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競馬界を突然去った”エルコンドルパサー等で凱旋門賞2着2回の伯楽”の現在

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
99年仏国遠征の際のエルコンドルパサー。右から2人目が二ノ宮敬宇調教師(当時)

馬術の要素を取り入れ凱旋門賞2着2回

 2018年、70歳の定年を待たずに厩舎を畳んだ二ノ宮敬宇(よしたか)元調教師。勇退した理由は「体調不良」と聞いたが、今年の年頭、久しぶりに再会した二ノ宮氏は、顔色も良く、現役時代のように多弁。大分、元気になられたようだった。

現役調教師時代の二ノ宮氏
現役調教師時代の二ノ宮氏

 1952年9月生まれの二ノ宮氏。今でこそ多くなったが、馬術の要素をトレセンに持ち込んだ先駆者的存在だった。現役時代、次のように語っていたのが印象に残っている。

 「モンキー乗りにしても障害飛越にしても、馬術が基本だと考えています。だから調教の時計は多少狂っても構わないけど、乗る姿勢に関しては悪い格好で乗ってもらうわけにはいきません。故障の原因にもなりますから……」

 そんな信念の下、1998年にNHKマイルC(GⅠ)とジャパンC(GⅠ)を制したエルコンドルパサーを筆頭に、2012年のエリザベス女王杯(GⅠ)を勝ったレインボーダリア等、JRAのGⅠを6勝。他に99年にはエルコンドルパサーでサンクルー大賞典(フランス、GⅠ)を制した他、凱旋門賞(同GⅠ)を2着。また、10年の宝塚記念(GⅠ)勝ち馬ナカヤマフェスタでも、同年の凱旋門賞を2着と善戦してみせた。

 今回、久しぶりに顔を合わせた二ノ宮氏は当時を次のように述懐した。

 「エルコンドルパサーは半年間、現地に滞在し、結局フランスで4回走りました。他にイギリスを視察したり、ブリーダーズCのためにアメリカのフロリダまで下見に行ったりもしたけど、渡邊隆オーナーからお金に関してどうこう言われる事は一切ありませんでした」

フランスでの二ノ宮師(右)とエルコンドルパサーの渡邊隆オーナー(左)
フランスでの二ノ宮師(右)とエルコンドルパサーの渡邊隆オーナー(左)

 サンクルー大賞典を勝利したのは先述した通りだが、あれから四半世紀経ち日本馬が世界中で良績を残すようになった現在でも、ヨーロッパで2400メートルのGⅠを制した日本調教馬はエルコンドルパサーただ1頭である。

 また、ナカヤマフェスタに関しては次のように言った。

 「エルコンの渡邊オーナー同様、フェスタの和泉信一オーナー(故人)からも、お金についてどうこう言われた事はありませんでした。まだGⅠを勝つ前に凱旋門賞の登録した時も、約2ケ月の滞在でおおよそ4千万円かかりますと告げた際も、何一つ文句を言わず受け入れてくれました。本気でヨーロッパで勝ち負けしようと考えると、理解あるオーナーに全面的な協力をしてもらえないと、無理でしょう。そういう意味で、素晴らしいオーナーに恵まれたと、今でもそう思っています」

2010年の凱旋門賞で2着したナカヤマフェスタ(手前7番)
2010年の凱旋門賞で2着したナカヤマフェスタ(手前7番)

体調を崩し勇退

 伯楽の名をほしいままにした二ノ宮氏だが、ただでさえ重責を担う調教師業では役員を任された。自らが経営している牧場のドリームファームでは馬の育成のみならず、ホースマンも育てていた。そんな環境が、妥協を許さず生真面目な二ノ宮氏を悩ませ、その心は少しずつ蝕まれていった。更に高齢の実父が体調を崩した事も影響したのか、ついには自らが体調を悪くした。結果、牧場を閉めると、18年、65歳で調教師免許も返納。厩舎を解散した。

経営していたドリームファームでの一コマ。ゼッケンにDreamの文字が見える
経営していたドリームファームでの一コマ。ゼッケンにDreamの文字が見える

現在の活動

 勇退後、しばらくは治療に専念した。しかし、その間もやはり馬の事は忘れられなかった。

 「1年後の19年には大学に入り直し、馬の勉強をしました」

 同時に、もう一つ、気になっている事があった。

 「調教師時代の晩年、調教終了後に父の入院先を見舞って汚れ物を持って帰り、洗濯するのが日課になっていました。そんな時、現場で働く人達を見て、介護にも興味を持ちました」

 そこで介護の勉強もし、実践にも赴いた。すると……。

 「体力勝負の面もあり、何歳になっても始められるというわけではない事が分かりました。自分もあっという間に七十歳に手が届く年齢ですからね。本腰を入れるなら今しかないと思いました」

 悩んだ末、大学を一年で辞めて、介護一本に舵を取った。

 「現在も毎週末、実践に出向いています。一定のキャリアを積めば取れる資格は取得したので、次は国家資格取得へ向けて頑張っているところです」

 “毎週末の実践”という事は、競馬は見ていないのか?と問うと、首肯して続けた。

 「今は大きいレースを見るくらいです」

 とはいえ、全く無関心ではない事が、続く言葉から察せられた。

 「ディーマジェスティ(二ノ宮師が管理した16年の皐月賞馬)の産駒はどうか?とか、トレセンや牧場で一緒に汗を流した人達の事は気になります」 

16年の皐月賞を制したディーマジェスティ(中央ピンク帽)
16年の皐月賞を制したディーマジェスティ(中央ピンク帽)

 そう言うと、美浦は勿論、栗東や海外で二ノ宮イズムを継承する教え子達の名を挙げた。例えばフランスで開業する清水裕夫調教師はドリームファームにいた事があった。美浦で開業する堀内岳志調教師はナカヤマフェスタの担当者だった。昨年デビューした佐々木大輔騎手は、両親が共に二ノ宮厩舎のスタッフだった。

 「他にもエルコンドルパサーで主戦を務めてもらった(蛯名)正義(現調教師)や、ナカヤマフェスタで宝塚記念を勝ちながらも、凱旋門賞では乗り替わりをのんでくれた(柴田)善臣(騎手)らの事は、気になります。また、牧場を閉めた事で、馬とは別の世界へ行った人達もいます。彼等の事も、当然、気になります」

 ちなみに「今でも調教師仲間に呼ばれて食事会等に出る事はたまにあるし、娘は関係者と籍を入れたし、息子も騎手の手伝いをしている」と言うように、馬の世界と無縁になったわけではない。更に、3年前くらいからは、毎週月曜に乗馬をしていると言う。調教師の看板を下ろし、表舞台から退いた二ノ宮氏。現在も月に一度は通院しているそうだが、これからも健康第一で、好きな事をしながら、馬と戯れていただきたいものだ。

現在の二ノ宮元調教師
現在の二ノ宮元調教師

(文中一部敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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