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遠い異国、志半ばで星になった柳田泰己という騎手がいた事を忘れないでいただきたい

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
在りし日の柳田泰己騎手(左)と熊谷勇斗騎手(2019年撮影)

異国で騎手となった2人の日本人

 柳田泰己(28歳)と最後に会ったのは2019年11月12日。ニュージーランドでは春だった。当時の事は以前、記事にしたが、その直後から新型コロナ騒動が世界を席巻。当方の海外渡航もままならなくなり、彼とは時々LINEでやり取りをする程度。好成績を収めたり、GⅠ騎乗が入ったりというのを見つけては連絡をするくらいになった。

柳田騎手とのLINEの一部
柳田騎手とのLINEの一部

 そんな彼への久しぶりのLINEが、まさかこんな形になるとは思わなかった。引き続きニュージーランドで騎乗していた彼だが、今月3日、ケンブリッジ競馬場でのレースにおける最後の250メートル付近で落馬。慌てて連絡したが、返信はおろか、既読にすらなっていない。

柳田騎手
柳田騎手

 かの地で同じく騎手として乗っているのが熊谷勇斗だ。今年の年頭にも記したが、苦しんでいた彼を助けてくれたのが柳田だった。

 「僕はこの前、4キロ減が3キロ減になったのですが、その直前に2レース連続で上手く乗れず、落ち込みました。そんな時、泰己さんに相談しました」

 すると、今年すでに42勝をあげている先輩から言われた。

「『考え過ぎず感じたまま乗った方が良いよ』とアドバイスされました。それで、言われた通りの気持ちで乗ったら人気薄の馬を勝たせる事が出来ました」

熊谷騎手
熊谷騎手

兄貴分の大怪我

 そんな兄貴といっても過言でない先輩の事故に、心が痛んだ。肋骨が折れて肺は内出血をしていたため、自発呼吸で充分な酸素を取り入れられない状態になった。背骨も5番目と6番目が折れ、脊髄も損傷していた。加えて後続馬に頭を蹴られたため酷い内出血が見られるという大怪我だった。

 「その後、内出血は止まったけど、どのくらいの後遺症が残るかは意識が戻らない事には分からないそうです」

 熊谷はそう言うと、更に続けた。

 「落ちた後は依然、意識不明が続いています。だけど、お医者さんの説明では、薬を投与して敢えてそういう状態を作っているとの話です。だから、命は大丈夫だし、意識も戻るものと信じています」

トレーニングに励む生前の柳田騎手
トレーニングに励む生前の柳田騎手

 そして、彼がこうやって医師から話を聞けた理由を、次のように語った。

 「日本からすぐにお母さんと妹さんが駆けつけました。集中治療室に入れるのは1日2人までなのですが、僕は通訳として入れてもらえる事が出来ました。そこでみた泰己さんは、ベッドに横たわったままでしたけど、凄く強い彼そのままに見えました。『必ず戻ってやる!!』というオーラをひしと感じました」

 異国での騎手デビューは容易でなく、何度も諦めかけた熊谷を、常に励まし、鼓舞し続けてくれたのが柳田だった。だから、熊谷は言う。

 「今度は泰己さんを助ける番だと思っています。といっても、何が出来るというわけではないですけど、まずは一命を取り留めて、回復して喋れるようになる事を毎日、強く祈っています」

手前のゼッケン4番に騎乗するのが柳田騎手
手前のゼッケン4番に騎乗するのが柳田騎手

 そして、柳田が元気になった時にしたい事があると続ける。

 「泰己さんから『次のシーズンは見習い騎手リーディングを目指すつもりで乗りなよ』と言われていたので、ちゃんと約束を果たしましたよ、と報告するのが今の僕の願いです」

かなえられなかった願いと、課せられた新たな目標

 ところが、そんな願いに暗雲が漂った。チューブをつないで機械で何とか延命しながら、体の機能の回復を促していたのだが、なかなか良い風は吹いてくれなかった。それどころかこれ以上は回復の見込みがみられないと診断され、家族に決断を迫る十字架が背負わされた。熊谷は言う。

 「強い泰己さんの家族らしく、お母さんも妹さんも気丈に振る舞われていました。でも、心の中を思うと、僕の方が苦しくなりました」

 そんな熊谷も意見を求められた。そこで泰己に目をやると、驚いた。

 「前は力強く見えたのに、驚いた事に泰己さんの目から涙が出ていたんです」

 その涙を見て、思った気持ちを伝えた。

 「これ以上、泰己さんが苦しまないようにしてあげてください」

 現地時間8月9日。事故から6日後、柳田の体から全てのチューブが外され、彼は28歳という若さで星になった。

 熊谷は言う。

 「今頃は空の上で減量に苦しむ事なく、自由に馬に乗っていると思います。泰己さんが出来なかったGⅠ制覇は、僕が目指すので、その時にはゴール前で泰己さんに押してもらって、2人で一緒に勝ちたいです」

 涙ながらに声を振り絞った熊谷。病床で渡された“GⅠ制覇”という夢のバトンを今後は離す事なく乗り続け、今度こそその願いをかなえていただきたい。

 また、私にとっては、彼がレースで勝利するシーンに立ち会えたのは大きな財産であり、改めて胸に刻まれる思い出となった。LINEの返事が永遠に届かなくなったのは残念だが、今はただ、柳田君が安らかに眠られる事と、残されたご家族に安息出来る日が訪れるよう、願うだけである。

 最後に、読者の皆様には、遠い異国ニュージーランドで「騎手になる」という夢をかなえ、5シーズン活躍し、162勝を挙げながらも、志半ばで散った柳田泰己という男がいた事を忘れないでいただきたい。合掌。

調教を終え、馬体を洗う在りし日の柳田泰己騎手(2019年撮影)
調教を終え、馬体を洗う在りし日の柳田泰己騎手(2019年撮影)

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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