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ダービー初騎乗の丸田が、武豊に言われた言葉と、レース後、涙を流した理由とは?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
ダービー初騎乗を果たした丸田恭介と、騎乗したホウオウビスケッツ

突然の電話

 テン乗りのダミアン・レーンが勝利して幕を閉じた第90回日本ダービー(GⅠ)。

 しかし、この大一番に、初タッグで臨んだのは、彼だけではない。

 丸田恭介。遡る事1週間、5月20日に37回目の誕生日を迎えた彼は、初騎乗となるホウオウビスケッツとこの大一番に臨んだ。

 「1カ月くらい前、家にいる時に電話がかかってきて依頼されました」

 電話をしてきたのは同馬を管理する調教師の奥村武。当時の様子を丸田が振り返る。

 「『5月の最後は東京で乗るのよね?』と聞かれ『はい』と答えたら『ダービーお願いします』と言われ『え?』と思っていると、返事をする間もなく、携帯を切られました」

 デビュー17年目ながらこれまでダービーに乗った事はなかった。電話を手にしばらく「固まった」(丸田)後、意味もなく家じゅうをウロウロ歩いた。そして、思い出した。昨年、ナランフレグで高松宮記念(GⅠ)を勝利し、自身初GⅠ制覇を記録した後“ホウオウ”で知られる小笹芳央オーナーと話す機会があった。その際「いつか一緒にダービーに行きたいね」と言われたのだ。

 「その会話をオーナーが覚えていてくださったようです。僕よりも勝っている騎手が沢山いる中で、本当に依頼してくださったのは光栄だし、恩返ししたい気持ちを強く抱き、その後、しばらくの間、緊張しっぱなしでした」

奥村武調教師
奥村武調教師

3週間ほぼ毎日騎乗

 本番3週前から調教で騎乗した。追い切りだけでなく、普段の調教もほぼ毎日乗った。

 「テンションが高くて手のかかるイメージだったけど、乗ったら意外と大人しくて良い子でした」

 前任者の横山和生にも話を聞いた。

 「彼とは普段から結構、競馬の話をする仲で、競馬へ行く前のテンションやゲートに入れる際の注意点等、事細かく教えてくれました。戦う相手になるのに、隠す事なくアドバイスをくれたので、本当に助かりました」

 3週間乗って行く中で「馬が徐々にしっかりして来た」のを感じた。

 「奥村先生からは常に『考えがあれば言って』と言われていたので、最終追い切りの前に『凄く良い状態と思えます』と言い、その上で追い切りをこうしてほしいというのも伝えました」

 具体的には「少しやる気を出させたかったので、目の前に馬を置いて、ただ、必要以上にテンションを上げたくはないと感じたから単走で」と話すと、指揮官が呑んでくれた。

 「奥村先生もそうですが、それまで乗ってきた調教助手さんだって、本心はダービー前こそ自分がやりたいと思っていたはずです。そんな中、僕に対し文句一つ言う事なく、任せてもらえました。だからこそ責任を持って、今の自分が出来る精一杯の事をやらなくてはいけないと感じ、色々考えました」

「隠さずアドバイスをくれた」と丸田騎手の語る横山和生騎手(皐月賞騎乗時)
「隠さずアドバイスをくれた」と丸田騎手の語る横山和生騎手(皐月賞騎乗時)

武豊から言われた言葉

 そうやって「色々考える事が緊張の原因になっている」と感じた丸田に、昨年暮れの一つの光景が思い浮かんだ。

 それは22年12月10日、香港での事だった。翌日の香港スプリント(GⅠ)に出走するナランフレグに騎乗するため、香港入りしていた丸田は、同じく香港に渡っていた武豊やC・ルメールと共に食事をする機会を得た。

香港での1コマ。丸田は武豊騎手やルメール騎手らと食事をする機会を得た
香港での1コマ。丸田は武豊騎手やルメール騎手らと食事をする機会を得た

 「同じ騎手といってもトップジョッキーの豊さんやクリストフとは立場が違うので、こうやってゆっくり話させていただけたのは初めてでした。GⅠを翌日に控えているのに、リラックスしているのを目の当たりにして、感服したし、自分もそうならないといけないと痛感しました」

 ダービー当日にも、感じる事があった。

 「少しでも何かを得たいと思い、色々観察していたのですが、二人はナチュラルで余裕を感じました。上手い人が良い精神状態なのに、経験のない自分が緊張している場合ではないと思い、出来る限りの準備をして臨まないと、と改めて考えました」

 そんな丸田の心中を察したか、武豊が話しかけて来たと言う。

 「ダービー騎乗騎手紹介の際『丸田だけ声援がなかったらどうする?』といじってくれました」

 思わず笑ってしまい、緊張がほぐれたお陰もあり、後に調教師から「度胸があるね」と言われるほど、落ち着いてパドックに臨めた。

 「ガチガチになる自分も想像したけど、思った以上に冷静に、良い精神状態で乗る事が出来ました」

ダービー騎乗騎手紹介時の丸田(左から6人目)。横山和生騎手、ルメール騎手、武豊騎手らの姿も(それぞれ左から2、4、9人目)
ダービー騎乗騎手紹介時の丸田(左から6人目)。横山和生騎手、ルメール騎手、武豊騎手らの姿も(それぞれ左から2、4、9人目)

レース後、流した涙の意味

 こうして跨って返し馬に移った。すると、鞍上のリラックスぶりが手綱を通して伝わったか、パートナーのテンションも必要以上に上がる事なく、ゲートまで向かえた。

 「和生に『自分が乗っていた時と違い、凄く落ち着いていて、良い感じ』と言われたけど、前走まで和生が色々教えてくれたからこその今回だと思いました」

 前扉が開くと絶好のスタートを切った。

 「真面目な馬なので、かわされた瞬間、力が入ってしまい、1~2コーナーではガツンと噛んでしまいました。でも、向こう正面では落ち着いてくれて、直線を向く手前からは反応がありました。直線で先頭に立とうか?!という場面を作った時には夢を見ました」

ゴール前。勝ったタスティエーラ(ゼッケン12番)から僅かな差のところにいるホウオウビスケッツと丸田(黒帽)
ゴール前。勝ったタスティエーラ(ゼッケン12番)から僅かな差のところにいるホウオウビスケッツと丸田(黒帽)

 最後は力尽きて6着。それでも勝ち馬とは僅か0秒2差。単勝287.2倍の16番人気馬としては大善戦といえる結果だが、丸田は唇を噛んで言う。

 「ビスケッツは良く頑張ってくれたけど、自分としては勝つ事しか考えずに乗っていたので、悔しかったです。目の前にダービージョッキーの称号が見えただけに、悔しく感じました」

 しかし、本当に悔しく感じる出来事が、更に後にあった。

 「レース後、オーナーから『馬主をやっていて良かった』と言っていただけました。純粋に嬉しいと思う反面、余計に悔しく感じました。僕がもっと上手く乗れていればダービーオーナーになれていたのかも、と考えると自分が情けない気持ちになりました」

 そう語ると、丸田の瞳から涙が溢れ出した。

 第90回日本ダービーに騎乗した経験を今後に活かし、この涙を嬉し涙に変える日が来る事を願おう。

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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