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菊池桃子さんが提起して、裁判までもが起こっているPTA加入の任意性について

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
PTAに加入しないと、子どもが仲間外れにされる?(写真:アフロ)

少し前の話だが、タレントの菊池桃子さんが、「学校のPTAは、入っても入らなくてもどっちでもいいはずなのに、全員参加の雰囲気がある」という発言を「1億総活躍国民会議」でしたそうだ。なんとなく触れにくい雰囲気のあるPTA問題について発言してくれたということで、大きな反響と共感を呼んだ(菊池桃子さん「PTAは任意」 発言に広がる共感なぜ?)。

最近の話では、大阪の私立の中高一貫校に娘を通わせている父親が、保護者会を退会したために長女が中学の卒業式で一人だけコサージュをもらえず、精神的苦痛を受けたとして、保護者会と同校事務長に計2万円の損害賠償を求める訴えを堺簡裁に起こした。コサージュの実費を負担すると申し出たのに、承諾されなかったのだという。父親は「保護者会に入るかどうかは個人の自由なのに、学校行事で子供が疎外されるのは納得できない」と言い、保護者会の会長は「会の活動に協力しないのに、賛同するものだけ実費負担すると言われても受け入れ難い」と反論している(堺・私立中「保護者会退会で娘が疎外」父、賠償求め提訴)。

それよりも前に熊本でも、PTAの加入の強制性をめぐる裁判*が行われている。地裁の判決でPTA加入の任意性は確認されたものの、加入の承諾はされていたといって敗訴している(原告は控訴)。その過程で問題になったものやはり卒業式のコサージュ代と会費をめぐってのことであり、裁判官は「あなたはPTAに入らない選択をされたわけですから会員が受けられる恩恵をお子さんが受けられないのは、当然じゃないですか」と発言したという(PTAと学校問題を考える会 熊本PTA裁判原告オフィシャルブログ)。

PTAの加入という親の問題を、子どもの卒業式での、いわば「仲間外れ」に転化している点で、大人げなく、やりきれなさを感じる。仮にも教育現場で行われるべき行動ではなかったのではないだろうか。実費を負担すると言っているのだから、大阪の場合は同じコサージュを買ってあげてよかったはずだし、熊本のケースはコサージュを盾にPTA加入を迫るのはどうかと思う。

こういったPTA加入の任意性の問題は、労働組合活動にも似ている。職場で労働組合の加入はもちろん任意である。組合員は組合費を払い、ヴォランティアで活動するが、その恩恵を受けるのは、労働組合に入っていない社員(多くの場合正社員のみであるが)全体である。いわば「ただ乗り」が起こっているのだが、組合員はそれでも自分たちの利益を代表する権利を持つことを優先して、文句は言わない。PTAの場合に問題があるのは、会員がPTAの活動自体に組合活動ほどの意義を感じておらず、「ただ乗り」に対してずるいという感覚があるからだろうか。

もしもPTAの加入の任意性が徹底され多くの会員が抜けたとしたら、困るのは行政だろう。コサージュはさておき、実際には公的な資金から捻出されるべき費用が、PTA会費という名目で保護者から出され、物品購入などがされているからである。PTA会費の問題は、日本の公教育予算があまりに貧弱だという問題とも連関している。しかも会費は一律であるため、低所得者のほうに相対的に負担感が重くなる。

こうしたPTAの会費問題を、アメリカでは寄付や寄贈で解決しているという指摘もある(例えば、「PTA問題・第5弾 会費の不明朗な使い道」『AERA』2014年8月4日号)。出せる者は多く出す。そうでない者は気持ちだけ。いっけんよい解決法とも思えるのだが、寄付の額が不公平な扱いを生まないと断言することができるだろうか。アメリカでは、大学には多額の寄付金を収め縁故がある子弟は、学業成績が振るわなくても入学させるという制度すらある(レガシー入学制度)。公平な生徒の扱いを担保するためにも、学校の運営にかかわる予算は、できるだけ公的な支出で賄うのが望ましい。

裁判という性質上、PTA会費がどうしても焦点化しがちであるが、PTA問題の本質は、任意加入かどうかではなく、その活動のあり方であろう。PTAの任意性を主張するひとも、強制的に一律に活動させられる現在のPTAのあり方に対しての問題提起だろう。PTA会費そのものは決してそこまで高額でもないからである。菊池桃子さんが問題にしていたのも、「なかなか働くお母さんたちにとっては、PTA活動っていうものが難しい」ということであった。

PTA加入の任意性が認められて、皆が入会を辞めてPTA活動がなくなったら、問題解決だとはとても思えない。「働くお母さん」でも暇をつくれるひともいれば、専業主婦でも手があかない事情のあるひともいるだろう。PTA会費ではなく、PTA活動こそ、できる人ができる範囲でする「労働力の寄付制」にしたらいいのではないかと思うが、どうだろうか。また改めてこれについては記事にしたい。

*正確には入会の妥当性をめぐる裁判であるが、潜在的に争われているのはPTA入会の強制性であろう。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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