといって、現状を正当化することにはならない。学校も教育行政も、ブラック企業の構造と共通する部分を感じるのはぼくだけだろうか?

論点3:やりがいを感じているからこそ、注意しないといけない。

部活動でも、宿題等への丁寧な添削でも、行事でもそうだが、やりがいや喜びを感じている教師ほど、自分ではストップをかけられない。楽しいし、児童生徒、それから保護者等からも喜ばれるのだから。学校の長時間労働の背景、要因として、やりがいを感じて、よかれと思って仕事を拡大した事実に目を向けるべきだ。

先日、文化庁で文化部活動のガイドラインをつくる審議会にも参加した。そこで妹尾が発言したことも同じ内容だ。

なぜ部活が過熱化し、国のガイドラインなどが必要なのかと言えば、大きくは2つあります。

一つは競争しているからです。よその学校がもっと練習しているのだったら、うちもコンクールで優勝するためにはという競争原理が働きますので、もう少し抑制したいと思っても自分たちだけでは抑制しにくい部分があるということです。

もう一つの理由は、委員の皆さんが強調されているとおり、文化部活動も含めて部活動が非常に教育的意義もあって素晴らしいからこそやめづらいのです。これは教師にとっても、生徒にとってもやりがいがありますし、やったらやったで成長しますので、自分たちではなかなかストップがかけられません。こういう逆説的な部分の理由で、自分たちだけでは難しいし、学校単位だけでも難しい。

出典:文化部活動の在り方に関する総合的なガイドライン作成検討会議 第三回での妹尾の発言要旨(2018年11月1日)

以上3点から、教師のやりがいや教職の魅力に目を向けすぎることには注意を要する。

多くの委員は、それだけ、いまの教師不足や採用倍率低下を心配しての発言だっただろう。そこはよく共感できる。

だが、だからこそ、やりがいばかりを強調してはダメである。

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