女子高校生をバッシングしてはいけない―貧困のわかりにくさ

(写真:アフロ)

子どもの貧困問題を扱ったNHKのニュース番組で体験を語った女子高校生について、インターネット上で「貧困ではない」「捏造だ」と批判する書き込みが相次ぎ、自民党の国会議員がNHKに釈明を求める騒ぎとなっている。ネット上には住所などとともに女子高校生の容姿を中傷する書き込みまでされ、人権侵害が懸念されているという(「貧困女子高生」に批判・中傷 人権侵害の懸念も『毎日新聞』)。

報道の責任についての議論は、水島宏明 さんの”貧困女子高生” 炎上の背景に報道側の配慮不足とネットの悪ノリに詳しい。その通りだと思う。

しかしネットでのバッシングを見るにつけ、「貧困」の理解のされなさに思いを馳せる。女子高生がSNS上で、1000円のランチを食べていたりとか、何度もコンサートに足を運んでいるとか、そういった生活の楽しみかたと、たった50万円の入学金が用意できずに専門学校に進学できないという将来の不透明性は、まったく矛盾しないと思う。「貧困」とは、「貧困」にいない人から見ると、理解されにくい。

例えばきわめて貧困の状態にいるひとには、贅沢病のイメージがある糖尿病の確率がむしろ高いことが知られている。 政治家の麻生太郎さんは、「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているやつの医療費はおれたちが払っている。公平ではない。無性に腹が立つ」と発言したという。しかし食事を不規則にしかとることができず、なおかつ食事のときには、野菜などを摂らず、効率よく高カロリーのものを摂取しようとする食事のパターンは、糖尿病を引き起こしやすい。貧困者が太っているのは、贅沢でも何でもないのだ。

現代の日本で、子どもの6人に1人は貧困状態にある。くだんの女子高校生の生活は、その6分の1に入る生活としては、十分ではないか。まさか「貧困」を主張するひとは、たかが1000円のランチも楽しまず、つねにお粥をすすれとでもいうのだろうか。せめてほかの同世代の若い子たちと同じようにささやかな生活を楽しむことは、許されないのか。

ここからは一般論になるが、貧しい生活をしているひとたちのなかには、将来のために貯蓄せずに、びっくりするような不用品や贅沢品を無計画に購入するひとがいる(断っておくが、くだんの女子高生がそうであるというのでは決してない。しっかりした女子高校生だ)。将来の見通しが立てられる人から見れば、そのお金をなぜ貯めておいて、将来に投資しないのだと思うのだが、そもそも将来の見通しが立たない生活をしていれば、そのことに思い至れないのだ。

生活保護者がパチンコをすることに対するバッシングがあるが、彼らの立場に立てば、それはまた理解可能である。そもそも生活保護費は、基本的には貯蓄することすら、許されてはいない。そうであれば、「ここで儲けて、ばーっと一発逆転したい」と思うようになるのは当然ではないか。私から見れば、長時間ずっとパチンコ台の前に座るなんて、なんという「労働」だろうかとゾッとするのだが、パチンコをしている間は、いろいろなことを忘れられる。一発逆転という「夢」を買うのだろう。

アメリカ滞在中に入院をしたことがある。アメリカの医療費は高額であり、1泊すれば軽く10万円はかかる。同室の白人のおばあさんたちは、皆ヒスパニック系の移民の若い女の子を身の回りの世話のために雇っていた。

「将来はどうしたいの?」と聞くおばあさんに、「宝くじを買いたい」と訛った英語で答える女の子。「え?」。「宝くじを買いたい」。何度も聞き返しても、おばあさんは聞き取れない。おそらく周囲に宝くじを買うような人たちがいないから、想像も及ばばないのだろう。

合理的にみれば、ほとんど回収できる確率はない宝くじに高額のお金をつぎ込むのであったら、貯蓄をしたり、他のものを買ったりしたほうがいい。でもアメリカでは、貧困層は多くの人が宝くじを買う。「夢」を買っているのだ。

日本でも、コンサートやライブに行っているひとたちのなかにももちろん、裕福ではないひとたちが多くいる。とくに彼女たちをみていると、それだけが日々の生活を支える「夢」であり、労働する理由であったりするのだ。それを責められるひとは、どこにいるのだろうか。

ましてや政治家が、「NHKに説明をもとめ、皆さんにフィードバックさせて頂きます!」放送の内容に介入しようとするとは驚きである。そもそもその政治家自身が、政治資金の不正使用の疑いを指摘されていたのではないだろうか。それほど放送はされなかったようであるけれども(「元夫・舛添氏罵った片山さつき氏 政治資金で自著1900冊購入」)。