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ゲノム編集食品に遺伝子組み換え食品と同じ道を歩ませてはならない!

佐藤達夫食生活ジャーナリスト
(このトマトはゲノム編集技術で生産されたトマトではありません)(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

 内閣府消費者委員会は、6月20日に開催された食品表示部会でゲノム編集食品の表示についての検討を行ない、「従来の農産物との違いを科学的に検証できず、表示義務違反の特定が困難」という考え方を示した。任意表示については8月をめどに表示のあり方を公表することになった。これによって、ゲノム編集技術を使った食品でありながら、消費者には表示されない食品が、来年にも市場流通する可能性が出てきた。

 とこのように書くと、まるで「ゲノム編集食品は安全ではないのに、消費者の口に入る」とあおっているように受け取られるかもしれないが、筆者はそれを伝えたいのではない(ゲノム編集食品に関しては、このYahoo!ニュースでも2度情報提供してあるので、興味のあるかたはコチラをご覧いただきたい)。

■食品の安全性に対する国民の不信感は根強いものがある

 日本の「食品安全・安心」を巡る社会状況は、1990年代後半に世界中を恐怖のどん底に陥れたBSE(ウシ海綿状脳症:いわゆる狂牛病)をきっかけに大きく転換した。日本でも2001年にBSE感染牛が発見されて以来、多くの市民が「食品の安全性」に懐疑心を抱くようになった。「日本は大丈夫」と政府が公言していたにもかかわらず、国内でも狂牛病が発生したことで、「国産食品の安全性神話」が崩壊した(と筆者は記憶している)。

 この「食品の安全性に対する不信感」を払拭しようとする対策の1つが食品安全委員会の設置であった。「日本の牛肉は絶対に大丈夫」といったその舌の根も乾かないうちに、日本国内でBSEが発生したものだから、食品安全に対する国民の政府への信頼は一挙に失われた。「政府の言うことは信用できない」というわけだ。

 そこで、政府は全く新しいシステムを構築せざるを得なくなった。それは。食品安全に関して「安全性を科学的に評価する組織」と「その成果をどのように運営するかという管理組織」を完全に切り離す、という政策である。前者を行なう組織として2003年に(厚生労働省や農林水産省とは別の組織として、内閣府の中に)食品安全委員会を誕生させた。

 ここで初めて「食品の安全性の評価に関しては食品安全委員会に一任する」という体制ができあがったのである。それ以降は、BSEに限らず、農薬・添加物・動物用医薬品・化学物質・ウイルス・自然毒等々、こと食品の安全性評価に関しては、食品安全委員会が一手に引き受けてきた。それでも、一度失った信頼はなかなか取り戻せてないというのが現状で、国民の「食品の安全性に対する不信感」はいまでも根強いものがある。

■「食品安全委員会の言うことなら信じよう」という成果

 それを払拭するために、国や自治体や科学者や食品事業者は、地道にリスクコミュニケーション活動を展開してきた。この20年にもわたる地道なリスコミ活動の結果として、少なくとも2つの認識が市民の間に定着してきたのではないかと、筆者は感じている。

 1つは「100%安全だといえる食品は1つもない」という認識。つまり食品には「安全な食品」と「危険な食品」とがあるわけではなく、「どんな食品であっても摂取量(や摂取の仕方)によって安全になったり危険になったりする」ということ。

 市民(消費者と言い換えてもいい)の3割くらいには、この考え方が浸透してるのではないか(3割という数字には根拠はなく、個人的観測)。これは食品安全政策を推進する側にとって「最大の成果」であろう。

 2つめは「食品安全委員会が安全というのであれば、とりあえず認めよう」という消費者(市民と言い換えてもいい)が増えてきたこと。食品安全行政に対する消費者の不信感は根強いので、国や食品事業者が「安全です」と言っても、様々な理由で(国はウソをつく、食品会社は自分の都合のいいことばかり言う、科学者の言うことは難しくてごまかしてるとしか思えない等々)なかなか信用してもらえない。さらには、食品の安全性(危険性)を「営業の手段」として利用する企業もあり、それにマンマと乗せられる消費者も少なくない。

 それでも、「安全だという科学的説明は理解できないし企業や官公庁の言うこともいまいち信用してないけど、食品安全委員会が『大丈夫』というのであれば、とりあえずは信じよう」という人が3割くらいにはなったのではないだろうか(3割という数字には根拠はない)。

 これは筆者の個人的観測だが、この3割の人たちも「確信を持って」そう感じているわけではないので、いったん信頼を損なう状況になればアッという間に減少するのではなかろうか。

■ゲノム編集食品はいま情報提供を開始したばかり

 さて、ゲノム編集食品に戻る。

 筆者はゲノム編集農産物は安全だと思っている。安全性では従来の品種改良農産物と変わりがないらしいことも理解している。また、その農産物が「ゲノム編集食品であるか・そうでないか」を客観的に知る方法が(現在の科学レベルでは)ないらしいこともわかる。

 しかしこれは、私がこういう仕事(食品に関する報道をする職業)についているために、何度も取材・勉強する機会に恵まれたおかげで(かろうじて)身につけた知識である。多くの消費者は、専門家の話を直接聞いたりシンポジウムなどにたびたび参加したりすることはないであろう。仮にそういう機会があったとしても、積極的に利用するとは限らない。

 それどころか、多くの人は、じつは「そんなことをしているヒマはない」のではなかろうか。仕事や家事や趣味に追われていて、食品安全の勉強どころではないのだろうと推測する。

 ゲノム編集食品にしても、「耳にしたことはあるがどういうものかは皆目わからない」という人が多かろう。そこに突然「来年にも食卓に上るかも!」となれば、拒否反応を示す人が多いのは当たり前である。「安全性は従来の物と変わらない」「調べる方法がない」「遺伝子組み換え食品とは違う」などと説明されても、受け入れがたいことは想像に難くない。

 このところ、食品安全の管理を担う厚生労働省や農林水産省や消費者庁の担当者、あるいは科学者やジャーナリストたちが、さかんにゲノム編集食品の安全性について発言をしている。その人たちの努力の甲斐あって、わかりやすい解説も目にするようになった。そうはいっても、現状は「情報提供が始まったばかり」でしかない。消費者が理解しているといえるような状態ではまったくない。

■安全性の評価は食品安全委員会に任せるべき!

 このような現状で「何の情報(表示)もなく」ゲノム編集食品が食卓に上れば、消費者が「安全じゃない食品だ」と受け取るのは目に見えている。「消費者のリテラシーの問題」「消費者も勉強すべき」などと理屈を並べても、反感こそ買え、何の解決にもならない。そして、いったん「危険だ」と理解(誤解であっても)されたが最後、それを覆すのには何十倍ものエネルギーが必要なことは、遺伝子組み換え食品(技術)で経験ずみのはず。もちろん、非科学的な「あおり情報」が減ることなどはまず考えられない。

 今、遺伝子組み換え食品は「安全ではない食品の代名詞」にさえなっている。理屈ではなく感情の問題。言い換えれば、安全ではなく安心の問題。そんな中、なぜ今「同じ失敗」を繰り返そうとしているのか、筆者にはどうしても理解できない。くどいほどに丁寧な説明を、じれったいほどに根気よく続けるしか方法はない。

 そして一方では、ゲノム編集食品に関する「安全性」を食品安全委員会に諮問する(評価をしてもらう)ことが不可欠である。「従来の突然変異と変わらないのだから安全性の評価をする必要はない」などという判断を、厚生労働省などの「管理機関」がすべきではない。安全性の評価は(かたくなに)食品安全委員会に任すべきである。ここをないがしろにすると、20年近くかけてようやく消費者の間に定着しつつある「詳しくは理解できないけども食品安全委員会が安全だというのであれば大丈夫なのだろう」という信頼を水泡に帰すことになる。

 食品安全委員会に諮問すると、もしかしたら2年も3年もかかるかもしれない。でも結局はそれが早道なのだ。ゲノム編集食品に遺伝子組み換え食品と同じ道を歩ませてはならない。

 

食生活ジャーナリスト

1947年千葉市生まれ、1971年北海道大学卒業。1980年から女子栄養大学出版部へ勤務。月刊『栄養と料理』の編集に携わり、1995年より同誌編集長を務める。1999年に独立し、食生活ジャーナリストとして、さまざまなメディアを通じて、あるいは各地の講演で「健康のためにはどのような食生活を送ればいいか」という情報を発信している。食生活ジャーナリストの会元代表幹事、日本ペンクラブ会員、元女子栄養大学非常勤講師(食文化情報論)。著書・共著書に『食べモノの道理』、『栄養と健康のウソホント』、『これが糖血病だ!』、『野菜の学校』など多数。

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