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息子を「小さな恋人」扱い、発達上の影響は 夫婦の愛情関係と子どもの心の問題

関谷秀子精神科医・法政大学現代福祉学部教授・博士(医学)
写真はイメージです(写真:maroke/イメージマート)

 日頃、心の問題を抱える児童思春期の子どもの診療を行っていると、息子と母親の関係が密着しすぎているケースにしばしば出会います。待合室では母親が息子にぴったりくっついて座っていたり、腕を組んだり、前髪を直してあげているのを見かけます。特に、新婚時代は仲睦まじかったのに、出産をきっかけに夫婦の愛情関係が断絶してしまい、息子に心の寄りどころを求めてしまう母親は少なくないように思われます。最近ツイッター上で「子どもを小さな恋人にしないで」というテーマが話題になりました。今日は子どもに夫や恋人の役割を担わせることで、どのような心の影響があるのか考えてみたいと思います。

息子の中学不登校と「母とのデート拒否」の相談

 30代後半の女性が中学2年生の息子のA君の相談に来院しました。

「中学に入ってから学校に行きたがらないんです。それに週末デートに誘っても部屋から出てこないことが多くなってしまって」と話しだしました。女性は息子が学校に行きたがらない点より自分が誘っても一緒に出掛けなくなった点に力を入れ、息子との外出を「デート」と表現することに違和感を持っていない様子でした。

 二人はA君が幼少時から中学1年の頃までは、一緒に遊園地に行ったり、映画を見に行ったり、毎週「デートをしていた」そうです。中学生ともなれば母親と二人ででかけることを嫌がるのは普通のことですが、女性はショックを受けている様子でした。そしてA君について「本当に心が優しくて素直な子で。私の気持ちを誰よりも一番わかってくれて、私を支えてくれる存在なんです」と話します。

妊婦に無理解な夫、溜まり始める不満

 母親は母方祖母や姉妹との折り合いが悪く、早く家を出たいと思っていました。そこで専門学校を卒業するとすぐに当時付き合っていた男性と結婚しました。夫は「私は姉や妹に比べ大切にされず、辛い子ども時代を過ごしてきた」という話を母親からしばしば聞き、都度慰めてきました。二人は結婚後とりたてて大きな喧嘩やもめごともなく過ごしていましたが、A君を妊娠した頃から夫婦関係に変化が起き始めました。

 母親はA君を妊娠してひどいつわりに悩まされるようになりました。「仕事に行って帰って来るだけで精一杯。常に吐き気がして辛いので家事を手伝って欲しい」と夫に伝えてみましたが「気の持ちようじゃないの?」「まあ無理してやらなくていいよ」とは言うものの手伝ってはくれず、結局は一人で家事をこなさなければならなかったそうです。

 その後もお腹が大きくなって、歩くのが大変になっても、夫は一緒に買い物に行くと、すたすた先に行ってしまい、重い荷物を母親が持つこともあったそうです。この頃から母親の夫に対する不満が少しずつ大きくなっていきました。

疎遠になる夫婦関係

 そうこうしているうちに待望の男の子であるA君を出産しました。もちろん夫もとても喜び、A君をあやしたり、時々お風呂に入れたりと全く何もしなかったわけではないようですが、母親の求める水準には達していませんでした。内心不満を抱いていましたが、「どうせ言っても無駄」と、育児について夫と話し合うことはありませんでした。

 母親は、1歳になる前にA君を保育園に入園させ、仕事に復帰することにしました。しかし、夜中の授乳による寝不足と、子育てと仕事と家事の連続の日々はめまぐるしく、A君がしょっちゅう高熱を出すため、仕事を早退してお迎えに行くこともしばしば。自由な時間はありませんでした。さらにいつも保育園や職場に頭を下げるのは夫ではなく私ばかり、という怒りがふつふつとこみあげていました。これ以上この生活を続けるのは心も体も限界だと思った母親は復帰後半年で退職することに。そして「大変そうな私の様子を見ても自分から手伝おうともしなかった」と夫について怒りを込めて話しました。

 もう一つ夫婦関係にとって重要な変化がありました。A君が誕生後、夫だけが子ども部屋で寝ることになったのです。夜泣きで寝不足になって仕事に差し障らないようにと母親が決めたことでした。夫婦間のコミュニケーションは更になくなっていきました。

進む母親と息子の密着

 母親は今まで夫や仕事に向けていたエネルギーをすべてA君に注ぐようになりました。妻からの関心も愛情も失った夫は仕事にのめりこむようになり、朝早くに家を出て、夜は皆が寝静まってから帰宅するようになりました。家族で食事をすることも一切なくなってしまいました。

 母親は今まで夫に聞いてもらっていた親族とのごたごたした人間関係の愚痴や不満を「外で話しちゃだめ」と口止めしながらA君にこぼすようになりました。一身に受け止めるA君は「僕がおばあちゃんに言ってあげようか」と母親を慰め、「パパは頼りにならないからA君がママを助けてね」と言う母親に対して、「僕がママを守るよ」「僕がいるから大丈夫だよ」と言うようになりました。そんなA君を母親はますます愛しく頼もしく感じるようになっていきました。

 中学生になると身長が伸びたA君を見て「パパよりいい男になった」と言うことも。夫ではなくA君と毎週出かけることを楽しみにしていましたが、成長するに従い自分の買い物やマッサージ、美容院などにも付き合わせるようになっていきました。バレンタインデーには手作りのチョコレートをA君にだけ渡していました。母親は夫との愛情関係がなくなってもA君がいるので寂しいと感じることはありませんでした。

 別のケースですが、離婚したCさんは高校から学校に行かなくなった浪人生の息子について「どの男の人を見ても断然息子の方がいい男だと思う。息子と話すとときめいてしまう」と話し、「息子も『お母さんと飲みに行くのが一番楽しい。再婚はしないで』と言っている」と嬉しそうに話していました。このケースの場合にはもはや「小さな」恋人とは言えず、親離れ子離れが非常に困難であったのは言うまでもありません。

家事や育児分担が夫婦関係亀裂の原因に

 思春期外来を訪れる両親の中には家事や育児の分担を巡る争いが夫婦の大きな亀裂となっていることがしばしばあります。男女共同参画社会基本法の基本方針には、従来の「夫は仕事、妻は家事」という役割分担意識にとらわれずに、男女が対等な立場でお互いに協力して、仕事や家庭生活等を行えるようにすること、と掲げられています。しかし、従来の「夫は仕事、妻は家事」という役割分担意識が依然として夫側に強く残っているために、妻が夫に不満を抱いているケースが多く見受けられます。

 もちろん夫個人の問題というよりも、会社自体が新しい社会に対応しておらず、家事や育児をしたくても、その時間がとれないという場合もあります。役割分担がうまくいかない原因の多くが夫側にあるにしろ、妻側にあるにしろ、会社にあるにしろ、夫婦の間で冷静な話し合いをすることが必要です。妥協すべきはする、そして自分も相手もある程度満足できるところまで話し合いで調整するということは簡単ではないと言えるでしょう。

妊娠・出産後の夫婦関係変化を乗り越えるために

 男性は妊娠・出産を実際に体験できないので、妻の妊婦としての大変さに共感しにくいところがあるでしょう。A君の場合のようにそれが夫婦の亀裂の要因になることも少なくありません。自治体や病院などで行われている「父親教室」に参加して女性の妊娠出産について理解を深めることはその対策になるかもしれません。

 女性は出産後、数時間おきの授乳やおむつ替え、夜泣きの対応など24時間休みなく赤ちゃんのお世話に明け暮れなければなりません。妻役割よりも母親役割の比重が断然増えるのは言うまでもありません。そこで、この時期に夫婦間で性愛関係についても含め、今後の新しい夫婦関係について率直な話し合いが持てるのか否かは重要です。ある男性は「一流企業に勤め、皆がうらやむような女性と結婚し子宝にも恵まれたのに、本当はとても孤独で不幸で死にたい気持ちだ」と相談にきてこの時期の悩みを訴えていました。

夫婦の愛情関係と子どものこころの問題

 A君の母親のように、夫との愛情関係が断絶していて、代わりに子どもとの愛情関係に没頭しているケースは珍しくありません。言い換えれば、夫との関係を息子で代用し、息子に夫役割、恋人役割を担わせていると言うことができます。

 このような場合に、子どもになんらかの症状が現れて、どのような病名がついたとしても、夫婦の愛情関係を再開させるか、子どもを代用して親の満足を得ることを止めない限り、親の子離れ・子どもの親離れは進まず、問題解決には至りません。

母と息子のように、親子関係が異性の場合はインセストタブーを破ることにまつわる不安と罪悪感は非常に高く、子どものメンタルヘルスの問題は深刻化します。子どもは本来であれば個体化が進んでいくにもかかわらず、親子で密着し、退行した状態が続くことになるので、健康な発達を持続させることは困難になると考えられます。

 さて、A君です。A君はその後自分からカウンセリングを希望しました。中学に入り、母親と出かけるような同級生はいないことや、母親からの誘いや話を聞くことが「重くなってきた」と話すようになりました。

母親は、当初は気が進まなかったものの、A君のために、両親としての夫婦関係を見直すべく、父親をクリニックに連れてくることを決意しました。

 子どもの心の問題には、親子関係だけではなく、夫婦関係も密接に関連します。今回は息子と母親のケースでしたが、父親と娘の関係にも同様のことが言えます。

時に難しいことではありますが、私たちは、夫婦愛と親子愛両方を家庭内で併存させていくことが必要であり、それが課題である、と言えるでしょう。

精神科医・法政大学現代福祉学部教授・博士(医学)

法政大学現代福祉学部教授・初台クリニック医師。前関東中央病院精神科部長。日本精神神経学会精神科専門医・指導医、日本精神分析学会認定精神療法医・スーパーバイザー。児童青年精神医学、精神分析的発達心理学を専門としている。児童思春期の精神科医療に長年従事しており、精神分析的精神療法、親ガイダンス、などを行っている。著書『不登校、うつ状態、発達障害 思春期に心が折れた時親がすべきこと』(中公新書ラクレ)

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