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暴力による「心の支配」 虐待とDVとを連携させるために必要なこと

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
写真はイメージです(写真:ペイレスイメージズ/アフロ)

 千葉県野田市立小学校四年の栗原心愛ちゃんの虐待死事件で、暴行した父親だけでなく、母親も「傷害ほう助」の罪で逮捕・起訴された。ネットなどでも「母親なのに子どもを守れないとは」と批判が渦巻いた。しかし、はたして母親を逮捕する事案だったのだろうか。母親は父親からDV(配偶者などへの暴力)を受けていた。DVの構造や対応の観点から、事件の教訓を考えてみたい。

 まず、DVには特殊な構造がある。物理的な暴力だけが注目されがちだが、その本質は心の支配だ。暴力や暴言が繰り返されれば、被害者は恐怖とあきらめによって心身ともに抵抗する力を失う。そうなれば、加害者は直接手を出さなくても、舌打ちひとつ、表情ひとつで相手をおびえさせ、従わせられる。やがて被害者は正常な判断力や行動力を失ってしまう。だが、この精神的暴力の重大さはあまり知られていない。

 心愛ちゃんの母親は、日常的にわが子への虐待を見せつけられ、止められなかった。そのように父親に「子どもへの虐待」に強制的に参加させられたことが、母親への精神的暴力とみることもできるだろう。

 DV被害者が子どもへの虐待を止めようとすると、自分まで加害者に暴力を振るわれることはあり得る。さらに「虐待を止めようとすれば加害者が怒り、子への暴力がますます激化する」と恐れ、逆に虐待に加担することさえある

 こうしたDVの特殊性をふまえた上で、父親以上に母親が責められるとすれば、「母親なら命がけで子を守るはずだ」という「母性神話」に基づく非難だとしか思えなくなってくる。

 この事件では、一家が以前住んでいた沖縄県糸満市に、母親の親族からDVの訴えがあった。その段階で行政が介入し、うまく母子を逃がすことができていれば、心愛ちゃんは死なずにすんだかもしれない。

 この事件のように配偶者に暴力を振るう加害者が、同時に子どもを虐待しているケースは珍しくないが、「児童虐待」と「DV」を扱う行政担当は別々。法律も児童虐待防止法とDV防止法に分かれ、うまく連携が取れていない。そのため政府は今国会に、「虐待事件においてDV関連機関との連携を強化する」という内容を盛り込んだ児童虐待防止法と児童福祉法の改正案、DV防止法の改正案を提出する見通しだ。

 その「連携強化」の実現のためにも、まずは児童相談所にDVの専門家を配置することを強く望みたい。児童相談所が、専門ではないDVを見逃し、対応できない危険性があるからだ。

 一方、DV防止法に規定された「暴力」の定義と運用に、確実に「精神的暴力」を明記する必要がある。今回の事件でいえば、DVを受けた母親が娘を連れて逃げ、父親の接近禁止命令を求めたとしても「生命又は身体に重大な危害を受けるおそれ」が大きくないと裁判所に却下された可能性が高い。日本ではそうした保護命令の審査があまりに厳格で、被害者保護の視点が薄い。「暴力的な支配関係がある」と訴えても、「精神的暴力」で保護命令は出ないからである

 アメリカでは一時的な保護命令は、裁判所が24時間対応して出す。州により、その期間は1週間や1か月とさまざまであるが、たいていのケースでとにかく出す。「暴力には即座に対応する」という安全性を重視した方針が、徹底していると感じる*。

 将来的には「DV」と「児童虐待」を、包括的に「家族の暴力」として一体にとらえ、対応する法整備が必要ではないかと考える。どうしたら心愛ちゃんが亡くならなくて済んだのか、残された私たちには考え、社会制度を整えていく義務がある。

(「虐待防止 DVの観点を」4月3日、東京新聞掲載記事 *の部分を追加しました)

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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