権利擁護のパラダイム転換と成年後見制度の変革 ~認知症の方や障害者の方にも意思はある~

1 パラダイム転換

能力不存在推定からの決別

自由で自立した個人の存在、その諸個人が織りなす社会活動、近代以降の人と社会の見方は基本的にそのようなものとして展開されることが多い。ポストモダンの洗礼を受け、主体概念のゆらぎを経験したのちも、書斎的知識としてはともかく、現実社会における議論は、それほど変わっていない。そうした中で、自立も自律もしていないとまわりから見られている人々、たとえば認知症の方や知的障害・精神障害をお持ちの方々について、私達はついつい次のような考え方をとりがちです。

「この人は、判断能力が十分ではないか、存在していない。そのために周囲のことはもちろん自分のことについても適切な判断をすることができない。その結果、社会生活や日常生活でとても困難な状況に置かれることになりがちである。だから他の人がその人に代わって、その人のことについて判断をしてあげなければならない」

このような考え方は、「能力不存在推定に基づく代行決定型権利擁護」と呼ぶことができるでしょう。世界の人々は長らく、このような考え方に基づいて成年後見制度を設計し、動かしてきました。そのような考え方・見方を前提にしたアドボカシー(権利擁護) も、そのようなものでしかありませんでした。つまり管理型、保護型のアドボカシーです。しかし、どんなに重い認知症の人であっても、その人なりの人生を生きてきた経緯があり、その人なりの思い、そして判断がありうる、いま世界はそう考え始めています 。適切な判断が自分ではできないと周囲から見られていた人々も支援さえ受ければ、その人なりの決定ができる。いま、意思決定に困難を抱える方々に対するものの見方のパラダイム転換が世界中で起きています。

このような変化は1990年台から始まっていましたが、認知症高齢者の見方では、トム・キットウッドの「認知症のパーソンセンタードケア―新しいケアの文化へ」筒井書房(2005)が有名です。(原著:Tom Kitwood, Dementia Reconsidered: the Person Comes First(1997)。障害者の世界でこのパラダイム転換を決定的にしたのは、2006年12月に国連において採択された障害者権利条約の12条の解釈をめぐって展開された議論だと言って良いでしょう。これらは、古典的な自立概念や自己決定論議に反省を迫ると同時に権利擁護の仕組みについてのパラダイム転換を世界に要求するものでした 。

権利擁護とは

権利擁護という言葉は、Advocacyに対応する日本語です。日本の福祉関係者が、これを「権利擁護」と呼び始めたのは1990年台以降です。おそらく当時の政策目標であった社会福祉の基礎構造改革と関係があったと思われますが、誰がどんな理由で使い始めたのか、その詳細は不明です。ただ、どのような意図があって「権利擁護」の訳語が使われたとしても、それは「権利」の「擁護」に留まる活動ではありません。巷間においてそのような誤解が時折見られますが、「権利」に限定して理解する見方は特殊日本的であると言って良いでしょう。ちなみに、アドボカシーの理解については、次の本が良くまとまっています。小西加保留『ソーシャルワークにおけるアドボカシー―HIV/AIDS患者支援と環境アセスメントの視点から 』ミネルヴァ書房(2007)。

私は、年齢・社会的属性・障害など、理由は様々であるにせよ、何らかの事情によって自分の思いや意見を他の人に伝えたり主張したりすることができず(あるいは伝え方が弱く)、そのために社会生活を営む上で困難を抱えている人たちの声を、人や社会に伝える活動を権利擁護と理解してます。代弁活動が典型ですが、その究極の姿は、ご本人が自分で自分の思いを他人や社会に伝えることができるようにする支援活動であり、そのような活動はセルフアドボカシーと呼ばれています。

2 成年後見制度

導入の経緯

2000年に始まった日本の成年後見制度は、明治以降大きく変わることのなかった旧制度である禁治産制度を、介護保険の導入に合わせて変更したものです。それまでは行政による「措置」で実施されていた福祉サービスの提供が、介護保険の導入により「契約」ベースに移行したため、介護支援の必要な高齢者の方々には契約行為など法律上のやりとりについて代理・代行が必要だと考えられたわけです。その後、2003年の支援費制度の導入に伴い知的障害者や精神障害者の領域でも同じことが生じました。しかし、厚労省は、基礎構造改革の当初、成年後見制度だけを念頭に置いていたわけはありません。成年後見の利用が必要な人もいるけど、社協の日常生活自立支援事業(当時は、地域権利擁護事業と呼ばれていました)の利用も大いに考えていたようです。また、施設利用などは、家族の契約代行も公に認めていたし、これは現在も事実上続いています。

伸び悩む自立支援事業

ところが、当初の期待とは裏腹に、日常生活自立支援事業の利用は大きく低迷しています。平成26年3月の統計では、全国での利用契約者数は約4万4000人弱であり、これは同じ時期の成年後見制度(法定後見)利用者数約18万2000人を大きく下回っています。なぜ日常生活自立支援事業が伸びないのでしょうか。社協の「やる気」を疑問視する見解もありますが、もともと「判断能力の低下」した高齢者の利用を予定していながら、「契約能力の審査」を要求する制度の構造自体に、設計面での検討が弱かった面があるのです。つまり、審査実施にあたる社協の関係者、そこには地元の法律専門職が多く関与してると思いますが、その人達が、判断能力が低下しているのであれば契約は締結できないと固めに意思能力(判断能力)判定を行い利用申請を却下していたのではないかと思われるのです。現有能力を活用しようという制度であったのですが、「能力不存在推定」が無意識のうちに働いていたわけです。意思能力は、やろうとしている契約内容ごとに柔軟に判定してよいのですし、現に成年後見制度の中の後見類型ですら、日常生活面では、ご本人の判断能力を尊重しているのですが(民法9条但書)、審査実務にあたった法律家あるいは社協の中の見解が、このことを硬直に理解していたのではないか、そのことが利用の低迷に大きく影響しているのでないかと思われます。こんな状態では、セルフアドボカシーなど、およそ視野には入りません。

施設を追い出される?

前述のように、福祉サービスの利用のために導入された成年後見制度ですが、この制度の存在が逆に福祉サービスの利用継続を阻害する事態も生じさせています。制度発足以前には、なんの問題もなく利用できていた施設であったにもかかわらず、後見制度の周知に伴い、成年後見人をつけないと施設の利用契約を継続しないと主張する施設があちこちで現れたのです。そのことを劇的に示したのが、平成18年度の成年後見制度の瞬間的増加でした。前年である平成17年は、約1万8000件の申立だったのですが、この年だけ前年に比べて一挙に1万件以上の申立増加があったのです。その背後には、ある国立系機関が本人名義での契約継続を拒否し、成年後見人との契約を強要したという事情があると言われています。施設利用ができなければ、ご本人の命に関わると心配した家族会が、やむなく全国で一斉に成年後見申立を行いました。それが平成18年の利用増であり、翌年は、沈静化しています。このような例は極端ですが、利用を拒否したい高齢者や障害者を施設から追い出す、あるいは受け入れない口実に、成年後見の利用をあげる施設関係者はいまでも存在していて、時折、耳にします。

3 ノーマライゼーションのはずだった。

禁治産から変わったもの

禁治産制度と比較して、成年後見制度は、いくつかの改革を行いました。たとえば、民法の行為無能力者制度を制限的行為能力者に変更しています。これは、単純化して説明しますと、契約を行う能力はない人だと「判断能力の低下した方」を位置づける(行為無能力)のではなく、契約はできるが、取り消される可能性がある状態での契約しかできない人だと位置づけた(制限的行為能力)わけです。あるいは、補助制度と任意後見制度を導入じました。補助は、禁治産の時代にはまったく見られない柔軟な類型ですし、任意後見は通常代理を判断能力低下時に延長したようなものです。これらはご本人に能力があることを基本に置いています。任意後見には取消権はありませんし、補助利用はご本人の同意が要件です。そして、非常に大きな改革として特筆すべきは、法定後見人である後見人・保佐人・補助人がその職務を実施するにあたっては、利用者ご本人の意思に配慮すべきであるとの規定が民法の中に新設された点でした(858条)。これらの諸点をみれば、禁治産との比較において成年後見制度は、はるかにノーマライゼーションの方向へ向いたものであったと評価されることになります。能力不存在推定は、法律の上では、改革が計られたわけです。しかし、その改革は後見人などの同意権・取消権と代理権を基本においた代行決定型の枠組みの中で企画されたものでした。

代行型の運用

法律が変わっても、運用はどうでしょうか。制度発足後の利用が圧倒的に後見類型に偏っていること(申立の9割程度)、制度利用にあたってご本人の現有能力を加味した個別的なものにすることが現実には難しく、「後見・保佐・補助」を類型的・定型的に利用することが多いこと、利用の期間限定が事実上存在せず、いったん利用が開始されるとご本人が死亡するまで無期限に利用が継続することなど、いくつかの課題があることはすでに専門家のあいだで指摘されていたところです。さらに、2014年に国連の障害者権利条約を日本は批准しましたが、その過程で、日本の制度の基本的な建付けが行為能力の制限を伴う保護主義的な代行決定の枠組みで設計され、そのことに伴う社会的な排除作用(銀行口座の取扱いや欠格条項など)があることについても、ようやく問題が認識されはじめているところです。しかし、その改革のための検討が日本国内で充分に行われているとは言いがたいように思います。とくに取消権の廃止(行為能力制限の改革・撤廃)については、むしろ法専門職のあいだに根強い反対意見が見られます。

能力はあるのかないのか・隠蔽される課題

現在の時点で言える日本の成年後見制度の基本的な問題点を指摘しますと、ノーマライゼーションとは言いつつも、一方で、ご本人に判断能力がないことを制度利用の前提にしつつ、他方で、ご本人の意思(つまり判断)に配慮することが同時に求められていることの「わかりにくさ」が未整理のままであることです。

障害者権利条約に対する日本国内の関心は高まりつつあります。代行決定からご本人の意思を尊重した自己決定・意思決定支援への移行が世界的潮流であることは、もはや周知のことがらになりつつあると言って良いでしょう。日本の司法書士会、社会福祉士会は、すでに意思決定支援を成年後見に組み入れる考え方を公表しているほか、日本弁護士連合会でも意思決定支援に関わる法制度の検討を始めていると聞いています。どんなに重い認知症の方であっても、あるいはどんなに重度の知的障害のある方であっても、その人なりの意思や判断があることを前提にした現行制度の再整理(能力存在推定)が行われなければならないし、日本はその方向へ向かっていると評価したいところです。その際、大きな論点になってくるのは例外的な代行決定制度を残すのか否か、残す場合の制度的な位置づけをどうするかになるはずです。

しかし、国会においては、成年後見制度の例外的な残置ではなくて、積極的な利用拡大を推進しようとする立法提案の動きがあります。代行決定の制度として作られているものを、さしたる法制度の改革もせずに意思決定支援の制度であると説明し、その積極的拡大利用をすすめることは、国民の目を欺くと同時に、現場の真摯な努力を汲み取ることなく問題や課題を隠蔽する行為であると言わざるをえません。権利擁護活動に従事してきた人間として、大きな懸念を抱いています。

4 成年後見制度の現実

成年後見制度を意思決定支援の枠組みへ変革していく作業は必須のことと思いますが、その作業を進めるにあたって、日本の現行制度が、すでに制度疲労を起こしていることに留意する必要があります。それは身上監護の未整備と、後見監督業務の機能不全です。

身上監護の未整備

身上監護の未整備とはなにか。「取消権や代理権を使って、ご本人を救済しよう、権利擁護をしよう」、それがたとえ代行決定ではあっても「ご本人の意向に沿った支援がなされなければならない」。民法858条に言う「本人の意思の尊重」はそのことを意味しています。

しかし、本人意思の尊重と言っても、どうすれば尊重したことになるのか、条文上はなにも書いてありません。さらに、本人の意向に沿っているかいないかを、どうやってチェックするのか。また、本人の意向に沿っていない時に、成年後見人などの支援はどのように評価されるのか、現状ではなにも分からないのです。そういう状態であるから、場合によってはご本人の意向に沿わない後見支援が行われることも当然にありえます。

たとえば日本の成年後見人には、代行決定としての居所指定権(どこに住むのかを決定する権限)はないと理解されていますが、施設の利用契約は結ぶ代行権限がありますから、事実上、どこに住むのかを決めていることがあります。そんな中で、嫌がるご本人を閉鎖的な施設に入れて、後見人も家族も会いに行かない。預貯金の通帳だけを後見人が管理している。そんな例をあちこちで聞きます。それでも成年後見人が解任されることはありません。

他方で、ご本人の意向にそった住まいを探して苦労する成年後見人も存在します。自宅や病院以外の経験のない高齢者や障害者の方に、未経験の住居選択を迫ることは自己決定の支援にはなりません。そこで、ご本人に経験をしてもらうこと、そして試行錯誤を繰り返しながらの意思疎通を試みることが必要になります。失敗しても支援を打ち切らない、自己決定を支援するが自己責任は追求しない。意思決定支援には、そうした支援が必要なのです。しかし、このような支援は、代行決定ではないので裁判所から業務としてはほとんど評価されません。そのためになかなか工夫の蓄積や共有が進まないのが日本の現実です。

また、日本の後見人には医療同意権はありません。しかし、医療の現場では、Informed Consentに始まり、最近のShared Decision Making にいたるまでご本人の意向を確認することが基本的な流れとなっており、その中でご本人の意向を確認する活動が必須のものとなりつつあります。ご本人の意向が確認できないとして事実上の代諾(近親者による事実上の代行決定)で対応される場合がありますが、ここでも成年後見人が、たとえ代行決定権はなくてもご本人の意思決定支援をすることはできます。ただ、これも必須の職務であるとは理解されておらず、実際に支援に当たる後見人の工夫や苦労に対する評価は充分ではありません。

いずれにせよ、身上監護の領域において、どうすれば、ご本人の意向に沿った支援ができるのか、そのことの検討や工夫が、成年後見人になる人たちの腕の見せどころであり、そのために成年後見人になった人たちへの支援や社会環境整備、特に代行決定の仕組みに対する根本的な見直しが必要ですが、充分な検討や改革がなされずに、制度的な利用だけが促進されようとしているのです。むしろ、法人後見の利用や個人後見人を権利擁護の観点から支援するための各種センターの拡充が有効な手段として先行すべきだと考えますが、社会的に十分な援助が、そのような組織に与えられているとは言い難いのが現状です。

財産管理の機能不全

次に財産管理での機能不全が指摘できます。成年後見は家庭裁判所の所管です。本来、裁判所の仕事は裁判をすることです。裁判が終われば、裁判所の仕事は終わるのが理念的には本来の姿のはずです。しかし、成年後見制度にあっては、裁判所が裁判(審判)をした後も、裁判所の仕事として監督業務が残り、ご本人がお亡くなりになるまでずっと続くのが日本のいまの運用です。これを裁判所では、管理継続案件と呼んでおり、毎年1万件を超える規模で増えています。平成26年度の統計では、前述のように累積数が18万件を超えています。管理継続案件は今後も増え続けるでしょう。

年々、管理継続案件が増え続ける中で家庭裁判所の監督業務が負荷過剰になりつつあります。そのため家庭裁判所もさまざま工夫を行っています。その最近の姿が、後見支援信託の利用です。これは通常の民事信託とは異なり、裁判所が職権で選任した監督人あるいは共同後見人により、被後見人の財産をチェックし、不要不急の財産はすべて信託銀行に預け替えて、以後は家裁の許可がないと引き出せないとする仕組みです。この運用は財産保全ならびに家庭裁判所の監督業務の負担の軽減を目的としていることは明らかで2012年にスタートしました。当初は家族後見人の新規案件だけが適用対象でしたが、2015年の現在では、対象が一定の財産のある案件全体に拡大しつつあります。これは家裁の負担軽減を考えれば自然な動きです。また、被後見人の財産を保全する目的のみから見た場合、言ってみれば預貯金は塩漬けですから、後見支援信託が効果的な方法であることも否めないところです。しかし、被後見人の財産はご本人の意向を汲みとったうえで、ご本人にとってよりよき生活の実現のために使うことが許されなければならないものです。そのために成年後見人を選任しているのです。とくに障害者の成年後見の場合には、支援期間は長く続きます。生活の変化もあります。財産を保全するだけではご本人のための後見利用にはなりません。財産管理においてもご本人の意思決定支援は必須なのですが、いまの日本の家庭裁判所は、そこまで手当をする余裕がなくなっているように見えます。

5 どうするか?

では、今後の改革に向かってどのように考えれば良いのでしょうか。2点ほど指摘します。

後見監督庁の夢:

家庭裁判所が置かれている過重な負担、しかもそれは裁判所が本来的に担う業務とは異なるものであるにも関わらず担わされているとすれば、後見監督業務を家裁ではなく他が担うことが模索されなければなりません。いくつかの国では行政機関がそれを担っており、日本でも後見監督庁(Office of Public Guardians)あるいは意思決定支援庁(Office of Supported Decision Making)が検討されるべきでしょう。しかし、しかし今の財政難といわれる国家事情の中で、そう簡単に新しい行政機構ができるとも思えません。だとすれば、しかるべき行政機関が設置されるまでの中短期的な施策としては、意思決定支援に習熟した機関が法人後見を担うこと、そして後見人をはじめとする支援者などを権利擁護に向けた方向でリードする方向が現実的なのかと想像しています。地域の権利擁護の拡充、つまり、社協やNPOの活性化が重要です。

多様な支援ツールの開拓

また、成年後見以外の制度や場所で意思決定支援が行わなければなりませんし、開発されなければなりません。信託、任意後見はもちろんのこと、契約ベースでの日常的財産管理の工夫、あるいは高齢者・障害者の孤立化を防ぐための日常的な地域の見守り活動など、さまざまな支援が工夫されていくべきです。社協の日常生活自立支援事業なども再開発されてよい制度です。そうした工夫を重ねたうえで、仮に代行決定の仕組みが残るとしても、それは支援の枠組みとしては必要悪であり最後の手段として位置づけられるべきものです。こうした認識と姿勢を国家レベルで見せなければ、障害者権利条約を批准した国であるとは名乗れないことになるし、いま日本では、批准国としての自覚のある努力が重ねられていると信じたいところです。

「この記事は、2015年5月22日に内閣府の障害者政策委員会に参考人として招かれたときに述べた意見をベースに大幅に加筆・修正したものです。」