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「牛乳至上論」「牛乳害悪論」は日本にはいつごろ登場したのか?

佐藤達夫食生活ジャーナリスト
(写真:アフロ)

「乳」は私たちの食べ物としてきわめて優れている。近い将来、地球上では人口の増加に伴って「良質の食べ物」の奪い合いになるであろうと推測する。乳・乳製品を「自分たちの食べ物」としていかに確保できるかが、健康・寿命の重大な要素になることは間違いない。

にもかかわらず、牛乳や乳製品には定期的(といっても過言ではないほど)に「害悪論」が登場する。しかもその害悪論はかなり大きな影響力を持って広がる。日本における牛乳・乳製品の利用の歴史はそれほど長くはない。いったい、いつごろから利用され始め、害悪論などの諸説はいつごろから一般的に広まったのであろうか?

平成28年12月2日に開催された「明治・大正期における『牛乳・乳製品』論の系譜」というセミナー(講師:梅花女子大学食分科学部食文化学科・東四柳祥子准教授)から、この部分だけを取り出してご報告する。

■かつて乳製品は特権階級だけに許された贅沢品だった

日本人と乳製品の出会いは、飛鳥時代(592年~710年)と考えられている(もっとも当時は「日本人」といっても天皇あるいは貴族等のきわめて特殊な階級の人に限られる)。用途は「薬用」。このころから江戸時代まで、日本人の乳製品利用はあまり大きな変化はなかったようだ。

明治時代に入って、状況は一変する。乳製品の役割は「貴族の病気を治す」ことから「強い兵隊を育てる」ことへと移っていった。国際情勢の変化に伴って、国是として掲げられた「富国強兵政策」の下、肉食と同様に牛乳・乳製品が注目されるようになった。諸外国の乳利用や酪農技術を紹介しながら、乳製品摂取の意義を説く『西洋養生論』などの書籍が増えてきた。

乳製品の利用が強靱な兵士の育成に効果的であることが判明して間もなく、乳製品は赤ちゃんの食べ物としても注目されるようになる。母乳の代わりに牛乳が使われるようになったのだ。1870年代には、育児書や医学書等々に母乳の代わり(母乳が十分に出ない人のため?)に牛乳を利用することの効能が記述されている。一般市民(経済的に裕福な層に限られたではあろうが)に牛乳・乳製品の利用が広まったのは、このあたりから。1880年ころには「人工栄養品」という言葉が登場する。

牛乳・乳製品は高価で貴重なものではあるが、滋養に富み、乳児や幼児の発育・健康に大いに貢献する食べ物だと、医師や看護婦から産婆にいたるまで、専門家は積極的に用いるべしと強く推奨した。このような多くの肯定的意見に対して、すでにこの頃から、牛乳の育児への使用を否定的に考えている人たちも現れている。たとえば、ある小児科医は、牛乳は適度に与えなければ、度を超した場合には小児が非常に太ってしまうという懸念を提唱してある。当時は栄養不足のためにやせている子のほうが多かったであろうから、肥満の子が不健康であるという危惧はあまりなかったのではあるまいか。にもかかわらず、太っていることに注意喚起がなされているということは、「牛乳はよい物」という評価がいきすぎて、過剰に与える親がいたということなのかもしれない。

この小児科医は「小児には自然栄養(母乳のこと)がよい」ということを重視している。多くの母親が乳児を母乳で育てていて、母乳が十分に出ないために栄養不足が心配される時代においても、すでに「母乳至上論」が提唱されている点に注目したい。

■一般家庭に浸透したころから「善・悪」両論が登場

貴族→兵士→乳児へと変遷してきた牛乳利用者だが、1900年代に入ると(それに加えて)ようやく一般社会人もその恩恵を授かるようになる。牛乳を家庭料理に利用する「牛乳料理」の登場だ。『家庭における牛乳とその製品』『家庭実用衛生料理集』『弦斎婦人の料理集』などの書籍の中に牛乳やクリームを使った料理が数多く紹介されている。これらの本の中では、牛乳が日本料理を栄養豊かな物に変えるという主張が色濃く出されている。

これ以降、牛乳は「母乳の代用品」から「家庭の食品素材」としての位置づけを獲得してゆく。上記の『弦斎婦人の料理集』には、サツマイモのバター焼き、オムレツ、牡蠣(かき)のクリーム煮等々、“ハイカラ”な料理の調理法が紹介されてある。

牛乳が家庭料理に取り入れられるようになると、つまり、一般の人たちの口に入るようになると、その「健康効果」そして「体格改良効果」が大きくクローズアップされるようになる。1922年に発行された書籍には次のような記述が見られる。

「体格の大きな人物は概ね牛乳を日常飲用してをる」

「あらゆる山海の滋養物を集めても、若しそこに牛乳が欠乏してをればそれは完全な食事とはいへない」

「牛乳工業を発展させて食品としての牛乳使用を奨励するは単に経済上の問題ではなくて民族衛生上の大問題であるという事に想到します」

「凡ての食品中牛乳を以て最も価値あるもの・・・・吾々の家族の健康を保つため三度の食事に食物としての凡ての完備させる事は誠に難しい様だけれども料理の中に牛乳を入れば訳もなくできる」

このころになると、海外(欧米)の「牛乳事情」も盛んに紹介されるようになった。赤十字の資料にアメリカの牛乳・乳製品推奨10か条が紹介されてある。

一、牛乳は病気に侵されない様に身体を強くして呉れます。

二、牛乳は石灰分をたくさん含んで居ります。其為に立派な歯が出揃ふのです。

三、牛乳は御腹の消化作用を良い工合にして呉れます。

四、牛乳は身体の発育と健康に必要なヴィタミンを含んで居ります。

五、人が働きの出来る様にと其原料として薪となります。

六、牛乳はからだの弱った処を直して呉れます。

七、牛乳は強健な骨を造って呉れます。

八、牛乳は小児の営養不良になるのを予防して呉れます。

九、牛乳は夫れだけで十分釣合の取れた食料となり人の能率を増進します。

一〇、牛乳は一番安くて一番沢山の営養価値を持って居ります。

当時アメリカ各地で展開された「牛乳に関する取り組み」も、同様に紹介しておこう。

「小学校でランチに牛乳を生徒に用いひさせる運動」

「牛乳実物宣伝事業(牛乳の無料又は極安価に供給する事)」

「母の会其の他諸国軆に対する牛乳料理の講習事業」

「動物実地飼養試験を公衆に観せる企」

「牛乳の知識と其効用を周知せしむる為、幾多の小冊子や、ポスターや、模型や絵画や、活動写真、幻灯、演劇其他色々のものを製作すること」

しかし一方では、当時から「人は人乳、牛は牛乳」というドイツの牛乳排斥論も紹介されてある。また、牛乳のあとから登場した酸乳(ヨーグルト)に対しても、「近来、ハイカラな人達の間には、健康長寿の薬だと云って酸乳を飲用する人が少なく無い・・・・メチニコフ氏の所説を其のま々に盲信する上にもハイカラがって効果の分からないヨーグルトを愛用するが如きは私共の取らざる処である」という説も『家庭新知識』という書籍に記述されてある。

■最近になってエビデンスの差が明確になりつつある

このように詳細に(クドクドと?)、「牛乳推奨論」と「牛乳排斥論」を紹介したのには訳がある。両論とも「最近聞いたことのある」内容だからだ。牛乳そのものの栄養的価値の紹介、日常の食生活への取り込み(最近では「乳和食」が注目されている)、子どもへの普及法、母親に対するアドバイス等々は、現在でも各地で盛んに取り組まれている。逆に、「牛乳は牛の食べ物」論、「下痢するようなものは食品じゃない」論、学校給食で子供に食べさすべきではないという主張等々の反対説もいまだに健在だ。

100年たっても同じ内容が説かれ、似たようなことが行なわれている状況に、驚きを隠せない。たった一つ違う点は、かつては両論とも見聞あるいは推測であったのだが、現在では「推奨論」には科学的エビデンスが整いつつあるが、「排斥論」にはそれの乏しいものが多い、ということだろう。

冒頭にも書いたが、そう遠くない将来、地球上では食料不足が深刻になるであろう。中でも「質の良い健康」と「上等な味覚」を併せ持つ動物性タンパク質は奪い合いになることは必至である。おそらくは力と富のある者たちに独占されるのではないかと推察する。私たちには、非科学的な情報に動かされて、貴重な動物性タンパク質である牛乳・乳製品を排斥している余裕はない。

私は「すべての食べ物を日本国内で生産すべき」という論理に同調する者ではないが、いったん喪失してしまうとなかなか元には戻せない酪農・畜産業をしっかりと守っていくべきだと考える。

(※:筆者の責任で適宜「新漢字」を使用)

食生活ジャーナリスト

1947年千葉市生まれ、1971年北海道大学卒業。1980年から女子栄養大学出版部へ勤務。月刊『栄養と料理』の編集に携わり、1995年より同誌編集長を務める。1999年に独立し、食生活ジャーナリストとして、さまざまなメディアを通じて、あるいは各地の講演で「健康のためにはどのような食生活を送ればいいか」という情報を発信している。食生活ジャーナリストの会元代表幹事、日本ペンクラブ会員、元女子栄養大学非常勤講師(食文化情報論)。著書・共著書に『食べモノの道理』、『栄養と健康のウソホント』、『これが糖血病だ!』、『野菜の学校』など多数。

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