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武豊騎手と夏のイギリス・シャーガーカップとの思い出

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
2011年のシャーガーでその騎乗ぶりが表彰された武豊騎手

ダントツの8度の選出

 今週末、現地時間8月6日の土曜日、イギリス・アスコット競馬場でシャーガーカップが行われる。

 世界中から名手を招き、着順に応じたポイントで団体戦と個人戦の覇を競う騎手招待イベント。新型コロナ騒動に見舞われた一昨年は中止になったものの、今年で22回目の開催となる。

 日本人騎手として、最も多く招待されているのは当然、武豊騎手だ。2005年の第5回で初めて選出されて以来、18年の第19回まで、実に8度も選ばれている。

05年初めてシャーガーCに出場した武豊(右から3人目)。M・ロバーツ(右から2人目)の姿もみえる
05年初めてシャーガーCに出場した武豊(右から3人目)。M・ロバーツ(右から2人目)の姿もみえる

 現在はイギリス・アイルランド選抜、ヨーロッパ選抜、女性選抜、そして日本人騎手が所属となる世界選抜(19年の藤田菜七子騎手は女性選抜)の4チームで覇を競っているが、武豊が最初に選ばれた05年はまだイギリス・アイルランド選抜対世界選抜の2チーム制だった。各チーム、ジョッキーとは別に監督がつき、世界選抜には日本でもお馴染みのマイケル・ロバーツ元騎手がその役を担った。もっとも、チーム戦といっても実際にはお祭り要素の1つという感じで、通常のレース同様、あくまでも個人個人で優勝を狙って騎乗する。そのため、この監督制も飾りのようなもの。当時、ロバーツは「久しぶりにユタカに会えて嬉しいよ」と笑みこそみせていたが、特にチームの監督として何かをするわけではなかった。

フランキー・デットーリに後ろから抱きつかれる武豊
フランキー・デットーリに後ろから抱きつかれる武豊

 さすが“世界のユタカ”だけあって、このような例は枚挙に暇がない。オリビエ・ペリエやフランキー・デットーリといった親友が、やはりロバーツと同じようなセリフを口にして、武豊にハグを求めるのはいつもの事。また、12年にはアメリカの女性騎手シャンタル・サザーランドが「会えるのを楽しみにしていた」と言い、レース前から一葉の写真に納まった。「ほとんど面識はないのに……」と武豊は語っていたが、世界中どこへ行っても馬社会であればユタカタケの名前は知れ渡っているのだ。

北米でモデルをしながら騎手をしていたS・サザーランドも武豊との出場を「楽しみにしていた」(12年)
北米でモデルをしながら騎手をしていたS・サザーランドも武豊との出場を「楽しみにしていた」(12年)

競馬以外の部分でも経験を積む

 ちなみにその12年には空いている時間でロンドンオリンピックを観戦した。サッカーの女子決勝が丁度、同じ時期に行われたので観に行ったのだが、これがなんとアメリカ対日本という対決。結果、なでしこジャパンは敗れてしまうのだが、立派な銀メダルに「刺激になった」と天才ジョッキーは語っていた。

 また、15年にはフランスからユーロスターを利用してイギリス入りした事もあった。海の向こうへ渡っての経験は、このように、競馬以外の部分でも数多く、人間として更に大きくなっている事が分かる。

15年にはユーロスターを使ってフランスからイギリス入りし、シャーガーCに参戦した
15年にはユーロスターを使ってフランスからイギリス入りし、シャーガーCに参戦した

良くも悪くも沢山の経験

 とはいえ、本業のジョッキーとしても勿論、シャーガーCでしっかりと爪痕を残している。07、08年と連続勝利を挙げているし、11年に勝利した際は“本日のベストライド賞”を受賞する手綱捌きを披露した。これは後に地元のテレビ局が選出する“今週のベストライド3選”にも選定されるほどで、競馬発祥の地のプロをも唸らせる騎乗ぶりだったのだ。

 他にも12年には世界選抜の優勝に貢献するポイントを稼いでみせたし、近年では出場騎手の中でも最年長クラスとなる事が増え、世界選抜チームのリーダーに選ばれるのも珍しくなくなった。

07年のシャーガーCで見事1着となり口取り写真
07年のシャーガーCで見事1着となり口取り写真

 そんな中、必ずしも良い事ばかりではなく、18年には残り1レースを残した時点で落馬。そのまま歩いて帰って来たので大事には至らなかったと思いきや、手を怪我していたためラストレースと最後の表彰式は欠場。すぐに病院へ行く事となった。

 しかし、そんな時にも、彼は次のように言っていた。

 「沢山、乗っていると色んな事がありますね」

 ネガティヴと思える経験も、思考一つでポジティヴに変換出来る。それこそが、多くの経験が生んだ財産だと、日本のナンバー1ジョッキーの言葉を聞いて、感じた。今年はシャーガーCにこそ選ばれなかったものの、秋にはダービー馬・ドウデュースと共に海を渡り、凱旋門賞(GⅠ)やブリーダーズC(GⅠ)への挑戦を予定している。経験を積み重ね続けるユタカタケから目が離せない。

18年シャーガーCのオープニングセレモニー。中央黄色帽子3人の右側が武豊
18年シャーガーCのオープニングセレモニー。中央黄色帽子3人の右側が武豊

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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