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「キャンプに行くのが怖い」ママ友やパパ友とのつきあいがストレスにーイクメンパパのうつ状態とは?

関谷秀子精神科医・法政大学現代福祉学部教授・博士(医学)
写真はイメージです(提供:イメージマート)

 子どもが幼稚園に入園すると、親同士のつきあいが増えていきます。「子どもが孤立しないように」との思いから親同士の適度な関係を越えてしまい、近しすぎることがストレスとなっている母親は少なくありません。しかし、それは母親だけとは限りません。

 男女共同参画社会基本法の基本方針には、男女が対等な立場でお互いに協力して、仕事や家庭生活等を行えるようにすること、と掲げられています。昔に比べ、父親が育児をするのが当たり前になっている現代では、父親も親同士の関係性にストレスを感じているケースがあるのです。今回はイクメンを目指していたものの、うつ状態になってしまった父親についてお伝えします。そしてその背後にあったママ友やパパ友とのストレスや夫婦関係の難しさについて考えたいと思います。

イクメンを目指していたAさん

 Aさんは30代の会社員の男性です。妻に付き添われて精神科クリニックを受診しました。診察室には二人で入室し、妻は椅子に座るやいなや、勢いよくAさんの症状について話しだしました。この数か月、憂鬱そうな面持ちでため息ばかりつき、会社から帰ると食事もせずにベッドに倒れこんで寝てしまい、週末は気力が湧かず、ずっと横になっているとのことでした。けれども遅刻も欠勤もせずに仕事には通えているそうです。妻はAさんを近所の内科に連れていきましたが異常はなく、うつ病を疑われ、精神科クリニックの受診を勧められたそうです。Aさんは妻が話している間、ずっと黙って下を向いていました。私がAさんに発言を促そうとすると、「ほら、自分で説明しなさいよ」と妻はイライラした様子でAさんに声をかけ、私の方を見て、「話が下手なんです」と付け加えました。そこで、妻には退室してもらい、Aさん本人に話を聞いてみることにしました。妻のピリピリした様子からは夫婦間のコミュニケーションにかなりの問題がおきていることがすぐに感じられました。「このところ、具合が悪いことについて何か思い当たることがありますか?」と私が尋ねるとAさんは、大きなため息をついてから、妻とのことや、娘が通う幼稚園の親同士の人間関係について話し始めました。

ママ友やパパ友とのつきあいがストレスに

 Aさんはもともと本を読んだり映画を見たりするのが好きなインドア派で、中学高校時代は将棋部に入っていたそうです。大学時代に友達の紹介でつきあいだした3歳年上の妻と結婚し、すぐに娘が誕生しました。Aさんは妻の要望に応えようとイクメンを目指し、子育てを積極的に行ってきたそうです。娘のおむつを替えたり、お風呂に入れたり、ミルクを作ったり、そして週末は妻がマッサージやエステに行ってゆっくりできる時間を作るために、一人で娘の世話ができるようにAさんなりに努力してきたそうです。そんなAさんに妻はいつも「ありがとう」と感謝の言葉を伝え、二人の仲はとても上手くいっていました。

 ところが娘が幼稚園に入ってしばらくしてから夫婦関係に変化がおきはじめました。娘の幼稚園は園児の人数が少なく、アットホームな雰囲気で、親同士の交流が盛んでした。もともと外交的で人づきあいの得意な妻は、すぐにママ友の輪に溶け込み、ランチを共にしたり、飲みに行ったり、休日には子どもを連れて博物館や遊園地に一緒に行ったりするようになりました。また、ママ友の友達がオープンしたパン教室やフラワーアレンジメント教室にもみんなと一緒に入り、娘が友達の輪から外れないようにと多くの時間をママ友たちと過ごすようになりました。

 初めはママ友同士だけのつきあいだけだったそうですが、休日にお互いの家に招いたり招かれたりしているうちに、パパたちも交流に参加するようになってきたそうです。口数も少なく、人づきあいが苦手なAさんは、趣味や仕事の話で盛り上がるパパ友の輪に上手く入ることができませんでした。毎週のように行われる家族ぐるみの行事は、Aさんの気持ちをかなり重くさせました。しかし、イクメンを目指しているAさんとしては、他の父親が参加しているのに自分だけが参加しないわけにもいかないと考え、「行きたくない」と妻に言うこともありませんでした。

 ユーモアのセンスがあって会話の上手なパパはママたちからも人気で、「○○さんのご主人って素敵でいいわね」と褒められ、褒められたママは鼻を高くするような場面が時々あったそうです。Aさんは妻に「もう少し気の利いた会話ができないの?」「○○さんのご主人は背も高くてお腹もでていないわよ」と妻にダメ出しをされることが増えていきました。Aさんは私に「妻の言うことはもっともで、僕がダメなんです」と付け加えました。

 ある日、キャンプや山登りが趣味のパパが、みんなでキャンプに行くことを提案しました。食事は子どもたちとパパたちが作り、ママたちにはキャンプ場の温泉でゆっくりしてもらおう、という企画です。みんなとても盛り上がり、すぐに日程が決まりました。しかし、インドア派のAさんは今までキャンプに行ったことはありませんでした。 

 キャンプ場に着くとキャンプ経験者のパパたちがテキパキとテントを立て、火をおこして、ダッチオーブンでスペアリブやピラフの準備をしていきます。Aさんは何とかか手伝ったものの何もできない自分自身に落ち込み、みんなの輪に入れない自分を責めました。そして子どもたちが寝た後の大人だけの会話に入ることもできず、ずっと黙ってやり過ごしました。

 キャンプから帰ってくると妻の怒りは絶頂に達していました。「『Aさんって静かな人ね』ってママたちに嫌味を言われたじゃないの」「あなたは何でそんなに何にもできないわけ?〇ちゃんのお父さんなんて何でもできるじゃないの」「あなたみたいな人がパパで娘は可哀そうよ」「本当に夫として恥ずかしい」。横で聞いていた娘は泣きだしました。

 Aさんはすっかりしょげて「僕が何にもできないからみんなに迷惑をかけてしまって申し訳ない」と妻に謝りました。しかし、謝れば謝るほど妻の怒りはエスカレートし、「次のキャンプまでには何とかしておいてよ!」と言い放ちました。次の休みにはまたキャンプに行く計画が既に立っているそうでした。Aさんは「わかった」と言ったもののその自信は全くなく、その後から夜は眠れなくなり、何かをする気力がなくなり、体はどんどんだるくなり、家では横になることが増えていったそうです。

 「毎日が憂鬱なんです。キャンプに行かなきゃいけないけど、行くのが怖いんです」とAさんは弱弱しい声で呟きました。

相手の要求に応えられない自分を責めるAさん

 私はAさんに「人それぞれ得意なことや苦手なことがあるので、そんなに自分を責める必要はないのでありませんか」と伝えました。そして「Aさんは『キャンプに行かなければいけない』と言うけれど、行きたいのか行きたくないのか、本当の気持ちはどうなんですか?」と尋ねると「行きたくないけれど、妻に『行け』と言われているので行かなくてはならないんです」と答えました。私は「夫婦であればどちらかがどちらかに命令するのではなく、対等な立場で話し合いができることが必要なのではないですか」と伝えました。そして「Aさんは自分の気持ちをないことにして、相手の要求に応えようとし過ぎてストレスが積み重なってしまうように思います」と伝えました。

 Aさんは「僕は他人に怒ったりむかついたりしたことがないんです」とも話しましたが、心の中に相手への怒りの芽が少しでも出てくると、その怒りを相手ではなく自分に向けて、自分を責めて、抑うつ的になっていることが理解されました。Aさんはこのように何回か一人で来院し、自分についての話を続けていきました。

 ある時、「結局、ここで話すだけじゃなくて、妻にもちゃんと話をしないとだめですよね。娘のためにもこのままというわけにもいかないし。次回妻もここに連れてきてその場で話をしたいのですが」と診察室で妻と話をすることを私に提案しました。

自分の父親像を夫に求めていた妻

 その次の回にAさんは妻とやってきました。Aさんは「家では上手く話ができないのでここで話がしたい」と妻に説明をしました。妻はAさんのただならぬ様子に少し驚いたようでした。Aさんは通院中に気づいた自分についての理解を妻に伝えて、「頑張ろうとしたけれど、もともと人づきあいは苦手なので、今のような親同士のつきあいは疲れてしまう。そのことが調子の悪さの原因の一つだと思う」と妻に伝えました。しかし妻はそれに対して「娘のためなのでつきあいは無くせないし、もっと社交的になるように努力してくれないと困る」と答えました。

 私が妻に「Aさんにどのような夫であることを求めているのですか?」と尋ねると、妻は「私の父親は何でもできるんです。仕事もできるし、母のことも大切にしていたし。いつもリーダー的な存在で、とても頼れる人でした」と自分の父親がいかに素晴らしい人であったかの話を始めました。私が「それではAさんにもお父さんと同じようであることを求めているのですか?」と尋ねるとハッとした様子で「そうなのかもしれません」と答えました。妻は自分で何かに気づいたようで「でも確かに夫には無理かもしれません」と付け加えました。私は「そうですね。Aさんとお父さんは別の人間なので難しいですよね。お互いの気持ちを尊重して、色々なことをお二人でよく話し合って決められるといいですね」と伝えました。

 そして「もちろん、お友達の家族と遊ぶことも大切な経験ですよね。でもそれが原因でお父さんが無理をして元気がなくなったりお母さんがイライラしてしまうのを見ている娘さんはどんな気持ちなんでしょうかね。娘さんにとって本当に大切なことは何かをもう一度お二人で話し合ってみてはどうでしょうか」と付け加えると、二人は一瞬顔を見合わせて帰っていきました。

カウンセリングを受けることを決めたAさん夫婦

 しばらくしてAさんと妻は二人で来院しました。「しばらくはコロナを理由につきあいを減らすことに決めました。でもまだ二人だけでは話し合いが上手くいかないこともあります。娘のためにも夫婦一緒のカウンセリングを受けた方がいいのではないかということになりました」とAさんは話しました。Aさんも妻もそれぞれが自分の課題を抱えていることに気づき、娘のために夫婦カウンセリングを希望してきたのでした。Aさん夫婦は「良い関係をお互い築けるように」と同じ方向を向いて、同じ目的を達成することを目指して一緒に来院しています。Aさん夫婦がお互い良い関係を築けるようになる日はそう遠くはないと感じています。

精神科医・法政大学現代福祉学部教授・博士(医学)

法政大学現代福祉学部教授・初台クリニック医師。前関東中央病院精神科部長。日本精神神経学会精神科専門医・指導医、日本精神分析学会認定精神療法医・スーパーバイザー。児童青年精神医学、精神分析的発達心理学を専門としている。児童思春期の精神科医療に長年従事しており、精神分析的精神療法、親ガイダンス、などを行っている。著書『不登校、うつ状態、発達障害 思春期に心が折れた時親がすべきこと』(中公新書ラクレ)

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