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校長のビジョン、思いは思った以上に伝わっていない(カリキュラムマネジメントを具現化する校長の役割)

妹尾昌俊教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事
(写真:アフロ)

※全日本中学校長会機関誌中学校775号に寄稿した拙稿「カリキュラムマネジメントを具現化する校長の役割」を一部加筆修正のうえ、転載します。

(校長会の了承は得ています。)

■抽象論だけのカリマネではダメだ

新しい学習指導要領の目玉は何か。そのひとつは、間違いなく「カリキュラムマネジメント」(以下、カリマネ)だろう。先般確定した高校の学習指導要領でも、この言葉はもちろん登場する(650ページもあるなかの最初の4ページ目にまず出てくる。小学校、中学校もほぼ同じ文章)。

各学校においては,生徒や学校,地域の実態を適切に把握し,教育の目的や目標の実現に必要な教育の内容等を教科等横断的な視点で組み立てていくこと,教育課程の実施状況を評価してその改善を図っていくこと,教育課程の実施に必要な人的又は物的な体制を確保するとともにその改善を図っていくことなどを通して,教育課程に基づき組織的かつ計画的に各学校の教育活動の質の向上を図っていくこと(以下「カリキュラム・マネジメント」という。)に努めるものとする。

出典:高等学校学習指導要領p4

しかし、こう説明されても、どうもわかりづらい。中教審(中央教育審議会)の答申等でも、研究者の解説を読んでも、抽象度が高い。

おそらく、かなりの数の校長にとってはPDCAサイクルといった考え方は一応分かるけれど、具体的にカリマネでどんなことに留意したらよいのか、どこから手を付けたらよいかなどは、はっきりしないのではないだろうか?

カリマネは幅広い概念なので、これだけが正解ということではないと思うが、本稿では具体例をもとに考えてみたい。

(※)少しPRとなるが、拙著『思いのない学校、思いだけの学校、思いを実現する学校―ビジョンとコミュニケーションの深化』でも、具体的なケースをもとに学校運営の課題や取り組むべきことを詳しく考えられるようにしている。

では、具体例を読みながら、考えていこう。

 市立山田中学校長の川田(男性、56歳)は、読書好きである。最近もAI(人工知能)やIT技術についての書籍を何冊か読み、中学校の段階で子どもたちに何をしておけばよいか、改めて考えたいと感じていた。山田中は落ち着きのある、ごくありふれた学校だが、多くの生徒はおとなしめで、あまり自分の意見を述べたりはしない。従順な子が多く、ともすれば情報や他人の意見に流されやすい部分もあると感じていた。

 このような問題意識から、新学習指導要領への改訂も視野に入れて、「主体的・対話的で深い学び」をすべての教科、学年でやっていこうと教職員に呼びかけていた。年度当初の学校経営計画にも記述した。

 

 川田は時間があれば授業を観に行くのだが、先日はやや戸惑ったことがあった。同じ3年生の社会の授業で、教員によってまったくちがっていたからだ。1~3組を担当する住田(女性、34歳)は、民間の研究会にも参加するくらい熱心だ。先日の授業は江戸時代について。かつては「鎖国」と呼ばれていたが、一部の港に限って交易は行っていた。「あなたなら、どの港をどういう理由で開くか」というテーマで、4~5人の生徒で話し合い、グループ間でも議論するというもの。思考力が試されるし、地理の知識も活用できる興味深い授業であった。

 

 他方、4~5組を担当するベテランの林(男性、58歳)は、独自の穴埋め問題のあるプリントを用意して、生徒の知識の定着を図るものであった。

写真素材:AC
写真素材:AC

 川田の専門は国語であり、歴史は教えたことはないのだが、考えさせられた。林の授業が必ずしも悪いというわけではないし、住田のスタイルよりも授業ははるかに効率的に進む。だが、いつもこのような指導・学習方法ばかりでは、歴史は暗記科目という印象を生徒に与えてしまう。

 川田は先日もある本に「日本の学校教育は従順さを伸ばそうとばかりしている」という内容を見つけて、ハッとしたことを思い出した。林の授業は、インターネットやAIが得意なことで、それらに代替されかねない力の習得に力を入れ過ぎではないか、と思えてきた。

【問い】

1)山田中学校の学校運営と授業実践について、カリキュラムマネジメントという観点から、問題点や課題を述べなさい。

2)今後、川田校長はどのようなことに取り組むべきだと思いますか。

(自分なりの回答を考えたあとで、以下の解説をお読みください。)

写真素材:AC
写真素材:AC

■あなたの思い、ビジョンは思ったほど伝わっていない

あなたも校長なら、ビジョン・目標を立てて、それなりに職員会議等で説明した、学校経営計画など紙に落としたことだろうと思う。とくにこの4月はそうだ。力を入れて話をしたという校長もいることだろう。

しかし、それらだけでコミュニケーションした気(“つもり”)になってはいないだろうか?

自分が思うよりも、ビジョン・目標は伝わっていない。わたしが2012年に関わったプロジェクトでは、390人の教職員(対象は複数の高校)にアンケートを実施した。「学校のビジョンや経営目標は、私にとって納得の高いものとなっている」については、管理職の9割以上が肯定的な意見だった(自分が作成したものだし)のに対して、非管理職の教員では約1割が「あまりそう思わない」、約4割が「どちらともいえない」と回答していた。

別のデータをあげると、千葉県佐倉市教育委員会が2008年に市内の小中学校の教職員にアンケート調査を行ったところ、「職員が学校教育目標の具現化を意識して教育活動に取り組めるよう指導しているか」について、校長・教頭(N=69)の92.8%が「とてもしている」、「おおむねしている」と回答したものの、教諭・講師(N=628)では、「あらゆる教育活動において,学校教育目標の具現化ということを意識しているか」について同様の肯定的な回答は61.9%にとどまった。

今回のケースに戻って考えてみよう。川田校長の問題意識やビジョンは、十分に教職員に伝わっていたと言えるだろうか?そうは言えまい。同じ3学年社会であっても、担当する教員によってあまりにも授業の力点や方向性がちがっているからだ。

■学校のなかの「壁」

多くの中学校等の現状を観察すると、さまざまな見えない壁があるように思う(図)。

図 学校のなかにそびえ立つ見えない壁

画像
  • 教科の専門性を尊重するために、教科横断的な視点での推進がむずかしくなっていないか?(教科の壁)
  • 「よその学年のことは知らない」とまでは言わなくても、自分にはあまり関係ないと感じていないか?(学年の壁)
  • うちのクラスは落ち着いた雰囲気にしよう、うちのクラスは学級崩壊にはさせまい、という気持ちが強く、隣のクラスのことや連携は、考えられているだろうか?(学級の壁)

ここまではよく言われていることかと思う。わたしが多くの学校を訪問して、感じる壁はまだある。

ひとつは「職の壁」。「これは教員にしか分からない」とか「管理職でもない一般の教諭からは校長に直接意見を言い出しづらい」、「事務職員はここに口を出すべきではない」などといった意識の壁だ。

もうひとつは、「個々人の壁」である。優れた実践事例などを聞いても、「あの人ほど自分はできっこないな」、「あの人は特別な才能があるから、あんなすごいことができるんだ」などと感じるのは誰にもあることだと思うが、自分自身で限界値や枠を設定し、それに囚われているのでは、ある意味で思考停止となり、成長は止まってしまう。

 

今回のケースを分析すると、おそらく山田中のなかには見えない壁が高くそびえ立っている。もちろん、個々の教師によって、様々な教育観はあって然るべきだし、授業実践のちがいもあるだろうし、それぞれの総意工夫もあってよい。しかし、あまりにも方向性や重点までバラバラということでは、あちこちの方向にひとつのボートを同時に漕ごうとするのと同じで、前に進まないのではないか。

それに、昨今は教員の多忙が大きな問題となっている。限れた時間と労力を、効果のあることに組織的に振り向けていくべきだ。

■教科や学年、個々人をつなぐカリマネ

カリマネとは、こうした学校のなかの様々な壁を越えていくためのものである。つまり、教科の間をつなぐ、学年や学級の間をつなぐ、さらには授業改善等に前向きな人もやや後ろ向きな人などもいるなかで、個々の教職員をつなぐものが、学校のビジョンであり、カリマネである。

ましてや、教育課程についての計画や届けを、昨年のものから少し修正して出したらそれでよい、というものではない。それでは、場当たり的に形だけを整えている「仮マネ(仮そめのマネジメント)」である。

本ケースでは、川田校長はAI等が便利になる時代にどのような資質・能力を高めることが必要なのか、もっと具体的に言葉を砕いて教職員と話をしていくべきだった。そして、林教諭らからの疑問、たとえば「受験対策としては効率的に知識を伝達したほうがよい」とか「じっくり考えさせる授業をやっていては教科書を終えられない」といった声に耳を傾け、どうしていけばよいか、共に考えていくことだ。

もっとも、校長がなんでもかんでもアイデアを出していく必要はない。教職員の気づきや思いを引き出していくことも大事であり、しっかり議論できる場をつくっていくことが校長の役割としては重要である。具体的には、教科会や学年会、校内研修等を今回検討したような問題意識で議論する場としていくことだ。

その際、校長の姿勢としては、教科、学年、職、あるいは年齢などを気にして「こんなこと私が言ってもいいのかな」と遠慮する必要はない、どんどんアイデアや意見は出していこう、と呼びかけることだ。

言うまでもなく、新学習指導要領のもうひとつのキーワードは「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」だ。主体的に対話していくのは、まず教職員の間で、しっかり実践してほしい。そこから、AIなどでは代替できない、もっと面白い学校教育になっていくと思うのだ。

教育研究家、一般社団法人ライフ&ワーク代表理事

徳島県出身。野村総合研究所を経て2016年から独立し、全国各地で学校、教育委員会向けの研修・講演、コンサルティングなどを手がけている。5人の子育て中。学校業務改善アドバイザー(文科省等より委嘱)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁の部活動ガイドライン作成検討会議委員、文科省・校務の情報化の在り方に関する専門家会議委員等を歴任。主な著書に『変わる学校、変わらない学校』、『教師崩壊』、『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』、『こうすれば、学校は変わる!「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法』等。コンタクト、お気軽にどうぞ。

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